北欧神話−Nordiske Myter

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ゲスタ・ダノールム

Gesta Danorum


ゲスタ・ダノールムとは、キリスト教の司教アブサロンの秘書(書記となっている本もある)だった、サクソ・グラマティクスという人物による「デンマークの国の歴史」と言うべき書物である。彼の名前、サクソ・グラマティクスとは、文法家(または、学者)のサクソという意味のあだ名である。
くだんの「ゲスタ・ダノールム」冒頭には、こう書かれている。

「ほかの諸国民はみずからの事績の名誉を誇りにし、先祖の思い出を楽しむのを常としておりますので、デンマークの司教アブサロン様も、かねがね祖国を賛美することに熱意を燃やされてきました。しかし、わが祖国が、そのような名声と記録を欠いていることに耐えられず、ほかのかたがお断りになったため、末席を汚すわたくしにデンマーク人の事績を歴史のかたちにまとめる仕事を委託され…(後略)」


アブサロンは、パリに学び、デンマークの大司教となった人物で、現在のデンマークの首都・コペンハーゲンの建都者でもある。
「ゲスタ・ダノールム」とは、そのアブサロンが、自分の秘書であるサクソに、それまで言い伝えのみであった自国の王家について書かせた書物なのである。
時代はスノリとほぼ同じだが、どちらかというとサクソのほうが少し先輩に当たるという説が主流だ。

ただし、時代が同じでも、作風は少し違う。
スノリがノルウェー王の家系を語る「ヘイムスクリングラ」を”自国語”で書いたのに対し、デンマーク王家の歴史を語る「ゲスタ・ダノールム」は当時の学僧の間で一般的だった”ラテン語”で書かれている。
そのうえ、サクソの書くものは多少回りくどいラテン語なので、人により好みに差がある。

また、ゲスタ・ダノールムが「デンマーク史」と呼ばれることもあるように、この本はあくまで「伝説時代から続く、デンマーク王家の歴史」を記したものであり、「信仰された神々の系譜を記す神話」ではない。


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「ゲスタ・ダノームル」は、全16巻から成る大作である。
アブサロンの存命中には完成しなかったため、次代の大司教スネソンに献呈された。その内容は、3部構成になっている。

1)1-9巻
 建国者ダン王からゴルモ王に至る異教時代。神話的、英雄叙事詩的な内容を多く含む。

2)10-13巻
 デンマークの過去、ハラルド青歯王からニルス王までの歴史時代の数世紀。
3)14-16巻
 書かれた当時の「現代」。エーリク・エムネス王の即位、アブサロンの大司教叙任など、サクソが実際に生きていた時代の記述。

歴史書として信頼をおけるのは、サクソが実際に知りえた2)と3)の部分だが、それ以前の部分、つまり1)は、人々の語り継いだ、中ば伝説と化した物語である。そして、この1)の部分こそ、オーディンやトール、フレイといった北欧神話の神々の名前が登場する部分でもある。

ただし、ここで言う「オーディン」を、北欧神話でよく知られた「オーディン」と同じものとして扱ってはいけない。

冒頭でも書いたとおり、この本は、あくまで「デンマーク王家の歴史を記したもの」である。
かつての北欧では、「歴史(ヒストリー)」と「物語(ストーリー)」に差はない。語り手、記録者たちは事実と架空を同時に扱い、区別することはしなかった。スノリやサクソの時代から、ようやく歴史と物語の分離作業が始まるが、すでに渾然一体となってしまった「過去」については、もはや、どこまでが真実で、どこからが虚構(あるいは信仰によって作られた出来事)なのかの区別がつかない。
そのため、記述の中では神話上の人物も歴史の一部として組み込まれ、人間であるかのように振舞う。
神話と歴史が別物として認識される現代においては奇妙に見えるかもしれないが、当時は、どこまでが架空の出来事で、どこからが本当にあった出来事なのかの区別はなかったのだということを念頭においていただきたい。(そうすれば、神話に出てくるオーディンは元は実在した人物なのか? などという疑問に悩むこともない)

また、北欧神話の中心となるエピソードが「エッダ」、つまりアイスランドで書かれたものであることにも注意したい。
同じ北欧圏、同じヴァイキングの子孫とはいえ、アイスランドとデンマークではキリスト教化された時期も、国の雰囲気も違うだろう。


北欧神話の著書を多く手がけておられる谷口氏によって、この部分は和訳されている。
一般の書店ではなかなか見つけるのが難しいかもしれないが、東海大学出版会から「デンマーク人の事績」というタイトルで出版されているので興味のある人は探して見るといいかも。
ここでは、自分が興味を引かれたエピソードについて、メモがわりに拾い書きしておく。

・オーディンの妻フリッグの不正とオーディンの追放
・オーディンの息子バルデルと、ホトブロート(ホッドブロット、ホズブロート)の子ホテル(ホズル、ヘズ)によるナンナ略奪戦、バルデルの死
・オーディンによって人の三倍の寿命を与えられた男、スタルカテル(スタルカドル)の生涯
・アムレート(ハムレットの原型)による叔父への復讐

オーディンが初登場するのは、第一の書の「7」である。この書物はデンマークの歴史なので、ぶっちゃけ自分とこの王家の祖先じゃないオーディンはどうでもいいらしく、ぞんざいな扱いを受けている。初登場のシーンは、このようになっている。

そのころオーディンというものが全ヨーロッパで誤って神と見なされていたが、ウプサラにたびたび滞在するのが常であった。そして住人の愚鈍によってか、その場所の快適さのゆえか、とくにそこに滞在することを好んだ。北方の主たちは熱烈な崇拝によって、その神性に敬意をあらわそうと、その像を黄金で覆い、その立像を崇拝のしるしに、もっともらしい礼拝によってビザンチウムへ送った。


いちおう「神」という扱いは受けているが、サクソ自身キリスト教徒のため、不完全な神、力のない神として描かれているのは仕方がない。また、エッダでおなじみの世界の終焉や巨人たちとの戦いのような雄雄しいエピソードは、この書物には入っていない。あくまでデンマーク史なので、デンマーク王家の血筋の人々の戦いがメインであり、オーディンの一族は、そこにチョッカイを出してくる余所者扱いである。

これらのエピソードは、「北欧神話の一部」として、北欧神話の本に入れられてしまっていることも多いが、先述した理由から混ぜることは妥当ではないと思われるので、注意してほしい。


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