ブリタニア列王史-Historia Regum Britanniae

サイトTOP2号館TOPコンテンツTOP

イントロダクション―「ブリタニア列王史」とは?


「ブリタニア列王史」の著者は、ジェフリー・オブ・モンマス。自身はラテン語名でガウフリドゥス・モテムネンシスと名乗ることもある。職業はオクスフォードの教師であり、聖職者の資格も持っていたと考えられている。書かれた時代は12世紀半ば。1136年から1138年が完成時期とみられており、現存する最古の写本は1140年代のものである。


この書物は、よく「アーサー王伝説の源泉」などという言い方をされるが、その表現は正確ではない。写本
ジェフリーが書こうとしたのは、本のタイトル通りの「ブリタニアの成り立ち、初代王からアーサー王も含む歴代ブリトン王の歴史書」である。その中で、ブリトン人の黄金時代の王の一人としてアーサー王(アルトゥールス)に多数のページが割かれているというに過ぎない。とはいえ、アーサー王の前後の世代だけで1/3程度のボリュームを占めるのだが。

彼はなぜ、この大著を書き記そうとしたか。
諸説あるが、彼以前にブリトン人の歴史を著そうとした他の聖職者たちと同様であったと考えられる。すなわち、彼自身が何度も書いているように、「偉大なるブリトン人、かつてはローマさえも屈させた民族が、今やサクソン人に支配され、信仰は廃れ、国土は荒廃している」という焦燥と過去への憧憬、消えゆく祖国の歴史を何としても書きのこし、いつか再びブリトン人の栄光の時代がやってくることを望まんとする思いが、筆を執らせた動機である。

だからこそ、王系の始まりは由緒正しいギリシャの英雄、アエネアースでなくてはならなかったのである。
アエネアースの子孫ブルートゥスが故国を追放されたのち、同胞たちとともに辿り着いた最果ての地、それがブリタニアであると、この本は述べている。そして、ブルートゥスから王家の家系が連綿と続いていき、やがてローマがブリテン島にやってきた際には、自分たちを「由緒正しきトロイアの子孫」と名乗ることになるのである。

もちろん、これらが史実であったとは思われない。
歴史書の体裁をとる書物ではあるが、現代的な感覚からすると半分以上がファンタジーとなっており、歴史に箔をつけるためにかなり伝説を盛った形跡がある。しかし、12世紀の人々はこのファンタジーを歴史と信じ、多くの写本を作って流布させた。この書物はいわば偽書なのだが、多くの人々が信じたいと思うブリトン人の誇らしい姿がそこにあったということなのだろう。

ジェフリーの「ブリタニア列王史」が史実と捉えられるに至り、その中に伝えられたアーサー王の姿もまた、歴史的な事実として認知されるようになった。それまで断片的な伝承に過ぎなかった「偉大な英雄」の姿は、このとき伝説の霧の奥から明瞭に姿を現したのである。ジェフリー以前には、アーサーの名は詩人の詩や、年代記の数行に触れられる程度に過ぎず、王だったかどうかすら定かではない。その名を実在の王として歴代ブリテン王の系譜に組み入れたのは、ジェフリーただ一人の功績だ。

ゆえに、現在伝わる「アーサー王伝説」は、すべてここから始まる。

「アーサー王」の存在は、彼が伝説となったこの書物以前に遡ることは出来ないのである。

******

「ブリタニア列王史」の書かれた目的は、歴史を正確に記録することではなかった。

ブリトン人の偉大な歴史が真実として残ればそれでいいわけなので、それらしい立派な伝説はすべて取り込むに値した。ジェフリーは、史実なのか後付けの伝説なのかも不明な伝承すべてを精査することなくこの本の中に詰め込んでいる。その一つがマーリン伝説で、もともとはドルイド、または森の賢者として知られたメルラン(ムルジン)という人物にまつわる全く別の伝説だったらしい。アーサー王といえばマーリン、と相方のように語られることが多いが、実はその組み合わせはここが始まりである。

マーリン以外にも、伝説の一部として取り込まれていった他の伝説の登場人物たちはいる。
この「ブリニア列王史」ではまだアーサー王の仲間として登場しないものの、その後、べつの作者たちの手を経て円卓に取り込まれていったキャラクターたちも多い。伝説の「はじまり」から現在に至るまで、アーサー王伝説は常に変化し続けている。それぞれの時代で、人々がその時望んだ姿をとりながら。





戻る