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投稿時間:2002/07/08(Mon) 02:17
投稿者名:ろき
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地名ネタいろいろ
1.ベッヒェラーレン(現代綴り:Bechelaren 中世綴り:Bechera^ren)
 現ペヒラルン(Poechlarn)のサイト、ドイツ語Yahoo!で探りあてましたよー。
 http://www.poechlarn.at/
 "Herzlich willkommen in Poechlarn der sagenhaften Nibelungenstadt"
 『ニーベルンゲン伝説の町、ペヒラルンへようこそ!』とのっけから書いてあるように、
 メインページの上フレームに、"Nibelungenlied"のメニューが!
 それと左フレームの"Stadtinformation"と"Tourismus"を一通り見れば、
 地図やニーベルンゲン記念公園(Nibelungendenkmal)の紹介文も見つかります。
 不必要かもしれませんが、とりあえず独語→英語の翻訳サイトのURLも書いておきます。
 http://world.altavista.com/
 ※"oe"はオー・ウムラオトの代用表記です。

2.アクィタニア(Aquitania)
 下のツリーで話題になってるアクィタニア(現アキテーヌ)のことですが、
 ゲルマン民族移動期、この地域は西ゴート王国の拠点だったそうです。中心都市はトロサ(現トゥールーズ)。
 で、この西ゴート王国、当時は西ローマ帝国の領土であったヒスパニア(現スペイン)を、
 帝国の衰退滅亡のスキをついて征服してしまいます。(470年)
 その後、フランク王国にアクィタニアを奪われる(507-508年)まで、
 アクィタニアとヒスパニアは同じ王国の支配下にあったわけで。
 ……つまり、混同されてもおかしくない歴史的素地があるみたいなんです。

3.ブルガンディ(Burgandy)
 ついでにウァルター繋がりで。ブルガンディは現ブルゴーニュ(Bourgogne)地方ではないでしょうか?
 ブルガンディはブルゴーニュの別称……というか、
 ブルガンディ(独語)=ブルゴーニュ(仏語)なので。
 ちょうどドイツ語圏とフランス語圏の境あたりにあるので、二通りの呼称があるんだと思います。
 ちなみに察しがつくかもしれませんが、ブルガンディという地名は、
 この地に進出したブルグント族を由来としているそうです。

投稿時間:2002/07/08(Mon) 12:59
投稿者名:岡沢 秋
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ありがとうございます!
 さっすが。大学でやってるだけあるわ。
 ペヒラルンの綴りはPoechlarnなんですか。そりゃわからんわ(笑 ドイツ語やったことないし、ポーチラルンにしか読めない・・・。

 これで「ニーベルンゲンMAP ver.2が作れます。
 今度はワルテルさんの国も入れてみましょうか。

 それにしても、ニーベルンゲン伝説が地元村おこしに使われとるとは。
 いいな。行きたいな。いつか行こう。

投稿時間:2002/07/08(Mon) 14:50
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
Re: 地名ネタいろいろ
管理人さんが『ニーベルンゲンの歌』の物語マップを手がけておられます→http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/niberunku/niberunk-map.htm

> 1.ベッヒェラーレン(現代綴り:Bechelaren 中世綴り:
> Bechela^ren)
すなわち、物語マップで「辺境伯の城」と標されている場所ですね。

あといくつか標すとしたら、まずウオテ王太后の兄(弟)で、グンテルやクリエムヒルトの伯父(叔父)にあたる司教ピルゲリーンが治める町パッサウですね。これはドイツのオーストリア国境ちかく、ちょうどイン川とドーナウ川が交わるところです。つづりは、Passau[独], Pazzouwe[B写本]。

 それから、ジフリートの死に場所は、岩波版もそうですがB写本(15章:911詩節)ではライン左岸で現今のフランス領ヴォージュのヴァスゲンワルド[岩波:ワスケンの森](Wasgenwald[独] Waskenwalt[B写本])で、C写本ではライン右岸のオーデンワルト(Odenwald[独]
Otenwalde/Otenhein[C写本])。岩波の巻末註で少し触れています。これは、もう書きましたっけ?

 そしてトゥルンTulln[独]Tulne[B写本](21章:1341節)とWien[独]Wiene[B写本](20:1162,64や22:1361-75)の間にあるトレイゼンムーレ城 - Zeizenmûre[B写本], Treysenmûre[C写本]、すなわちトレイゼム川のほとりにあるフン族の城館で、かつての北の政所さまじゃなかったエッツェルの前妃ヘルヘェさまのお住まい(1332)。クリエムヒルトの輿入れの一行がこの城に四日間逗留した(1336)場所です。このヘルヒェのお城の町は、現今のツァイゼルマウエル[?] Zeiselmauer[独]で、トゥルンの約10km東にあります。 ここからウィーンまでは方角的に東南なのですが、ドナウ河沿いだと直線ではないので道程は約25-30kmほどでしょうか。

ハゲネの出身地のTronege[B写本]は、現代ドイツ語で Tronje と表記されますが、現在にそういった土地が存在しているわけではなく、その場所については諸説あるらしい。
 たとえばsunsite.berkeley.eduの英訳の電子テキストによりますと、その名はローマ時代の植民地"colonia Trajana"にするもので、位置ライン下流にあったとしています。しかし"Schwarze Netz"と言うサイトではその正反対で、こちらではエルザス(アルザス)州のトロニア(Tronia)、現今のキルヒハイム(Kirchheim)あたりと主張します。後者の場所はhttp://www.abracadabra.qc.ca/situation/Kircheim.htmlで見るとおり、ストラスブールの以西22kmです。ここには、いちおうローマ時代のガリアの城址もあるそうな。ハーゲンの出身地としては、こちらの方が納得いきますね。甥っ子のオルトウィンの出身地のメッツ Metze[B写本]、現今のMetz[独, 仏]つまり現フランス・ロレーヌ地方の中心都市メスからもそう遠くないですから。
  アルツェイ - フォルケールの出身地。ライン地方のマインツの南西30km(ウォルムスの北西20km)。Alzeye[B写本]、現今Alzey[独]。

 バイエルンのエルゼ辺境伯と領主ゲルプ<sub>フ</sub>ラート兄弟と、その渡し守関係:
メーリンゲン Moeringen[B写本]は、エルゼに仕える渡し守が、渡し舟を経営していた場所で、ハゲネに殺された死に場所です(26:1591)。現今のグロスメーリンク Gro&szlig;mehring という、インゴルシュタットから東に8kmほどの市です。
 また、クリエムヒルトの輿入れの一行が通りかかる(21:1291)ドーナウ河畔の町フェルゲンもこの近くです。じつはVergen [B写本]は、「渡し守」という意味。じっさい、「エルゼ辺境伯の渡し守」の原文は"Elsen vergen"でした。これは現今のプ<sub>フ</sub>ェーリンク Pf&ouml;rringという、ごく小さな町です。
 小さい町などは、なかなか地図に載ってません。私は最小限のドイツ語知識で、 http://www.reiseplanung.de というサイトで確認しました。これはクライエント形式なので、結果マップはそのつど一時的に作られてあとは削除されてしましますから、URLはコピペできない(と思います)。
 ので、もしよければチャレンジしてみてございませ。まず、動くコインのようなアニメをクリックしないと前にすすみません。出発点がパッサウならリストボックスは"Deutschland"(ドイツ)のままにして、"Ort(場所)"の箱にPassauと入力します。目的地がベッヘェラーレンならばリストボックスは"O:sterreich(オーストリア)"を選択して"Ort(場所)"の箱にPoechlarn, (Pochlarn でも通してくれました)。 次の画面で道順の指示のページが出ますが、そうしたら Karte(地図)という見出しの下の、Routeナントカというリンクをクリックすれば、マップがでます。

もし挫折するようでしたら、GIFをご用立てします。

投稿時間:2002/07/08(Mon) 21:18
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
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ひとつわからないのは
 「エッツェルンブルク」の位置。

 私は、今までエッツェルンブルクは現エステルゴムのことだと思っていたのですが、グラーン(Gran)と書いてある本がありました。
 位置的にはエステルゴムあたりなのですが、その周辺の別の町とする説もあるのでしょうか。それともグラーンっていうのは、エステルゴムの一部?
 …と、そこらへんが、どうもよく分かりません。

 エッツェルンブルクは、かなり大きな町ですね。
 パッサウは、教会のおかげでかなり有名だし。
 それにひきかえ、ヴォルムスが田園都市とは、これいかに。

 ジーフリトの死に場所については、色んな本で言及されてますね。
 新バージョンの地図にはそれも入れようと思いつつブキヨウなので一向に進まなかったり。


> ハゲネの出身地のTronege[B写本]

 に、ついては、以前、ろきさんちのサイトで話してたことが、ありまして。


『現代のフランス・ドイツあたりに住んでいた当時の人は、とかく彼ら自身をトロイアと結びつけたがる傾向にあった。
 ギリシアvsトロイア、という対立構図が、ローマvs彼ら、という構図と重なるように見えたようだ。
 もちろん真剣にローマvs彼らの軍事的な戦いが行われたのは、ゲルマン民族大移動期と、さらにその以前『ガリア戦記』『ゲルマニア』の時代。
 その時代、その地域に住んでいたのは、ゲルマン人というよりむしろケルト人が多かった。
 だが両民族は時代変遷や民族移動の中でかなり混血していくし、
どちらもローマからは蛮族として見られてたことに変わりなかった。

 このローマ側の価値観は、中世の間変わらない。ローマカトリック至上主義こそ中世精神。
 自己保身のためにカール大帝やらに戴冠したりしてるが、それはもちろん建前で、ローマ人は内心ずっとアルプスより北方を蛮族の地だと思っていた。
 もちろん蛮族と思われる方も当然いい気せず、そういうローマに対する鬱屈した思いが、彼らの中でずっと続いてたのではないか。
信仰心がそれらの思いを抑えきれなくなり(ってそれだけじゃないけど)、各国王のローマへの背反が始まるのが『歌』成立期と微妙に重なる。
 で、そのあたりの記憶や思いから最初に書いたような思考傾向が生まれ、そこからトロイアの地名が出てきたのではないか。

 また、これはハゲネの出身地についてのみ通じる説だが、そもそもトロネゲというのはトロイアではなくて、トラヤヌス(ローマ皇帝・帝国領土を最大にした賢帝)と関係があるのかもしれない。』

 …と、いう説が出ていました。(過去ログコピー)


>  また、クリエムヒルトの輿入れの一行が通りかかる(21:1291)ドーナウ河畔の町フェルゲンもこの近くです。じつはVergen [B写本]は、「渡し守」という意味。じっさい、「エルゼ辺境伯の渡し守」の原文は"Elsen vergen"でした。これは現今のプ<sub>フ</sub>ェーリンク Pf&ouml;rringという、ごく小さな町です。

 …うーん。ほんとだ、載ってないですね…。
 スイマセン。地図サイトに玉砕しました。ドイツ語まったく分からず!
 
 あのう…
 ええと…
 ドイツ語で「地図」って、何ていうんですか…。もうそっからして何がなんだか…。

投稿時間:2002/07/09(Tue) 13:07
投稿者名:ろき
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タイトル:
Re: ひとつわからないのは
>  「エッツェルンブルク」の位置。

1.エッツェルンブルク=現エステルゴム
2.エステルゴム(ハンガリー語)=グラーン(独語)

いろいろ地名検索してみた結果、上の二つの結論が得られました〜。
なので、この3つの地名は、時代と言語は違えど同じ都市をさしているみたいです。
推測ですが、グラーンというドイツ語名は、第一次世界大戦前、
ハンガリーがオーストリア(ドイツ語圏)領だった時代につけられた名前ではないかと。

> > ハゲネの出身地のTronege[B写本]
>  そもそもトロネゲというのはトロイアではなくて、トラヤヌス(ローマ皇帝・帝国領土を最大にした賢帝)と関係があるのかもしれない。

これは、きよさんの書かれた、"colonia Trajana(トラヤヌスの植民地)"を出元とする説と、
同じ説を指しているのかもしれない。……と今気づきました。

>  ドイツ語で「地図」って、何ていうんですか…。

"(die) Landkarte"(市街地図は"(der) Stadtplan")です。

投稿時間:2002/07/09(Tue) 19:07
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
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タイトル:
ドイツ語か!!
> 1.エッツェルンブルク=現エステルゴム
> 2.エステルゴム(ハンガリー語)=グラーン(独語)

 あぁなるほど!!
 つーことは参考書が地名を統一してなかっただけなんスね。そうか。
 ドイツ語じゃないですもんねハンガリー。
 いま一つのナゾが解かれた…。



 余談ですが、フォルカー兄さんはフルネームでフォルカー・フォン・アルツァイだけど、アルツァイの出身かもしれないけれど、身分は高くなかったと推測されます。
 アルツァイの町はフィーデルを家紋としていますが、もしそこの身分高い良家の出身だったとしたら、わざわざ、身分の低い「ヴァイオリン弾き」の名で呼ばれることはないはずです。(たとえ趣味で楽器が弾けたとしても。)
 本文中に、彼がアルツァイの領主であるという記述はなく、単に「出身」と書かれているだけですしね。

 旗手、という重要な役を与えられるほどでありながら、わざわざ何度も「楽師」と、呼ばれるということは、以前は本当に楽師で、その地位から、何か大きな手柄をたてて取り立てられたのではないでしょうか。

 でもってハゲネと過去に何かありげな親友ですよ。

 めちゃめちゃオイシイ役じゃないですか? 歌って戦えるお兄さん。

投稿時間:2002/07/11(Thu) 08:29
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
エッツェルンブルク
>  「エッツェルンブルク」の位置
  エステルゴムというのは、もしかしたら歴史上のアッティラが本拠地を置いたところでしょうか?
岩波本の1379詩節の巻末註には、
> エッツェルンブルクすなわちエッツェルの城下は、現今の
> ハンガリーのオーフェンである。この町はドーナウ川を
> はさんで首都ブダペストの対岸「右岸」にある。
とあります。 
 http://www.nakade.org/touou-budapest2.htmというサイトでは、こうなってました:
>ブダペストはドナウ川を挟むブダとペストが一緒になった町だが、
>そのガイドさんによると、ペストは“かまど”のことで、
>ドイツ語では“オッフェン”、
>英語では“オーヴン”。ブダはよくわからないが「水の意味ではない>か」という。
英訳のETEXTの注釈は、「エッツェルンブルクをブダペストの古都街(ドイツ語でオッフェン)に比定する説もあるが、確定はできない」としていました。 

www.Reiseplanung.deの地図サイトですが、説明不足でしたか。「地図」は、ろきさんのおっしゃるとおり Karte[独], carte[仏]。
このサイトのマップだせれば達成感が味わえると思いますので、しつこく押しつけがましく説明いたしますです。最初の画面ですと、上のマスというかコマが

_QuickRoute___________________________________________ 
..............................................................州 ?..地名....街・番地
.............................................................PLZ....Ort....Strasse/HausN
Start(スタート)..[Deutschland] [ ]......[ ].......[***** ]
Ziel(ゴール).......[Deutschland] [ ]......[ ].......[***** ]
__________________________________________[Go!]_________
のように、出発点と到着点を二行に入れて分けるようになっています。例えば、"Deutschland"はそのまんまで、PLZは無視。
"Ort"の下の箱にWormsとPassauとでもそれぞれ入れ、[GO!]のボタンをクリックすればOKだと思います。ウムラウト省略したって、多少のスペル違いは認識してくれます。
 GOの後、「候補がこれとこれがあるがどっちかに決めてくれい」みたいに言ってくる場合と、そのまま道順説明のページがすんなり出る場合があります。次ページの道順説明は 
        00:00 2km Worms
        00:01 12 km ナントカ通り
などがダーっとならんででます。その下二コマ目あたりに Karte(地図) になっています。ハイパーリンクが四つくらいありますが:

Karten/Stadtkarten [地図・市街地図]
--------------------------------------------------------------- 
_Route〇〇_ _Start〇〇_ _Ziel〇(概)_ _Ziel〇(詳)_
--------------------------------------------------------------- 
一番左の"Routeu:bersicht" ルートの概要をクリック。すると結果マップが出るはず。
 スタート地とゴール地に旗が立って書かれ、ルートも色線で塗られます。たとえば、
Ingostadt -> Pfoerringは、ほぼドナウ川沿いでこんな感じ:

|>...................................................................................................
|  .........................................................===========................... |>
INGOLSTADT =======o=====..........................========|
..................................Grossmehring..............................................

つまり、Grossmehring[メーリング-渡し守の生き・死に場所] はレーベルされますが、Pfoerring[フェルゲン-クリエム妃ルトが通りすがった]は、ここじゃレーベルされません。
縮小を変えてズームインすればPfoerringとレーベルされた地図が出ますが。

 そういえば、アルツェイエの町の紋章にフィデルがあると触れておられましたが、検索途中でたしかいろんな町の紋章に出くわしましたねえ。
紋章はたしか[独] Wappen ワッペンですよね。次のサイトの絵がいいですね:

Alzey -
http://www.ngw.nl/int/dld/kreis/alzeyw.htm
http://www.ngw.nl/int/dld/a/alzey.htm

投稿時間:2002/07/11(Thu) 19:55
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
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Re: エッツェルンブルク
> >  「エッツェルンブルク」の位置
>   エステルゴムというのは、もしかしたら歴史上のアッティラが本拠地を置いたところでしょうか?

 そう、そこです。
 オーフェン説より、エッツェルンブルグ説のほうが多かったのと、オーフェンってあんまりパッとしない(何があった場所なのか知らない)のとで、無視ってたんですが。
 エッツェル王はアッティラがモデル、とするのなら、その首都もおそらくアッティラのいた場所だろうと思うのですが…

 相良氏は、なぜオーフェンとしたのでしょうか?

>地図

 やっと見れました! ヴォルムスがマンハイムの文字に隠されかかってる(笑)
 ろきさん、きよさん、どうもお手数かけて申し訳ない。
 あぁもう。地図という単語すら分からんとは…ドイツ語辞書が必要だわ。
 そうそう、ドイツ語の「ニーベルンゲンの歌」が買いたいのですが、オススメの本はありす? amazon.comとかでも、けっこう色々あるみたいなんですよね…。

 ベーオウルフやカレワラのように対訳のものがあればベストなんですが、過去にそういうものを見た覚えがないので、もしかしたら存在しないのかもしれない。

>そういえば、アルツェイエの町の紋章にフィデルがあると触れておられましたが、検索途中でたしかいろんな町の紋章に出くわしましたねえ。

 おお!
 いいですね。こういうの、ニーベルンゲン記念公園にズラリと並んでるらしいのです。
 オルトウィーン、ディートリッヒなど、出身地が分かっている人はその町の紋章を持ってくればいいとして、果たしてハゲネの紋章とは?

 トロニィエの町は何処だ!(笑)
 そういえば、ジーフリトの出身・サンテンの町、ローマ時代以前の名前は「トロイア」だ、そうですが…ま、あんまり関係なさそうですか。

 ハゲネはエッダの時代から存在したけれど、「フォン・トロイア」がついたのはニーベルンゲンの歌が最初ですよね。
 もしかして、作者の思いいれのある土地だったのかも。

投稿時間:2002/07/11(Thu) 20:28
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
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タイトル:
地図で遊んでみたんですが
 …ハンガリーってドイツ語でなんていうんでしょうか。
 プルダウンメニューの中にそれらしきものが見つからなかったんですよ。もしかして、このサイトでは扱ってない?

 ラップランドまで入ってるのに〜…。

投稿時間:2002/07/12(Fri) 09:39
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
Re: ハンガリーはUngarn
ハンガリーはUngarnです。オーストリアは O:sterreich はいいましたっけ?

私は、Ofen(のプダペストの「ペスト」)て入れてみたら、ブダペストじゃなくて、Ofenに一番スペルが近似しているわりと近くの町を出してきましたよ。でも、ドイツサイトですから、ドイツつづりでOKなはずです。
>  …ハンガリーってドイツ語でなんていうんでしょうか。

投稿時間:2002/07/12(Fri) 10:50
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:
URL :
タイトル:
Uで始まるなんて反則だ・・・ 。
 そうだったんですか、ありがとうございます。
 Hで始まるもんだと思い込んでいました・・・ 。
 オーストリアは見つかりましたよ。Oで始まるので。しっかりガッチリと画像を保存しました(笑)

> 私は、Ofen(のプダペストの「ペスト」)て入れてみたら、ブダペストじゃなくて、Ofenに一番スペルが近似しているわりと近くの町を出してきましたよ。

 最初、プルダウンで国の名前を選択することに気づかず、ドイツのままでペヒラルンを検索したら、全然違う街が出てきました・・・ 。
 ブダペストとエッツェルンブルクも出してみなきゃ。♪

投稿時間:2002/07/08(Mon) 20:22
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
Re: ブルゴント国のこと
 ブルゴントが現在のフランスのブルゴーニュかということですが、私の『ヴォルスンガ・サガ』英訳書にはブルゴント族の移動地図が載っています。これによると彼らは機嫌200年頃オーデル河以東を離れ、ラインラントの方にやってきてのだそうです。そして436年、ウォルムズあたりのブルゴント王国はフン族に壊滅せられ、落人はフランスの方へ落ち延びたようです。

オーデル河以東といえば戦後にドイツからポーランドに分譲された場所ですね。国がかわったというだけでなく、その地に住んでたドイツ系の人は内までオン出されて住み慣れた地を追われたそうで、なにしろ時世が時世ですか、子供なんかも徒歩でドイツ本邦までたどりつかなきゃなんなくって、何万もの死者が出たそうです。。

 アキテーヌの話も出ましたが、エレアノール・ダキテーヌ妃は、英国のリチャード獅子王の母親だけでなく、かのアーサー物語の作者クレチアン・ド・トロワのパトロンである、マリー・ド・シャンパーニュの母親でもあるんですよね。
 

投稿時間:2002/07/08(Mon) 23:27
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
Re^2: ブルゴント国のこと
>  ブルゴントが現在のフランスのブルゴーニュかということですが、私の『ヴォルスンガ・サガ』英訳書にはブルゴント族の移動地図が載っています。これによると彼らは紀元200年頃オーデル河以東を離れ、ラインラントの方にやってきてのだそうです。そして436年、ウォルムズあたりのブルゴント王国はフン族に壊滅せられ、落人はフランスの方へ落ち延びたようです。

コレっすね↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/niberunku/nazo-6x.htm

年表もあったり。↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/niberunku/niberunku-retold8.htm

民族移動図はココに。↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-e/consideration3.htm

いろいろ仕込んであります(笑)


>  アキテーヌの話も出ましたが、エレアノール・ダキテーヌ妃は、英国のリチャード獅子王の母親だけでなく、かのアーサー物語の作者クレチアン・ド・トロワのパトロンである、マリー・ド・シャンパーニュの母親でもあるんですよね。

 あ、そうなんですか?!  そこらの時代になってくると、手を出したことのない世界…。クレチアンのパトロンですか。
 うーん。そういえばクレトアン作品の和訳がまだ見つかっていません。完訳ってあるんでしょうか。

投稿時間:2002/07/09(Tue) 19:04
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
Re^3: リチャード獅子王
 私も、英米では常識ていどの知識しかもちあわせていませんが、リチャード獅子王は、「ロビンフッド」物語にも登場しますよね。だいたいは、十字軍に出征していてイギリスにおらんので、そのあいだノッチンガムのシェリフとか、王弟のジョンがそれに乗じて悪さする設定になっています。
 よくいわれることですが、十字軍遠征のときのリチャードは異教徒は女子供も虐殺しており、逆に敵に寛容だったのはイスラムの将のサラディンの方だとのことです。
 十字軍は、たしか軍だけでなく、非戦闘員のなのか物見高い一般市民みたいのが大勢わらわらとついてきて、物資も現地調達(つまりフーリガンのごとくして略奪)したりしてたかと思いますが、そういうのもサラディンは虐殺しなかったのでしょう。

 リチャードは、十字軍の帰途でどっかのあくどいヨーロッパの王にとっつかまって、莫大な身代金を払わせられましたが、この故事にちなんで法外な金額のことを「King's Ransom(王の身代金)」と言ったりします。
 リチャードはしかし有能で、フランスの領土も多く獲得・維持しましたが、その死後即位した弟のジョン欠地王は英国史上最低最悪ともいわれ、フランスのフィリップ大王にフランス領地の多くを奪回させられてしまいました。
 先代のヘンリー2世(エレアノール・ダキテーヌの再婚先)が溺愛していたのはじつは弟のジョンの方で、領地相続の見込みが無いため父王がおお可哀そうにと思い「欠地王子」などと綽名したそうです。
 リチャードは戦争に明け暮れたせいか、(じつはホモセクシュアルとも言われますが)子孫をのこさなかったので、弟のジョンが後を継いだのです。

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