北欧神話−Nordiske Myter

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ヲーディンのざれごと(戯言)


 『「オーディンの箴言」は、何だか神様の言ってることというよりは、村の長老が若者に説教しているような感じを受ける』
 …と、どこかの誰かが言っておりました。

 いわれて見れば確かにそんな感じ。宗教っぽさはほとんど無いし、たまに神話のエピソードに触れられている以外、オーディンが語る必要性はべつに無い。ような気がするけれどオーディン以外にそんなまめなことをして権威を誇示しるような神さまもいないんで、まぁ…いいのかな…。
 もっとも、この箴言は「ハーヴィ」というオーディンの別名によって語られているわけだから、オーディンを意識しなくても別に構わない。どっかの集落にハーヴィというジイさんがいて、ロッドファーブニルというどうしようもない若者を前にグチグチ延々と話をしている光景をイメージしてもOK。

 だいたいからして、オーディン、偽名が多すぎる。
 箴言本体ではハーヴィと名乗っているけど、箴言内に出てくる過去の武勇伝の話(詩人の蜜酒を盗みに行くところ)ではベルヴェルグとも名乗っている。名前ごとに違う姿を取っていたようで、ペテン師っぽい香りがする。そりゃ誰も信用しませんてー…。
 「わしは昔、つよぉい戦士だったんじゃア!」「はい、はい。じーさん分かったからそこらへん座って、座って。」ってカンジで村の人から適当にあしらわれてそうな勢いだ(笑)。
 最高神が欺瞞の塊でもいいんだろうか。

 特徴的なのは、これらの「箴言」に、ヴァイキング的な考え方が多く出てくること。
 とくに「贈り物」や「宴会」に関する考え方などは、現代にはあまり当てはまらない。そもそも社会構造が違うのだから、当たり前といえば当たり前。贈りものひとつで砂塵事件に発展する、この時代ならではなのか。
 しかし、それ以外、たとえば「友達」に関係する箴言などは、現代にも当て嵌めることが出来そうな気がする。友達付き合いのとらえかたは、場所や時代に関わらず今と同じだったのかもしれない。
 この「箴言」、そのまんま現代で使うことは出来ないが、当時のヴァイキングたちが、何を良とし、何を悪として生きていたかという判断基準が分かるという意味で、かなりオモシロい。特にオーディンのアバンチュール・女性くどきの失敗談。^^; おばかさん。

 ちなみに、ここのページのタイトルの由来は…。
 最初、「しんげん」の漢字の読み方がわかんなくて、ずーっと「オーディンのざれごと」だと思ってたから♪
 箴言と戯言。ホラね、似てるでしょ、微妙に。^^;





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