その他のゲルマン関連伝承
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グートルーン

Gudrun(Kudrun)


 「グートルーン」は現代ドイツ語での名称。原典どおりに中期高地ドイツ語で書けば、「クードルーン」
 この物語は、ドイツの二大叙事詩などと呼ばれ、よく「ニーベルンゲンの歌」と並べて、中世ドイツの英雄叙事詩として語られる作品である。
 作者は「ニーベルンゲンの歌」と同じくオーストリア人。(推定)
 表現を真似ている部分があることなどから、「ニーベルンゲンの歌」を知っていた人物と考えられている。同郷の仲間か、はたまた後輩か。…最初に書かれた時期は1220年から40年とされ、1203年か4年ごろに書かれたとされる「ニーベルンゲンの歌」よりは、少しあとの時代の作品になるが、現在、完全に残っているのは16世紀、もっと正確に言うと1504−1515年に作られた、「アンブラス本」という写本が唯一のものである。
(※つまり、作品の成立自体は13世紀だが、本として残っているものは16世紀が最古。)

 唯一というからには、他バージョンは残っていないということで、「ニーベルンゲンの歌」のように、どの写本がオリジナルに近いのかが議論されたことはない。
 人気の物語は多くコピーが作られ、たくさんの写本が出回るものだが(そして時には、同人誌的な書き換えも行われるわけだが)、写本が少ないということは、過去の人々にはあまり好まれていなかった可能性がある。
 しかし、19世紀においては、学識ある人々が「ニーベルンゲンの歌」よりも好んだため、発刊された関連書物は、むしろ「ニーベルンゲンの歌」より好まれたと言っていい作品だとのことである。

 「ニーベルンゲンの歌」と同時代に書かれたとはいっても、こちらは、とても最後は平和的に終わる。
 戦乙女を思わせる王妃や、異教時代の英雄たちは、見当たらない。
 父の仇を許し、苦難の年月を忘れ、互いに平和的に和睦してハッピーエンド。後味は良いが、そのぶん物語としても奥行きに欠けると感じるかもしれない。

+++
 この物語は、ぶっちゃけ言ってしまうと、国を滅ぼす美女ばかりが生まれる家系の、3世代に渡る求婚の物語である。
 名誉も家名も血の契りもナシ、ただひたすらに愛のため、エエ年こいた男たちが、国政とか部下のこととか全部うっちゃりて、お目当ての美女や娘をかけた戦いを繰り広げ、最終的に仲直り。言ってしまえば、ただそれだけの繰り返し。
 そう言ってしまうとミもフタも無いのだが、女に踊らされて戦いになってるのは事実である。
 たぶん一番強いのは、主人公の女性「グートルーン」だと思われる…。

 男たちの使命とか、大儀だとか、そういうのより私情のもつれが前面に押し出されているところが、書かれた当時の宮廷には馴染まず、恋愛ネタが歓迎された19世紀にもてはやされたのではなかろうか。

 個人的な感想として――
 作品の雰囲気は「ニーベルンゲン」かなり違っており、はっきり言えばツッコミどころ満載。マジメな文学考察よりは、娯楽の餌食にしやすい作品だと思うのだが、グリム兄弟なんかは本気で絶賛してるのが不思議である。

 メルヘンチックなドイツのイメージを持つか、
 荒々しいゲルマン的なドイツのイメージを持つか。

 前者なら、さらわれたお姫様が助け出されてハッピエンド〜、のグードルーンはきっと楽しいだろう。
 後者なら、きっと、もっと戦え王子様! なにブっ倒れてんですか! と、野次を飛ばしたくなるところ。そんな作品。

 …と、まあ、随分な言い草だが、本当に、長いわりに戦いに関する描写はけっこう雑なのである。

 ちなみに、”グートルーン”とは、古代北欧語では「グズルーン」。クリエムヒルトと同じ名前である。
 この物語はニーベルンゲン伝説とは関係ないが、参考までに、名前変換表をあげておこう。(こちら。


■元テキスト
「王女クードルーン」講談社学術文庫 古賀允洋 訳 (1996)←中高ドイツ語からの訳
TOPの写真もこの本から持ってきました。

「ドイツ中世騎士物語2 グードルーン」現代教養文庫 A・リヒター/G・ゲレス 市場泰男 訳(1997)←現代ドイツ語からの訳


■オマケ。
古高ドイツ語…750−1050年ごろ
中高ドイツ語…1050−1500年ごろ

アンブラス写本…16世紀のはじめごろ皇帝マクシミリアン1世が書かせた写本で、ハルトマンの「イーヴェイン」「エーレク」、「ニーベルンゲンの歌」、「哀歌」など13世紀ごろのドイツの主要な叙事詩が凝縮されている。ウィーンのオーストリア図書館が所蔵。

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