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ニーベルングの指輪

人間たちの物語



断っておくと、私には何日も泊り込んでバイロイト劇場に通うほどの時間も財力も無いもので、「ニーベルングの指輪」については、CDと脚本と舞台写真と一部舞台のDVDを、頭の中で合成して理解したように考えているだけである。百聞は一見にしかず、と言うからには、実際に観劇した人からすれば「何を言っているんだ」くらいのものでしかないかもしれないが、この歌劇に関連する、元となっている作品群の全てを知っていて観たわけではないだろうから、結局はその人たちも完璧ではない。そう思うことにする。

ここでの私の立場は、「ワーグナーはあまり好きではない。音楽にもそれほど詳しくない。 神話の世界を経てワーグナーを知った者の視点から、つまり過去からのこ作品を見ている者」である。だから音楽史の中でこの作品がどういう位置を占めているかや、ニーチェとワーグナーの関係や、世間的な評価などは、あまり重要に考えていない。神話と英雄伝説の系譜の中で、この物語がどういう位置づけなのかを考えている。




前置きはこのくらいにして、「ニーベルングの指輪」について語ろう。

ワーグナーの脚本は、あらすじとしては、元になったサガや伝説とは大きく違う。神々もまた性格を大きく変えているのだが、不思議と、「人間」たちについては、あまり大きく異ならない。
キャラクターの「外見」はあまり神話的ではなく、衣裳も風貌もいかにも現代的なアレンジが入っているが、喋っている言葉や振る舞いは、本質的には実は同じ。
ブリュンヒルデは、かつてシグルドリーファという名の戦乙女だった時代のままに、力強く、己の思うままに振る舞う気高い女性だし、ジークフリートも、シグルズと呼ばれていた時代と同じく、自由奔放で何も恐れないが、そのために過ちを犯す危うげな性格の持ち主にみえる。彼らのセリフは、そのまま北欧神話の世界でも通用しそうに思える。

しかし、ここが文章の面白いところで、脚本で読めば同じに見える彼らも、実際、舞台の写真を見ると、全然違うのである。
サガの世界で受けた印象を持って舞台の上の映像を見ると、彼らはあまりに人間くさく、気丈なブリュンヒルデは気位ばかり高いオバサン、色男系のジークフリートはホストの兄ちゃんくさく見えてしまうのだ(笑)。

生身の人間が、神話の世界を視覚的に再現するのは無理なのだろうが、それにしてもオーラが違う。文章から伝わってくる半神の荒々しいオーラが、舞台歌劇ではポシャってしまうのだ。まぁ、生身の人間が演じるんで、しょうがないといえばしょうがないのかもしれないが…。


そんな状況を、最もよく体現しているのは、ハーゲンだ。
彼は、サガの世界(エッダ、ヴォルスンガ・サガなど)や「ニーベルンゲンの歌」の世界では、「ゲルマン戦士」というイメージそのものの、猛々しい武将である。その、強い意志に溢れた言葉づかいは、生い立ちや舞台の設定が変わった「ニーベルングの指輪」でも変わっていない。「アルベリヒの息子」ということで、いささかヒネくれたような性格になっているが、己の信念に則って生き、誰の言うことにも左右されないところは、同じである。
しかし、舞台の写真を見ると、ハーゲンは黒尽くめのかなり怪しい格好をして、武将というより、悪の大臣のようにも見える。この視覚的な情報をベースにセリフを聞くと、口先だけの腹黒い卑怯者という先入観を持ってしまうだろう。

とかく人間というものは、目に見えるものを信用したがるものだ。ヒーロー然とした男が人を殺せば相手は悪役だと思い拍手喝さいだが、黒尽くめの怪しい男が怪物を倒せば、何の陰謀かと疑うだろうだろう。同じ名前を持つ「ニーベルンゲンの歌」のハーゲンが悪役扱いを受けているのは、この、ワーグナーの歌劇が主たる原因ではないか、とすら思う。ハーゲンがジークフリートを後ろから襲って殺すという話を読んで、「なんて卑怯者なんだ!」と憤る人もいるのではないか。

だが、物語の筋書きだけをよくよく見れば、殺される側には罪があり、殺す側には理由がある。ハーゲンによるジークフリート殺害は、神であるヴォータン殿による、ジークムントやフンディングの殺害よりは、はるかに理に適った殺人行為なのである。

ワーグナー版では、ジークフリート殺人の直後、「ハーゲン、何を?」(Hagen,was tust du?)と問うグンターと家臣たちに向かって、彼は堂々と、こう答えている。

   「偽りの誓いに復讐したのだ!」(Maineid rächt’ ich!)

このシーンの前に、ジークフリートとグンターは、義兄弟の契りを交わしていた。
互いの血を混ぜ合わせて飲み、「どちらかが誓いを破れば、報復としてその身から血を流すだろう」と誓い合っている。ジークフリートは、その誓いを破ったから殺された。この殺人は、掟が重要視される世界においては合法である。

魔法の薬を飲ませジークフリートの記憶を失わせるよう仕向けたのはハーゲンだが、それによってジークフリートが罪を犯したのもまた事実である。ジークフリートはブリュンヒルデを裏切ったし、グズルーンを欺いた。記憶を失い、グンターの代役として求婚の旅に出た時にはブリュンヒルデに触れなかったが、記憶を失う以前には妻としていたのだから、ジークフリートの語る「過去、彼女に触れたことが無い」というのは偽証になる。自らは正しいと信じて行ったその宣誓によって、彼は正しき者ではなくなり、誠意の誓いを破ったという罪を背負うことになる。
よって、ハーゲンの言い分は正しく、ジークフリートは誓いを破った代償によって命を失わなければならない。

確かにハーゲンは、そうなることを初めから知っていた。知っていてジークフリートを殺す口実を得るために薬を用意し、グンターにブリュンヒルデを娶らせたのは卑怯に違いない。だが、まんまと乗せられて自らの首を絞めたのはジークフリート自身。己の誠実を槍にかけ、その上で嘘をついたのなら、誓いの槍で身を貫かれねばならない呪いを自らにかけたのも彼自身である。

理由なき殺人は出来ないが、殺せるだけの理由を作れば、何も問題はない。
たとえ、その理由が、自ら仕組んだものであったとしてもだ。


皮肉なことに、この物語の中で、ハーゲンほど巧く立ち回った人物は居なかった。
ヴォータンは誓約を破ることなく巨人たちを殺せず、ローゲに頼るしかなかった。己自身に課した誓約さえ忘れて感情的に振る舞い、契約のルーンの刻まれた槍を失ってしまう。そのことが、神々の「原罪」となり、神々の世界は滅びを免れ得ない。
だが知恵の回るハーゲンは、賢くも、計略によっていかなる契約を破ることなく己の願望を叶えてしまう。そして最終的に、彼は、ヴォータンが頼みとした英雄を槍で貫くことに成功するのだ。

この物語の中、ハーゲンには、「指輪を奪い返す」という、一つの目的があった。
彼はそのために「作られた」英雄なのだ。彼の父、アルベリヒはこう言っている。

「お前の身にそなわっている力を思い出すがよい。 おまえの母が生んだとおりの勇敢さがあればよい!」
Gemahnt sei der Macht, der du gebietest, bist du so mutig, wie die Mutter dich mir gebar!

しかしハーゲンは、こう答える。

「おれ自身にに誓うのだ。心配は無用だ!」
Mir selbst schwör’ ich’s; schweige die Sorge!

ハーゲンはアルベリヒの目的を果たすために嫌々働いているわけではないとここで分かる。言うなりというよりは、自分の意思としてジークフリートから指輪を奪おうと計画しているようである。アルベリヒを嫌っているような素振りさえ見せるハーゲンは、もしかすると、指輪を手に入れたあともアルベリヒに渡す気は無かったのかもしれない。

また、ハーゲンは、「手に入れようとした指輪とともに渦に飲まれ」、観衆の視界消えるだけで、生死ははっきりしない。川底で指輪を手に入れたのかもしれないし、手に入れなかったかもしれない。
彼の目的は指輪を手に入れることで、その計略はジークフリートに竜を殺させ、そのジークフリートを殺し、指輪に近づくというところまでは成功した。最後の成功だけが、ふいの幕切れによって、あやふやにされていることになる。


神々は完璧に失敗した。
ヴォータンは結局、城のために高すぎる代償を払ったことになり、指輪をどうすることも出来ず、半ばやけっぱちな「わしは破滅を望む」という言葉によって、最悪の結末を、あたかも正しい結末であるかのように見せかけているに過ぎない。
運命を変えるために生み出した英雄、愛すべきヴェルズングの一族も結局は滅びてしまった。(自ら滅ぼしてしまったともいう)
何一つ自らの望んだものの存在しない世界を後に残し、彼らは自滅して絶望の中に去っていく。
己の正しいと思うことをしたために多くの苦労を背負い、最終的に誇りと引き換えに命を失う典型的英雄の幕切れとなるブリュンヒルデでさえ、最終的に愛する人と共に逝くという成功を収めたというのに、神々の、この空しい結末はどうだろうか!

世界は人間の手に残される。
神々は最初から、既に過ぎ去りし時代の幻影である。
「ニーベルングの指輪」は、人間たちの物語。そして真の主人公は、多くの論者が言うようなヴォータンではなく、「愛に生きて身を滅ぼす」ブリュンヒルデと、「愛を否定して生まれた存在」ハーゲンという、両極端に位置する二人、なのだと私は思う。


 ”真に運命から逃れたのは誰だったのか”
 ”オーディンが支配することの出来なかった自由な英雄は誰なのか?”


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