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「ニーベルングの指輪」あらすじ

第二日  ジークフリート


第一日から引き続き、人間たちの物語が展開される。主人公の名は、ジークフリート。
ジークリンデの産んだ息子、ブリュンヒルデによって名を与えられた英雄である。


第一幕 森の中の洞窟

序夜で登場した、アルベリヒの弟・ミーメが、森の中で文句を言いながら剣を鍛えている。ミーメはジークリンデの息子ジークフリートを育てたが、成長した少年は大変な力持ちで、ミーメの手には負えなかったのだ。ジークフリートのほうも、自分を育てたこの小人のいやしいさまが気に入らなかった。
ミーメは優れた鍛冶だったが、作る剣はどれも、ジークフリートの手にかかると玩具のように折られてしまう。ジークフリートは、自分のための剣が欲しかった。
ミーメは、ジークフリートに向かって、誰がお前を育ててやったのか、と恩を着せようとするが、ジークフリートは、なら自分の母親は何処に居るのかと問い返す。ミーメはなかなか言おうとしないが、ジークフリートに脅されて、渋々と口を開く。
彼の母はジークリンデということ、森で倒れていたところを助けたが、ひどい難産で、子供を生むとすぐに死んでしまったこと。ジークフリートの名は、母親の遺言であること。父親は殺されており、形見の剣だけが残されていること…。
それを聞きジークフリートは、ならばそのかけらから剣を作れ、そうすればこんなところからおさらばだ、とミーメの家を飛び出して行ってしまう。だが、ミーメには折れた剣を元通りにする力は無い。途方にくれるミーメ。

そこへ、さすらい人の姿をしたヴォータンが現れる。
ヴォータンは小人に3つの問いかけをし、小人も3つの問いかけをする。答えられなければ、互いの首を貰う。これはヴォータンからのチャンスだったが、ミーメは剣の直し方を聞かず、全くお門違いのことを尋ねてしまう。逆にヴォータンがミーメに、剣を誰が作り直せるのかと尋ねることになる。
もちろんミーメには答えられるはずもなく、ただうろたえるのみ。だがヴォータンは小人の首は取らず、自ら「剣を元に戻せる者は、恐れを知らぬものだけ、そしてその者が代わりに首を頂戴するだろう」と言い残し、去っていく。入れ替わりに戻ってきたのがジークフリートだった。

ジークフリートは、ミーメが剣を直せないと知るや、自分の強力で剣を砕き、炉に溶かして作り直してしまう。剣を鍛えられるのは「恐れを知らぬ者」だけ、そして、恐れを知らぬ者とは他ならぬジークフリートのことだったのだ。
ジークフリートに「恐れ」という感情を教えるのを忘れていたことに気づいたミーメは、自分がジークフリートに殺されるのではないかと怯え、彼をファーフナーの洞窟、ナイトヘーレへと連れて行こうとする。ジークフリートが恐れを知れば、自分は死を免れるだろう、と。だが、そもそもジークフリートを育てたのはファーフナーを殺させ、かつて兄が手にしていた指輪を我が物とするため。どちらに転んでも自分の望みは達せられない。
そこでミーメは一計を案じ、毒の飲み物を作る。ジークフリートがファーフナーを倒したら、毒殺して指輪を奪うために。
指輪を手に入れ、世界の王となることを夢見るミーメ。剣を完成させ、高らかにかざすジークフリート。
2人は互いの思いを理解しあうことはない。


<注釈>

ヴォータンとミーメのやりとりは、トールと小人アルヴィースの問答、「エッダ」にある「アルヴィースの歌」にヒントを得ているものと思われる。アルヴィースの歌は、トールと小人アルヴィースのやりとりなのだが。
それにしても、こんなところまで手を伸ばしてくるとは、ヴォータンは運命に干渉しすぎる感がある。以前、彼自身が言っていたこととも矛盾する。ジークフリートが生きていることを知っていて今まで手を出さなかったのも不自然といえば不自然だ。(ブリュンヒルデが助けなければ彼はこの世に存在しなかったわけで、そのブリュンヒルデは父に逆らった者として罰を受けたのだが…。)

この部分は、16-17世紀ごろに大衆に好まれて出回っていた、ジークフリートの英雄伝説の焼き直しをそのまま引き継いでいる。ここでのジークフリートは、不幸な生い立ちを持つ無敵の英雄。見目麗しくそこそこ頭もよい。おそらく、ワーグナーもその英雄伝説の内容を知っていたのだろう。


第二幕 森の奥

ヴォータンは、指輪を持つファーフナーが篭る洞窟の側で様子をうかがっているアルベリヒの前に現れた。アルベリヒは、それがかつて自分を騙して指輪を奪った相手だとすぐに気がつく。自分の手を汚さず、契約を破らず英雄の手を借りて指輪を取り戻したいのだろう、とヴォータンをなじるアルベリヒ。だがヴォータンは、自分は手を出さない、お前の相手はずるがしこいミーメだ、と言い残し、去っていく。アルベリヒとミーメに同士討ちをさせるつもりだったのだ。
やがてミーメは、ノートゥングをたずさえたジークフリートを連れて、ファーフナーの穴の前に現れる。ミーメは、ここでお前は恐れを知るだろう、と言い残し、はやばやと逃げて行ってしまう。彼は、ジーフクリートとファーフナーが相打ちになるのが一番だと思っていた。

ひとり残されたジークフリートは、会ったことの無い両親に思いを馳せ、小鳥たちのさえずりに耳を傾ける。小鳥たちに呼びかけるつもりで角笛を吹くが、その音に答えたのは、指輪の魔力で巨大な竜に変身していたファーフナーだった。
またたくまに激しい戦いとなった。ジーフクリートは竜の心臓めがけノートゥングを突き出し、心臓を貫かれたファーフナーは息絶える。手についた火のような血をなめたジークフリートは、その途端、さきほどの小鳥たちの声を解するようになった。
小鳥たちは宝の中に埋もれている指輪と、魔法のずきんのことを語り、それらを見つけてくるようにと歌う。

戻ってきたミーメは、ジークフリートが生き残ったこと、指輪とずきんを手にしていることを見る。ミーメは言葉巧みに宝を奪おうとし、飲み物を勧めるが、さきほどの竜の血の魔力で、ジークフリートにはミーメの企み、本心の声が聞こえてしまう。
ミーメが実は自分を憎んでいたこと、ファーフナーを殺させるために育てたこと、そして今、目的を果たして用済みとなった自分を毒殺しようとしていることを知ったジークフリートは、怒りをこめてノートゥングを振り下ろす。

そしてヴォータンの予言したとおり、小人の頭は「恐れを知らぬ者」のものとなった。彼は小人を黄金の眠る洞窟に放り込み、ファーフナーのなきがらで入り口を塞いで一休みする。家族もなく、自分は一人だと悲しみながら。

そのとき頭上で小鳥たちは歌った。焔に囲まれた山にブリュンヒルデという女性が眠っている。その人こそ、ジークフリートに相応しい。
聞くや否や、ジークフリートは喜び勇んで、彼女を妻とするために旅に出ることを決めた。小鳥たちが、彼の先に立って案内する。


<注釈>

世界を手に入れる指輪を手にしたのに、ファーフナーは洞窟の中に篭ったきりだ。ここの部分は、トールキンの大作「指輪物語」のプロローグにあたる作品、「ゆきてかえりし物語」に登場する、指輪をめでながら洞窟に篭る醜い生き物ゴクリ(映画では”ゴラム”)を連想させる。ファーフナーには世界を手にすることも、さらに財産を増やすこともできたはずなのに、なぜそうしていないのかは不明。

ヴォルスンガ・サガでは、竜の心臓を火にかけて炙っていたとき、手についた汁から鳥の言葉を解するようになり、竜の血は、浴びると刃物を通さない体になるとされていた。ここでは、心臓の魔力は語られず、血の魔力が心臓のものと入れ替わっている。また、竜の血を浴びて無敵の体となるシーンは登場しない。
すでに名馬グラニを手に入れている物語では馬に乗って焔を飛び越えるのだが、「ニーベルンクの指輪」ではまだ手に入れていないので、徒歩で向かうことになっている。


第三幕 岩山の麓の荒涼たる場所

ヴォータンは、再び女神エルダとまみえていた。眠っていたエルダを目覚めさせた彼は、滅びの運命を語り、指輪を手にしたときに得た呪いをどのようにして回避すればよいかを尋ねる。エルダが夢の中で知る未来は、毎夜、彼女の娘である運命の女神、ノルニルたちが語っていた。だが、そのノルニルたちさえも運命のうちにあり、運命を変える方法など語れない。

ヴォータンとの会話で、自分とオーディンの間に生まれた娘・ブリュンヒルデが眠らされたと知ったエルダは、反抗の精神を知る者を罰するとは何故か、と嘆く。そのようなことを知るくらいなら、私を眠らせておいてほしかったのに、と。
ヴォータンは言う、世界の滅びを自らが望んでいること。だが自分の血を引く者に後の世界を任せるのだ、と。自分の血を引く英雄、ジークフリートが指輪を手に入れ、眠りに着いたエルダの娘は、そのジークフリートが愛を込めて呼び起こし、世界を救済する仕事を行うだろう、ということも。つまり、ここまでの出来事は、自分の狙った筋書き通りだというわけだ。

オーディンはエルダを「知恵を失った者」と呼び、二度と目覚めることのない眠りに沈んでゆけ、と言う。エルダは何もいわず、ただ青白く沈んでいく。


そして、いよいよジークフリートがブリュンヒルデと出会う時が来た。守りの焔を越え、彼女を眠りから覚ますのだ。
しかしその前に、さすらい人の姿をしたヴォータンがまたも現れた。
ヴォータンは、ブリュンヒルデとジークフリートが出会うことを望みながら、何故かジークフリートの前に立ちふさがり、ゆかせまいとする。ジークフリートは、何としても通ると言ってノートゥングを振り上げ、かつてその剣を真っ二つにしたヴォータンの契約の槍をまっぷたつにしてしまう。その槍は聖なるルーネの刻まれたもの、ヴォータンを主神たらしめている道具。槍を失ったヴォータンは消えていく。

焔を越えたジークフリートは、鎧のまま眠っている人間に気づき、鎧をほどき、それが女だと知る。美しい顔を見ておもわず口付けをすると、ブリュンヒルデは長い眠りから目を覚ます。
ブリュンヒルデはヴォータンの意志を語るが、ジークフリートは自分が生まれる以前のことは何も理解しない。2人はあっというまに激しい恋心にとりつかれ、熱く愛を語り始める。ジークフリートは、彼女と出会って、はじめて恐れることを知る。

輝きの中で2人は強く抱き合い、結ばれる。



<注釈>

エッダには、オーディンが冥界へ下り、息子バルドルの見た不吉な夢の解釈と、運命の回避について死せる巫女に助言を求める「バルドルの夢」というエピソードがある。序盤のエルダとヴォータンの語らいは、そのエピソードのオマージュだろう。
ここで語られる「運命」は、北欧神話の絶対たる運命、逆らうのではなく受け入れ、それに向かうべきものであるというイメージと似ていながらも異なっている。ヴォータンは運命の前で不安におののき、どうすればそこから逃れられるかを画策する。そしてあっさりとそれを諦め、神々の世界は滅びるがいい、人間が後を継ぐだろう。と全部ぶん投げてしまうのである。^^; なんとも身勝手な…。

「眠りの森の美女」という童話で、姫を助けにゆく王子の名が「ジークフリート」なのは偶然ではない。この「指輪」の元になったサガから、焔が茨に、乙女が姫君に、乙女を眠らせる存在がオーディンから魔女に変わって、生まれた物語なのだ。
(「白鳥の湖」でジークフリートなのも、白鳥の乙女=戦乙女、という北欧の神話から来ている)



* 何か一言 *

この第二日目で物語が終わっていたら、どんなに良かっただろうか。

ここでエルダとの言う「反抗の精神」とは、運命や欲望に対する反抗、自制であると私は思う。
決められたものに抗い、おのれの力で道を切り開く者を罰したことで、ヴォータンは自分で自分の道を閉ざしたのだ、とエルダは言いたかったのでは無いだろうか。
それに対し、自暴自棄に陥り、自分は滅びなど恐れない、むしろ自ら望んで滅びよう、すべての遺産はヴォルスングの手に委ねる、と言ってしまったヴォータンは、エルダの真意を解さなかったばかりか、自ら道を閉ざし、可能性を投げ捨てて、それで良しとしたヤケッパチな愚か者ということになる。エルダが黙って沈んでいくのは、そんなヴォータンの姿にあきれ果てたからではあるまいか。

物語の最後で神々はエルダの予言の通りに滅びるが、ジークフリートもブリュンヒルデも死ぬのだから、結局、ヴォルスングの一族は何も受け継ぐことなく絶えてしまう。事実として、ヴォータンの望んだとおりにはならず、神々の血筋は途絶えるのだ。

 滅ぼすもの、それがこの物語の中の「愛」。

ブリュンヒルデがジークフリートに語る「笑いながら、あなたとわたし、ともに滅びましょう 笑いながら、あなたとわたし、ともに堕ちてゆきましょう!」は、まさにそのことを指しているように思われる。
この物語の中でヴォータン(そしてワーグナー)の言う「愛」とは、結局何も残さない。愛されるものは死に、愛を知らないものは生き残る。

この物語のテーマは、たぶん「愛」である。だが、愛には、受け入れると拒絶する以外に、さらに異なる道がある。
神に従うことは滅ぼす愛を受け入れることであり、神に反抗することが知恵の女神エルダの持つという「太古からの母たちの知恵」に通じているのなら、愛を拒絶するアルベリヒの道とは別に、すベてを受け入れ、肯定する愛というものこそが、エルダの言う道のような気がする。

オーディンは過去の過ちを受け入れられず、自ら正すことも出来なかった。それが神であるがゆえの悲哀ならば、人間であるということは幸運だ。それゆえに、人は滅びない。

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