過去ログ入り口へ

タイトル スコットランドケルト色々
記事No 1976
投稿日 : 2004/12/13(Mon) 22:51
投稿者 水槌
遅ればせながら移動しました。
すいません。レス返した時点で、板間違えたな〜とは思っていたのです。はい。

>マクラウド

『イオナ』はマクラウド名義で出版されているので、マクラウドとして叫んだんだと思いますよ(だとしたら、正確には「かのじょ」というべきなのだろうか…)。それに、これって自分の作品を評して言っているのではなく、スコットランドケルト全般に対して述べた言葉だと私は思っていたのですが…、原本を読んだことがないので実際のところは何とも。

ちなみに、私が日本の妖怪ミイラを初めて知ったのは、確か荒俣センセイの著書でした(おそらく中学生の頃)。人魚に対する日本とヨーロッパとのイメージの差なんかも面白ポイントですよね。

>マクファースン

なるほど。読んでみるのが一番ですか。確かに。古本屋で買うべき文庫本リストに追加しておきます。いや、史料を見たらまず疑うってのが、古代史やってる人間の悪い(しかしながら必須な)癖なもので。口承伝承を歴史史料として利用するとなれば、相当の慎重さを必要とするはずですし。まあ、(ケルトはどうせ門外漢なので)物語として楽しめれば、個人的には再話か原典かはそれほど問題ではないのですが…(正直なところ『オシァン』を敬遠している最大の原因は…長くて暗そうってところだったりします)。

あと、えらい余談ですが、うちの弟は現在、数十回目のロマサガ2をプレイ中です。ドット絵万歳!

タイトル ゲールとは風を意味するという…
記事No 1977
投稿日 : 2004/12/14(Tue) 21:48
投稿者 岡沢 秋
> 遅ればせながら移動しました。
> すいません。レス返した時点で、板間違えたな〜とは思っていたのです。はい。

いやーこちらこそスンマセン、せっかくの話題ですので、ログが流れていって消えてしまうのでは勿体無いかと思いまして。ノーマルな掲示板は、スレッドが長くなると、携帯電話でご覧になってる方にはスクロールが大変なんですよ。^^; レスがついたスレッドから上に上がるので、場合によっちゃ、全くわからん神話の話題を延々と読まされることにもなりますし。

というわけなので、どうせ長くなることが分かっている神話ネタ(笑)とかは、こちらの別室に書いていただけると嬉しいです。


で、ちょこちょこマクラウド読み返してみたのですが、どうやら自分が記憶していた「スコットランド・ケルトは、ただひたすら、哀しい」という文句は、ちくま文庫「ケルト民話集」の中にある「イオナより」の部分でした。巻末の解説ではなく。

読んだ当時は民族構成がよく分かっていなかったのですが、スコットランドの高地(いわゆるハイランド)に住む人々というのは、ローマが侵略したときにブリテン島の北の端に追いやられ、閉じ込められた民族なんですね。

しかし、映画「キング・アーサー」でピクト人として出てくる、いわゆるアーサー王の敵とは異なる。

また彼らの言葉であるゲール語…これは岩波の「オシァン」や、上記マクラウドの作品中にいくつか文例がありますが、どうも、ウェールズのケルトとは言葉として少々違うようです。

見た感じ、たとえるなら…ノルウェー語とアイスランド語の違いよりは大きい違い、というくらい。ケルト、と一まとめにされてはいるけれど、ウェールズ人とゲール人って、かなり前に分岐したんじゃないかと思いました。(シロート見解なんで、ちょっと足元が弱いですが)

なので、ウェールズ人が持っている伝説と、ハイランドのゲール人がもっている伝承は、言語同様、異なっていても不思議はない。むしろ独自の伝承は持っていると考えていい。

「オシァン」巻末の解説内に、「5世紀の聖パトリックによるフィン王一族の批判」という記述が出てくるので、フィン(フィンガル)の歌は、それ以前に出来ていたはずですね。

ゲール語は歌として、人々に記憶されて継承されたものなので、時代ごとに変化はするでしょうが、基本的に人が伝えるのを中断した時点で消滅しているはずですよね。

「オシァン」がマクファースンの創作と考える人は、フィンランドの「カレワラ」がリョンロットによる創作だと言うのと同じく、大部分を捏造・編纂したと言いたいんだと思います。オシァンに収録された歌事態の存在を否定することは、誰にも出来ないはずです。

ゲール語による歌はまだ伝えられているわけだし、マクファースンが歌を集めに行ったあとも、何人もの学者が現地に赴いている。なので、マクファースンによる完全なる創作という説はまず在り得ないし、口伝であるものは、人から人へ連続して伝えられてはじめて存在するはずだから、過去の歴史に断絶があったとは思えない。

暗い悲劇的な物語は、故郷を追われ、迫害され続けてきた民族の、悲しみの過去を回想する物語だと思うんですよ。悲しい思い出をひとつひとつ、じっくり感じるように思い出す。だから重苦しい。誰かが死んだ物語を、死ぬ前と死ぬ瞬間だけ描いて、死んだ後のことは一行で済ませる。だから重いし、暗い。

葬式の席の思い出語りを想像するとドンピシャです。
そんな膨大な過去の死者たちの思い出を、一人の人間に作れるだろうか? と、思ったり。

まぁ…ちと長い語りですが…、
要するに、オシァンが気に入ったということ…(笑

今度「ケルト辞典」に「そゆこと書いてると国際問題だから。」ってクレーム入れときますね(嘘です^^;)。

物語のイメージ色は、灰色と青です。

歌は小分けにされていて、一つの歌はそんなに長くないので、ちびちび読めばいい感じ。



> あと、えらい余談ですが、うちの弟は現在、数十回目のロマサガ2をプレイ中です。ドット絵万歳!

いや参りました。マジで。最近のゲームは何ですか、アレ。
高校生の書いたライトノベルのひどいやつみたいなシナリオですよ。
ロマサガ2はいいですよね。うんうん。あの時代に戻りたい。あとタクティクスオウガとか…

タイトル ナショナリズム
記事No 1978
投稿日 : 2004/12/20(Mon) 00:47
投稿者 toroia
 岡沢さんの考えって、ケルト事典とさほど変わらないような気がするのですが……。マイヤーさんてドイツ人だから、少なくともケルトにかかわる前まではイデオロギー的な先入観はなかったんじゃないかと思います。研究者になってからはどうかは知りませんけど。

 とはいえ「オシァン」も時代が時代ですから、どうひねってもナショナリズムの問題にならざるを得ないですよね。例えばベーオウルフやスノリは全然時代が違いますけど、カレワラとなら並行して考えることも可能かと。そもそも近代国民国家概念の成立以降は、いかなる「民俗」or「民族」文化といえどもナショナリズムの軛から逃れることはできません。(そういえば、スコットランドの「伝統衣装」は近代になって「創られた」ものだったりします。もしかしたら読まれているかもしれませんが、『創られた伝統』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314005726/)。

・・・そもそも、オシァンが最初からゲール語ではなく英語で出版されたのが悲劇の始まりなのかもしれない。でも当時、自分たちをスコットランド人(ハイランド人)だと思っている人々にとっては、「私たち」ではない「彼ら」=英語話者であるイングランド人がいて、初めて自分たちのアイデンティティを主張することができる状況でしかなかったというのもまたむなしい。それが力では勝てない「敗者」ができる唯一の自己主張。

タイトル 見方は色々あると思うのですが
記事No 1979
投稿日 : 2004/12/20(Mon) 03:27
投稿者 岡沢 秋
色んな見方で議論することによって、その問題の存在を明らかに出来るのは良いことだと思う。
たとえ結論は出なくてもね。

>  岡沢さんの考えって、ケルト事典とさほど変わらないような気がするのですが……。

他の資料も参考にしてみると、マイヤー氏は友好的なほうだと分かりました(笑 ただしダブリンの大学にも行ってるので、そちらでオシァン否定派の意見を受け入れてたかもしれませんね。

とりあえず↓リサーチの結果はこんな感じでした
http://www.moonover.jp/2goukan/oisein/pres.htm

土日で資料探して、結局見つかったのがこれだけですから、驚くほど言及が少ないですよ。「スコッチランドの歴史」という本の中にオシァン一行だけ。みたいな。
それにしても、見方がバラけているのが面白いところです。

Troiaさんの指しているナショナリズムの問題というのが、どういう意味なのかいまひとつ良く分かっていないのですが…民族意識ということではないんですね? 近代国家成立というのは?
ナショナリズムのくびきというのも、ちょっとアバウトすぎて、どういうことなのか分からないです。ハイランドとローランドの対立のことでしょうか…

スコットランドのタータンチェックやらバグパイプやらのことは、別の場所から調べていて当たりましたが。


> ・・・そもそも、オシァンが最初からゲール語ではなく英語で出版されたのが悲劇の始まりなのかもしれない。

まー、それじゃ誰も読めないっスからねえ(^^;
ゲール語弾圧のせいで、読める人が極端に少なくなっている中でのことですし、マクファソンがオシァンの材料を集めていた当時、ゲール語のアルファベット表記について正書法はまだ存在しなかったそうですから、ゲール語で出す意味はあまり無かったんじゃないかな、と。

でゲール語の原典が英語からの翻訳と言われる理由は、たぶん、正書法に沿っていないバラバラの表記だったものを、マクファソン&その協力者たちが、統一した書き方に直して出版してしまったのが原因だと思うんですよ。「なんだこれは、新しい書き方じゃないか。ニセモノだ」と。読みやすくしてあげたら上げ足とられちゃったんですね。
(違ってたらスンマセン)

んなこと言ったらベーオウルフだって、書き直した部分は新しい表記になってるんですが。^^;

とはいえ一番の悲劇は、オシァンが出た後の動乱で、あったかもしれないゲール語の原典は消失、ゲール語でオシァン物語を歌えたという歌人もほぼ全滅、オシァンを批判していたアイルランド側ですらジャガイモ飢饉で人口のほとんどが流出して口伝は散逸。証拠を探そうにも残ってないということですか。あと200年早ければ…。

タイトル 創られた伝統
記事No 1980
投稿日 : 2004/12/21(Tue) 01:07
投稿者 toroia
うろ覚えだったんで改めて読み返してみたら、オシァンについて色々書かれてました。
しかし。。。。岡沢さんが読んだら2ページ目でゴミ箱に投げ捨てるであろう記述ばっかりですので、読むときはご注意を。

いわく
「まったくもって、高地地方文化の独自性および独自の伝統という概念の総体は、懐旧のなせる捏造といってよい。17世紀後半になるまでは、スコットランド高地人という独特の民族は存在しなかったのである」
「スコットランドの吟遊詩人たちは、周期的にアイルランドから見限られた役立たずであり、スコットランドという重宝なゴミ捨て場に打ち捨てられたものであった」
「2つの別個で大それた文書偽造によって、彼ら[ジェームズ・マクファーソンとジョン・マクファーソン]はケルト的スコットランドの存在を示す固有の文芸作品をでっちあげ」
「マクファーソンらのまったくの鉄面皮にはあっけにとられる」
「スコットランドに存在するアイルランドのバラードを拾いあげて『叙事詩』を書き、そのなかですべての筋立てをアイルランドからスコットランドに移し変えるとともに、本当のバラードを最近の劣悪の作品として不当にとり扱い、真正のアイルランド文芸をスコットランドの模倣に過ぎぬものとして無視したのである」
「マクファーソンは著作でも、政治においても快楽を求める暴れ者で、その目的は冨と権力であり、目標達成のためには無慈悲な果断さをもって、そして究極的な成功を追い求めた」

……マジで、何があったんでしょう……。
ちなみにこの本は論集で、ほかの論文ではイングランドの「伝統」が20世紀のものだとかばっさり切り捨てられているし、編者も、たぶん歴史に名を残すであろう歴史学者のホブズボウムだということで、さほど地域差別的な意図があるとも思えませんが、よくわかりません。ちなみにナショナリズムとの関連も、この序論を読めば何となく理解できるかと思います。

 文芸作品の価値は、とくにオシァンのようなデリケートなものの場合、それ自体の価値(歴史に無関係な価値)と、ほかの文芸作品との関連の中での価値(歴史的な価値)、それにさっき私が「ナショナリズム」と表現した政治的な価値(作品外の価値)などの側面で切り分けて考えるのが大切だと思いますね。歴史的な価値が否定されようとそれが「それ自体の価値」を貶める理由にはもちろんなりえないし、政治的に利用され、利用したところで歴史的価値・本質的な価値に影響を与えるはずがないんですが。
 また、オシァンをもってスコットランド古代を代表してしまうところもまたおかしいですよね。オシァンの歴史性一つを否定したところで他に多くの証拠はあるのにもかかわらず、鬼の首を取ったように書き上げる/逆もまたしかりです。

 ところで「聖パトリックがフィン一族を批判……」のくだりですが、聖パトリックはウェールズ生まれ、アイルランドで布教した人なんで、正確な文脈がわからないので何ともいえませんが、もしかしたらアイルランドにおけるフィン伝説を批判しただけで、スコットランドのそれについての傍証とするにはちょっと不足かな、と思ったり。

タイトル 歴史学的価値と文学的価値
記事No 1981
投稿日 : 2004/12/21(Tue) 03:05
投稿者 水槌
密かに『オシァン』のページが追加されるのを待っていた甲斐がありました(人に調べさせているとも言う…)。更新お疲れ様です。
toroiaさんのおっしゃるとおり、「作品の価値とは何か」というのは難しい問題だと思います(政治的な問題がそれをさらに助長しているようですし)。で、

> 物語そのものの価値と、真贋をあーだこうだ論議することは別ではないだろうか?

というのはまさしくその通りだと思うのですが、それに関連して一言、二言…三言ほど。

私は歴史学を学ぶ者の端くれですので、歴史史料としての価値に関する議論になりますが、上記の文章、私は文学的な価値と歴史史料としての価値は違うという意味に取りました。これは、どれほど文学的な価値が高かろうと、歴史史料としての価値が高いかどうかは分からないということでもあります。
ちなみに、歴史史料としての価値がゼロの文学作品というのはおそらくありません。村上春樹や吉本ばななだって、現代という時代を考える際の史料としては十分に使えますからね。『オシァン』も、その受容のされ方を含め、それが発表された当時の時代状況を知る上では、歴史学に大きく寄与するものだと思います。
ただ、古代史研究にも同様に寄与するものであるかどうかは私には分かりません。真贋の議論は、文学的な価値に関しては二次的な意味合いしかないと思いますが、歴史学的な価値、それも古代史史料としての価値に関しては、決定的な意味合いを持つはずです。

『オシァン』を発表する時にマクファースンが何と言って発表したのか私は知りませんが、もし「3世紀の詩人オシァンの歌った古歌」の翻訳として発表したなら、それがスコットランドの口承伝承に基づいていたとしても、「3世紀の詩人オシァンの歌った古歌ではない(後代における著しい付加・変容がある)」ことが判明した時点で「偽書」とされるでしょう。そして、普通の歴史学者なら3世紀の古歌が原形を保ったまま、口伝によって千年以上の時を経るなどということは到底信じられないと思います(もし原型を保っているとするなら原典となる写本か何かがなければおかしいといった議論になり、ゲール語の原典を出せ!みたいな話になったのではないでしょうか? ただの推測ですが)。

私はキーレンという人の『スコットランドの歴史』という本を読んだことはありませんが、もし上記のような経緯で『オシァン』が偽書とされたなら、歴史学者たるキーレン氏がマクファースンをペテン師呼ばわりするのも故なきことではないように思います。前後の文脈や本全体の内容にもよると思いますが、この本が「歴史学」の本なら『オシァン』の文学的価値にまったく触れていなかったとしても、それだけで著者を責めることは出来ないのではないかと思うのです。何故なら、歴史学者は取り上げる文学作品の文学的価値に言及する必要はないですし、それをするだけの能力を彼らに求めるのは少々酷だと考えるからです。もちろん、歴史学者も文学的価値に鈍感であってはいけないと個人的には思いますが、そこに拘泥しすぎると客観性が失われ、そもそも歴史学ではなくなってしまいますから(以上、少々歴史学者を弁護。まあ、それ以前に政治的な要因によって、目が曇っている可能性は十分にあるわけですが)。

そう考えると、マイヤー氏の『ケルト事典』は、「歴史史料としてはあんまり使えないけど、文学的価値は高いよ」と述べているように私には見え、かなり真っ当な評価に思えます。『ケルトの歴史地図』も同様(どちらも引用箇所から受ける印象に過ぎませんが)。

私自身、『オシァン』をいずれは読もうと思っていますが、これを古代史の史料として見ようとは思いません。すでに述べたように、創作ではないとしても、口承伝承をさらに翻訳・編集したものとなれば、相当な史料批判をしない限り、真っ当な歴史史料としては使い物にならないでしょうから。

この辺りは本当に、神話・伝説・民話全般に関わる問題だと思いますが、深みにはまりそうなので本日はこれくらいでご勘弁を…。


> ロマサガ2はいいですよね。うんうん。あの時代に戻りたい。あとタクティクスオウガとか…

えー、タクティクスオウガの話題を私に振るのは非常に「危険」ですので十分ご注意を。
未だに攻略サイトに出入りしてたりするくらいなので、語りだすと長いです。
「水槌」のHNも、あのゲームで愛用していた武器「アクアハンマー」から取ってたりします。

タイトル ひゃー。ほんとに何があったんだ
記事No 1982
投稿日 : 2004/12/21(Tue) 20:45
投稿者 岡沢 秋
色々と、興味深い話ありがとうございます。
考えさせられてしまいますねえ。

toroiaさん
> しかし。。。。岡沢さんが読んだら2ページ目でゴミ箱に投げ捨てるであろう記述ばっかりですので、読むときはご注意を。

壮絶な書きっぷりですね、それ(笑
スコットランドに対する国家侮辱ばりですね。^^;

しかしちょっと気になるコレ↓
> 「スコットランドに存在するアイルランドのバラードを拾いあげて『叙事詩』を書き、そのなかですべての筋立てをアイルランドからスコットランドに移し変えるとともに、本当のバラードを最近の劣悪の作品として不当にとり扱い、真正のアイルランド文芸をスコットランドの模倣に過ぎぬものとして無視したのである」

マクファーソンことマクヴーリッヒは、アイスランドに対するスコットランドの優位を歌ったのでしょうか? たとえば「オシァンは3世紀のものだ。だからアイルランドよか古いんだ!」みたいに。
だとすれば、アイルランド側の、これほどまでに激しい反発の数々も納得がいきます。
もちろん、アイルランド側も「スコットランドの詩人なんてクズだね。ウチらのパクりじゃん」と言ってるので、どっちもどっち…といいますか、一部韓国人と一部日本人の60年越しのバトルに似かよったものがあります…ね。

>  文芸作品の価値は、とくにオシァンのようなデリケートなものの場合、それ自体の価値(歴史に無関係な価値)と、ほかの文芸作品との関連の中での価値(歴史的な価値)、それにさっき私が「ナショナリズム」と表現した政治的な価値(作品外の価値)などの側面で切り分けて考えるのが大切だと思いますね。歴史的な価値が否定されようとそれが「それ自体の価値」を貶める理由にはもちろんなりえないし、政治的に利用され、利用したところで歴史的価値・本質的な価値に影響を与えるはずがないんですが。

ナショナリズムとは、民族のアイデンティティとして利用されることを指している、と取って良いでしょうか。

>  ところで「聖パトリックがフィン一族を批判……」のくだりですが、聖パトリックはウェールズ生まれ、アイルランドで布教した人なんで、正確な文脈がわからないので何ともいえませんが、もしかしたらアイルランドにおけるフィン伝説を批判しただけで、スコットランドのそれについての傍証とするにはちょっと不足かな、と思ったり。

そうなんですか。
オシァンに対しての批判は、「フィン王なんかいない」というのがそもそもの批判の論旨のようなのです。それだったらアイルランドのフィン伝説も無かったことにされてしまうのではないか? という疑問があります。アイルランドのフィン王は存在して、スコットランドのフィン王が居なかった、なんてことはあるだろうかと思いますよね。

普通に考えたら、一つの伝説が、近しい二つの地域(今はそれが別々の国になっている)に、それぞれ形を変えて伝わった、と言うべきなのではないかなー…とか。

それで、不当な批判だなぁと思ったのです。

----------------------------------------------------

>水槌さん

歴史としての価値と、文学としての価値(神話についてはこっちが優先)というのは、確かに違いますね。と、いいますか、今まであんまり気にしていなかった部分でもあるので、なるほどと思います。
オシァンをバッサリ斬っているキレーン(すんません名前間違ってました)も歴史家ですし。

確かに、3世紀のものとしては描写が妙なところもあるんですが、しかし3世紀のものであってもおかしくない部分もあると思うんです。ケルト人は、その頃にはシェトランド諸島まで行って遺跡を利己しているので、スカンジナヴィアまではあと一歩なんですよ。到達できない距離じゃない。ローマ軍さえ、紀元84年にシェトランド諸島経由でスコットランドに攻めて来ているし。フェロー諸島も確かノルウェー人が入植する以前にケルト系の人たちが住んでいたはずなんで(ちゃんと調べてないですケド)、もしフィン王が3世紀にいたとしたら、スカンジナヴィアまで遠征に行ってたとしても不可能ではないと思う。

でも服装の描写が、当時のと食い違うらしい…では、そこだけ後世に付け足したのかもしれない。

そう考えると、他の神話資料と同じ、「では、どこまでが古い時代のもので、どこからが新しい時代のものなのか」という問いに辿り着く。(それが史料批判ということですよね? アイスランド・サガに対して行われているのと同じ)

じゃあそれをやりませんか、と。マクファソンは具体的に、何処の部分を何処から取ってきたのか、何を元にして何を書いたのか、それが知りたい。で、調べようというわけです。

100%作り物、全てがアイルランドの借り物、ということは、ちょっと考えられないんですよね。自分が読んだ感じで。


余談
オウガネタは、怖いので、では、止めておきます(笑

タイトル …失礼します
記事No 1983
投稿日 : 2004/12/22(Wed) 17:14
投稿者 一条
あまりにおもしろいことになっているので、感想程度になりますが、参加させていただきます。

ナショナリズム…とーてーも、説明は難しく、「世界システム論」(気にしないでください)と並んで、私の中で2大「人に説明できないギョーカイヨーゴ」なんですが…近代国民国家の成立以後、人々の帰属意識が「○○村の某」から「××国の某」へと変容した、とかそういう話で、以降人々は「国家」やら「民族」なるものを意識し出した、とかそんな議論だったような。
ただ、それが作られたものであるかそうでないかという議論には幾分イデオロギッシュな面も含まれますし、個人的には、「ナショナリズムの問題ですね♪」と言い出さずに議論は不可能か、みたいなことを考えます。

スコットランドはイングランドとの統合の際、ほとんど吸収合併みたいなかたちで統合されていますし、以降の歴史においても、議会内での対立や、宗教上の対立、王への意識、産業革命に顕著に現れるような経済格差、などなど、スコットランド/イングランド、ハイランド/ローランドの多層構造の対立が存在し、ローランドはむしろイングランドに接近していただとか、植民地として統合されたアイルランドへの優越意識やアイルランドの方の反発などありましたし、同時代に書籍出版事情も大きな変容を遂げた時代であり(書籍出版に関してもイングランドとスコットランドは激しい対立を…根が深いですね!)、そういったことを考え合わせなければ、『オシァン』の評価あるいは、そもそもなぜそれが当時出されたのか、に関して理解するのは難しいのだろうな、と思います。
(まったく守備範囲外ですから、不適切なことを言っていたら申し訳ありません)

ですから、私は、「それが発表された当時の時代状況を知る上では、歴史学に大きく寄与する」とされる水槌さんの議論はまさにそのとおりだと思いますし、個人的にはそっちの話のほうがおもしろいなー、と思ってしまったり。(神話・叙事詩好きとしてはかなり邪道な態度ですね!)

UKはひとつの「国家」のなかにブリテンだけでも4つの「ネイション」を抱えるので、難しいといえば難しく、おもしろいといえばおもしろい国ではあると思います。歴史や文学は、それ自体のみならずその受容や後代の研究ですら、確実に時代の必要性や研究者のアイデンティティに左右されざるを得ないわけですから。

個人的に、現在のヨーロッパ統合の深化に伴いアイデンティティの面でどのような変化がもたらされるのか、ブレアの地方分権政策はどう出るのか、スコットランドが独立国としてEUに参加するという話はどうなる、とかそういうことのエトセトラが歴史研究、文学史研究にどういった影響を与えていくかが楽しみではあります。

友人に言わせるとスコットランド史は今トレンドなんだそうです(ふーん)。ですから、今後動くかもしれませんね、動くといいですね、といったところです。(古代ブリテンもトレンドというかやっと日本でも光が当たってきた、というか、なところですからこれからがおもしろいのでは、とか…)

--------------------------------------------------

>岡沢さん

更新お疲れさまです。
今ちょうどケルト非在だのヨーロッパのアイデンティティだのに興味をもっていることもあり、たいへん興味深く拝見させていただきました。お声をかけていただけたのにお力になれず申し訳ありません。
「一部韓国人と一部日本人の60年越しのバトルに似かよったものがあります…ね」……言い得て妙、かと……。
しかし俄然興味が。『オシァン』の読まなきゃ本リストへの追加を検討中です。

--------------------------------------------------

>水槌さん

大学時代、近代史の先生と近代文学の先生が史資料の扱いに関して熾烈な闘いを繰り広げるのを観戦したことがあります。
「描かれている家族像は、たしかに当時の状況を、一般であれ特殊であれ反映してるはずだろ? そこへの詳細な検討無しに『…』における家族イメージなんて、浅薄で恣意的な論に過ぎないんじゃないのか?」
「歴史学者って、ほんっとーにつまんない本の読み方するんですね! 私が考えたいのは『当時の家族像』じゃないんです。この作品の家族像なんです。たしかに不要な議論とは言いませんけど、そんなこと知りたかったら小説読まずに戸籍見ますよ!」
議論というよりもバトルでした。最後は完全にけなし合いになり、翌日歴史学コースの学生だけ出ている授業でその先生はのたまいました。
「なんだかんだいって結局歴史学は学問の王様ですからね! みなさん誇りをもってくださいよ!」
……。
自分のやってること好きで好きでたまらない人間は好きなんですけど、実際そうでもなきゃ学者なんてやってられないんでしょうけど……。

これは近代だからまだバトルとして成立するのであって……、古代はそもそも使えるか使えないかから問題、ですね。私の恩師と先輩は神話を史料として認めるかどうかで大喧嘩して袂を分かちました。
「あんたは史料は使わないの?」でしたね、恩師の名言。「ですから、○○神話とヘロドトスを…」と先輩が答えると、「そんなものは宗教学者と好事家に任せとけ! あんたの論文読んでも歴史読んでる気にならん!」と。これは極端な話ではあるのでしょうが…。(師匠はローマ史の人なのでまたそこの溝もあるんでしょうか、ね…)

さらに哲学者がはいるとバトルは混線模様(けして誤変換ではありません)、中世哲学研究科と中世史研究家と中世文学研究家がいっしょになってやっている研究会のシンポジウムに出かけたことがあるのですが…議論がかみあわないかみあわない。

文学としての価値、史料としての価値……たいへん難しい問題ではありますが、研究者間に存在するふかーい溝を、キレーンの話あたりで思いました。
それがおもしろいっちゃおもしろいんだけど、もすこし仲良くしたらもっとなんか楽しい話ができるかもしれないのに、と学生時代は思っていましたから。(うちの大学が殊に仲悪かっただけなのかもしれませんが!)

余談になりますが、高校生の弟と喋っていて、ふたたび現場の歴史の先生の苦悩と偉大さみたいなものを思いました。進学して教採目指している友人と水槌さんのことを思い出しましたので、ひとこと。

タイトル いらっしゃいましー
記事No 1984
投稿日 : 2004/12/23(Thu) 19:38
投稿者 岡沢 秋
こんちゃーす、一条さん。参加ありがとうございます。
スコットランド史レクチャー、オレも連れてってくださいよー。
何処でもついて行きますよー。

自分、人生はハッタリで生きてますから、判ってるフリして実は判ってないというオチもよくあります…。ええと。寝て喋ってるか起きて喋ってるか疑わしい時は、問答無用でイッパツ殴ってみてください。よろしくです…。

過去ログ入り口へ