北欧神話−Nordiske Myter

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チュールの剣の信憑性について

きよさんからの投稿です。

1) チュールの剣伝説が実存するかの賛否/信憑性]
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 さて、このお話どおりの「チュールの剣の伝説」のまたは「ケル神(Cheru)の剣の伝説」らしきものは、ウェブ検索してもぜんぜん見つかりません。
H. P. Blavatsky 「Encyclopedic Theosophical Glossary」という辞典には載っているそうですが、典拠など書いていませんから訳には立ちません。 (www.theosociety.org/pasadena/etgloss/cha-chy.htm)。


2)ウィテリウス帝討ち取りの史実
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 この伝説の語るところが、記された史実とあきらかに違うということは言えます。
 八ヶ月天下の皇帝ウィテリウス Vitellius[英] や、それにとって代わったウェスパシアヌス Vespasian[英]についてなら、資料豊富です。(*注:こちらのサイトの「ヴェスバシアン」 は、表記ミスと思います「vesBasian」->「vesPasian」)。
 歴史に記されるこの皇帝の最後は《ゲモニアエの階段(Scalae Gemoniae)まで[*つまりはティベル川のたもとまで]連れてこられた皇帝ウィテリウスは、そこで無数の斬撃を受けて息絶える》というものです。これについては、スエトニウス『ローマ皇帝伝』の「ウィテイリウス伝」にもあるそうですし、タキトゥスもそう報じています。

 ですがタキトゥスは、くだんの「ゲルマン人による殺害」の伝説のもととなったと思われる、次なるエピソードを記録しています。訳すと:

>「ローマが陥落するとウィテリウスは、いったん妻の家に遁れた。しかし、疑心暗鬼におちいった心ののなせる業か、なぜか宮殿にひきかえす。しかし辱たる隠れ場所[*清掃係室とも犬小屋ともいわれる]にいるところを、ユリウス・プラクドゥス Julius Placidus という大隊副隊長(cohort tribune)にひきずりだされた。後ろ手に縛られ、召し物もずたずたに裂かれ、胸くその悪くなる姿で、罵倒す者多く、涙す者のいない只中を連行されていく。と、その途中、ゲルマン軍の一兵卒が迎え立ちはだかった。その者の攻撃は、むしろウィテリウスが怒りの的だったのか、これ以上の恥辱にあわせるに忍びなかったのか、はたまた副隊長を襲ったのであったのか、それはあきらかではない。ともあれ、その者は、副隊長の耳を切り落とし、即座に刺し抜かれたのであった。」―タキトゥス『同時代史 (Historiae)』第3巻第12章84節(英訳:http://www.ourcivilisation.com/smartboard/shop/tacitusc/histries/chap12.htm


3)ローマ時代1世紀頃のゲルマン神
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 もし、なんらかの伝説が存在したとしたら、上のタキトゥスの史実が著しく曲げられて「ケル神(Cheru)の剣の伝説」などととして伝わったのではないかと思います。「ケル(Cheru)」というゲルマン神はなじみが薄いかもしれませんが、紀元一世紀頃、ローマ帝国が傭兵(外人部隊)としたり、あるいは討伐したりしたゲルマン部族は、ケルスキ族(Cherusci)といい、アルミニウス(ドイツ名ヘルマン・デア・チェルスケル)というケルスキの首長が、トイトブルクの森でローマの二個軍団を撃破したことはあまりにも有名です。

 ケル神とは、ケルスキ族が崇めた神であるととるのが筋がとおっています。これについてグリム著『チュートン神話』も、
>ケル=「剣」の意 - ケル神 (ケルスキ族) 
>≒ サクスの意=「剣」 - サクスノット神(サクソン族)
という興味深い論を展開しています。


4)アッティラの剣
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 さて、後半のアッティラについては、リュードベリの執筆のなかでも呼んだ記憶があったのです
が、ヨルダネスが記述しています:

>[アティラは]気性からして、かねてより自信に満ちあふれたものであったが、それが、さらなる確信を増したのは、スキタイの歴代王にとってつねに神聖とされた《軍神マルスの剣》(gladis Martis)を発見したためである。史家プリスクゥスによれば、以下のような状況の下に発見されたそうだ:

>「ある羊飼が、自分の追う家畜の群れのなかで、びっこをひいた若牝牛がいるのに気がついた。診ても原因はわからない。そこで、血のしたたる後をたどっていいくと、そのうち、牛が草を食むとちゅう、あやまって踏んでしまったらしい剣につきあたった。それを地から掘り出すと、直ぐにアティラのもとへ持参した。
> アティラは献上品をいたく喜んだ。野心のつよい彼のことである。これで全世界の統治者に選ばれし者となった、この《マルスの剣》さえあれば、すべての戦で優位の優位は約束された、とそう思ったという。」

 ―ヨルダネス著『ゴート史(Getica)』35章 (羅英 http://www.harbornet.com/folks/theedrich/Goths/Goths2.htm)



1. サクスノット神
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前回の書き込みでは、

>ケル=「剣」の意 - ケル神 (ケルスキ族) 
>≒ サクスの意=「剣」 - サクスノット神(サクソン族)

を根拠として、タキトゥス『年代記』など、第1世紀のローマの第一資料に登場する正体謎の「チェルスキ族」というのは、じつはよく知られる「サクソン族」ではないかという説をグリムが展開していることに触れました。

 ここをまず、もう少し噛み砕いて説明したいと思います。
 まず、「サクス」が「剣」の意味であることはわりと知られています。フランク人の剣は「スクラムサクス」といいますし、ディートリヒ伝説に登場するエッケの剣もエッキザクスとかそういう名ですよね。

 サクスノット Seaxneat[Saxneét,Saxneat]という神について資料は乏しいようです。
 じつは、19世紀に、本の綴じに使用されていたのを発見された古文書に、英国の東サクソン系の歴代王の家系の記録("de regibus orientalium seaxonum")が発見されましたが、これによれば、東サクソン国王の初代がGesecg、Seaxnotの子となっています。 (http://www.ldolphin.org/cooper/appen8.html 等)。

 ただ、この古文書そのものには、書かれていないようなのに、この古文書の情報にもとづいて作成したらしい家系譜には、サクスノットが、ウォーデンの子になってるんですよね。何が根拠なのか不明なんですが。
 さて、ヨーロッパ大陸で、どこにサクスノット神の記録が残っているかというと、これまたおかしな場所にあって、ゲルマン信仰の人たちを無理やりキリスト教に折伏させたとき、Abrenuntiatio と言って、いわば「踏み絵」のような儀式をおこなわせたときの記録なんだそうです。ゲルマンにとって北が神聖なる方角だったのですが、まず強制的に西を向かせてトール神(Thunar), ウォーデン神(Woden[Wôden])、サクスノット神(Saxnot[Saxnôt])の三神への忠誠を捨てさせ、東を向かわせてキリスト教を受け入れさせた、とのことです。

2. ケル神と「剣」を意味するゲルマン語
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 さてケル神のほう(上の数式の左辺)ですが、グリムによると、ケル Cheru 神は、ヘル Heru 神の音声の変化だといいます。
「ヘル」(またそれに近い語は)ゲルマン系言語の各語に例があり(ゴート語 haírus, アングロサクソン語 heor 古サクソン heru 古ノルド hiörr) いずれも「剣」を意味する語だそうです。

3. エオル神というルーン文字に示される神
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 そして、チェル/ヘル神に音・意味合いが似ているものに、エオル(Eor)神がいると言います。
 グリムの解説によれば、ゲルマン軍神は、地域的にチュール(Tyr)神は、あるいはエオル神という名でも信仰されていたといいます。
(なんて言っても、そんな神、聞いたことない、とおっしゃられるのがオチですけれど。)

 この「エオル神」たる存在の痕跡について、グリムは次のように解説しています。
 まず、グリムは、軍神崇拝が、チュール信仰とエオル信仰の形態に、地域的に分かれている根拠として、曜日の名前に着眼していま
す。火曜日は、ローマでは「軍神マルスの日」ですが、バイエルン、チロルやオーストリアでは「火曜日」のことを「エオルの日」の系
統(Ertag, Iertag等)で呼んでおり、シュヴァーベンやスイスでは、「チュールの日」系統(Ziestag等)で呼んでいるので、かなり明確に地理的な線が引けるようです。

 次の証拠は、『アングロサクソンのルーン詩』です。その原典+現代英語訳は http://www.ragweedforge.com/rpaa.html にあります
が、その冒頭は、

>フェオは、「富」のフェオ..、ウルは「原牛(アウロックス)」のウル..」云々

でして、最後の一節が、

>エアルは「穂(?)」のエアル。
>およそどの士(もののふ)にとっても、おぞましき。
>躯(むくろ)が、みるまにも冷えはじめ、
>黝(あおぐろ)い土のふところに横たえられるとき、
>栄華は凋落し、幸福は消滅し、
>盟約は違(たが)えられる。

 エアルというアングロサクソン語(古期英語)の基本的な定義は、現代英語の"ear of wheat"とまったくおんなじで、「(麦の)穂」という意味なのだそうです。ただし、それではこの詩では意味が通じないので、リンク先の訳では実際は「エアルは墓のエアル」と訳しています。グリムも、ここは「エアルは死神のエアル」というふうに解釈しています。そうすればこの詩説にはぴったりあうとグリムは言うのです。
 日本でも槍先のことを「穂」と言いうように、西洋でも「槍」と「穂」とは近いイメージがあります。「エオル」には「死神/破壊神/軍神」の意味があり、それは「槍穂/剣先」を神格化したものなのだ、という仮説を導こうとしているではないでしょうか。

 その結論に達しているのが Richard F. Burton (カーマスートラや千夜一夜の英訳者)で、その著書"The Book of the Sword"13章,
p.270脚注 (http://www.jrbooksonline.com/HTML-docs/Book_of_the_Sword.htm の注48)にそのことが書かれています。
 じっさい、チュール神のルーン文字「↑」(t にあたる)とエアルのルーン文字「v|v」(|棒の上にw)(ea にあたる)とはよく似ています。
 そこで Burton は、もともと槍をかたどるチュール神のルーン「↑」があったが、ゲルマンの武神信仰がしだいに槍ではなく剣を対象にするようになってから、チュール神のルーンをベースに、剣を模したエアルのルーン「v|v」が発明され、そちらが崇めるようになった、と考えました。


**岡沢の個人的意見。

 「チュール」と「エオル」についての考察は、確証は無く、グリムの個人的解釈だろうと思うのですが、それはそれで面白いかと。
 同じ神格を二つの名で呼ぶとしたら、時代の違いにせよ、方言の違いにせよ、違う名前のものを同じ神と扱っていいものか? という問題も生まれますし。



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