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投稿時間:2002/08/31(Sat) 18:00
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
atyimさんからの投稿
 サイトのリンク整理中で、別の掲示板に迷い込まれた方がおられたようなので、文章を転載します。

+++

>神(=godではないそうですが)、特に唯一神とは何だろう?
神的な体験というのは誰しも少しはあるものだろう
と思いますが、そういうものからすると、あえて唯一神と呼ばれるユダヤ、キリスト、イスラームの神は何か非常に特殊歴史的な意味で「唯一」なのではないか?と思うのですがいかが。
神的な体験というのはもともと唯一にして絶対だから、多神教でも一神教でも同じではないのか・・・と

エジプトの神々はギリシャのように人間くさくなく、また逆に抽象的すぎることもなく、具象的で、威厳があり、神秘的でそのために今でも忘れられることがないと思います。

世界中の神々の間を歩んでみることが出来るというのは素晴らしいことです。
そういう意味では私も同盟に参加したいです。モーセたちもエジプトと同盟すれば良かったのか?ヤーヴェとオシリスに親戚関係はないのか?

+++
 以上がatyimさんからの書き込みです。
 これは、前回のモーセ関係のスレッドとも一部テーマがかさなると思うのですが。

 私個人としては、神的な体験が絶対だという説には、疑問があります。神的な体験とは何でしょうか。自分が感じたとして、それが他人の感じるものと同一だと、どうすれば分かるのでしょうか。
 単に人間を越えたものに対する畏怖、というのであれば、おそらく人類はみな共通してそのような感情は持っているのでしょうが、その畏怖からいかなる神の像を描き出すかは、地域、民族、時代ごとに様々であるものと思います。

 もしかすると、その神の像をひとつに絞るかもしれないし、多彩な神のイメージのすべてに同じ名前をつけて呼ぶかもしれない。
 一神教というものの、キリスト教は実は三位一体で、簡単に考えても3つは神のイメージがあったということですよね。

 エジプトの神々は…人間くささがない、というよりは、人間とは一線画した別の種族っぽく感じます。
 家族を持っているし、寝たり起きたりするし、欲望らしきものもあるのだけれど、仕事熱心でマジメなために、ギリシアの神々ほど派手に職権放棄しなかっただけ…かも、しれません。

 atyimさん含め、他の方々の意見はどうでしょうか。

投稿時間:2002/08/31(Sat) 19:33
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
Re: atyimさんからの投稿
>  私個人としては、神的な体験が絶対だという説には、疑問があります。
神的な体験とは何でしょうか。自分が感じたとして、それが他人の感じるも
のと同一だと、どうすれば分かるのでしょうか。
>  単に人間を越えたものに対する畏怖、というのであれば、おそらく人類
はみな共通してそのような感情は持っているのでしょうが、その畏怖からい
かなる神の像を描き出すかは、地域、民族、時代ごとに様々であるものと思います。

急に飛び込んで日頃の感想みたいなものを書いたのに
丁寧にご返事いただいてありがとうございます。
一神教とか、創造神、ほかの宗教の神を排除あるいは超越するような宗教の神について日頃から関心があったのでこんな書き込みになりました。
特に自分がなにか特別な体験をしたとか、それを誇ろうとかそういうことは
思ってないつもりです(^^;)考えてみると、創造神は別にして仏教の中にも
今上に言ったような宗教はありますよね。
 エジブトの神にもそんな要素があるのかどうか知りませんが、仕事熱心で
まじめなんですね?本当に何も知りませんが、顔がワニだったりする神様も
いるようで?別種族という感じもあるかもしれません。

>神的な体験が絶対だという説には、疑問があります。神的な体験とは何で
 しょうか。

これについては矛盾するようですが、私自身も同じ疑問を持っています。
しかし神に出会う、あるいは体験するような経験には何らかの「絶対性」
あるいは他にないと言う意味で唯一性があるのではないか?たとえその
神が、「地域、民族、時代に限られる」神であり、今はもう祭られること
がない忘れられた、あるいは埋もれた神であるとしても・・・。というよ
うなことを考えますが・・・答えにはなりませんね。

投稿時間:2002/09/01(Sun) 21:45
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
唯一神の宗教は多分…
 日常生活で、いきなり「神について」語り出すとヤバい人扱いですよね(笑) ここのサイトは特定宗教団体とは関係ないし、思想哲学っぽくもないので、幾らでも濃い話題をドウゾ。


 唯一神の宗教というのは、遡れば、特定民族の信仰に行き着くものだと思います。
 今は世界宗教になっていますが、キリスト教やイスラム教は、最初の発生時点では、特定の人々のみ救済する思想だったと記憶しています。
 一神教の持つ排他性は、最初のその思想を打ち出した民族が持っていた、「他の民族に対する排他性」を反映したものだと思います。
 (atyimさんの仰る、「地域、民族、時代に限られる」神、というのは、こういうことでしょうか。)

 それが、途中から、「他の民族の神は認めない」のではなく、「他の民族の神は自分たちの神の別の姿・呼び名」と、解釈を変えることによって、信仰を広めていくようになったのだと思います。


>  エジブトの神にもそんな要素があるのかどうか知りませんが、仕事熱心で
> まじめなんですね?本当に何も知りませんが、顔がワニだったりする神様も
> いるようで?別種族という感じもあるかもしれません。

 ええと、仕事熱心でマジメ、と言ったのは、ギリシア神話のように、神としての役目ほっぽりだして人間とイチャイチャしたり、自分のえごだけで人間も巻き込む戦争を起こしたりしていないから、です(笑)
 冗談半分ですが。

 エジプトの神々が人間ではない姿をしているのは、私は、人間と他の生き物を同等においた思想だと解釈しています。

 なぜ神々が人間の姿をしていなければならないのか。
 世界は人間の形をしたものがつくった、人間は神の姿に似せてつくられた、だから人間は特別なのだ、という考え方は、自然に対する人間優位の、思いあがった思想だと思うんですよね。
 古代エジプトの宗教とは、世界は人と、人でないものが共有するものだ、だから神々は人と、そうでない生き物の中間の姿をしている…という、人間を特別視しないものだったんじゃないかな、と思います。

(砂漠の自然の厳しさの前で、人間はちっぽけだと思ったのかもしれない。)

 半ば自説なので、定かではありませんが。

投稿時間:2002/09/02(Mon) 02:25
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
Re: 唯一神の宗教は多分…
>  日常生活で、いきなり「神について」語り出すとヤバい人扱いですよね(笑) ここのサイトは特定宗教団体とは関係ないし、思想哲学っぽくもないので、幾らでも濃い話題をドウゾ。

い〜や。あんまり中身が濃いとは言えないかもしれないんで・・
エジプトについてはほとんど知らないので、岡さんのページは
すばらしい入門口です。
ヤバイ人と思われなくってよかった(笑)

>  唯一神の宗教というのは、遡れば、特定民族の信仰に行き着くものだと思います。
>  一神教の持つ排他性は、最初のその思想を打ち出した民族が持っていた、「他の民族に対する排他性」を反映したものだと思います。
>  (atyimさんの仰る、「地域、民族、時代に限られる」神、というのは、こういうことでしょうか。)

少し話が難しくなってきました。

まず神という言葉も岡さんがおっしゃるとおり日本語ですし、「地域」「民
族」「時代」という言葉もここ100年くらいの間にやっと定着した言葉
で、300年くらい前になるともうなんのことやら。そういう言葉を使うと
今は、なんだかわかったような気がするだけかもしれません。過去のことに
ついて「こうあってほしかった」という思いが先行してしまうことがありますからね。
別にそのように思い描いて悪いとは思いませんけど。
 歴史の中の神様とむかし本当に居た神様とはちょっと違いそうだと思うわ
けです。

>  古代エジプトの宗教とは、世界は人と、人でないものが共有するものだ、だから神々は人と、そうでない生き物の中間の姿をしている…という、人間を特別視しないものだったんじゃないかな、と思います。

面白いですね。
このサイトの中にいろいろなエジプトの神様の姿を見せてくれる
ようなページはありませんか?

投稿時間:2002/09/02(Mon) 19:07
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
濃。
> まず神という言葉も岡さんがおっしゃるとおり日本語ですし、「地域」「民
> 族」「時代」という言葉もここ100年くらいの間にやっと定着した言葉で、300年くらい前になるともうなんのことやら。そういう言葉を使うと今は、なんだかわかったような気がするだけかもしれません。

 「民族」「時代」など…言葉としてみてしまうと、そうなんですが、「ウチとソト」という感覚で言えば、古代から存在したことは確かですよね。
 たとえばギリシア人は、市民権を持たないよそ者は「バルバロイ」と呼んで区別していた。
 簡単に言ってしまえば、エジプトの古代宗教とは、地域ごとの信仰がゆるやかに融合したものだと思います。街ごとに信仰する神様も教義も違うし、食っちゃいけない生き物すら違っている。他の地域の信仰はあんまり気にしていない。
 その意味では「一神教」に近い思想なのだけれど、ウチとソトの隔たりがかなり薄い。隣の自治体の神様と自分とこの神様を合体させてみたりしている。(そのためにエジプト神話はかなり複雑なことに。)

 歴史の中の神様と、実際に信仰されていた神様が違うかもしれない、という考えには賛成ですが、その歴史、とは、実際は「記録されたもの」だと思います。
 記録された部分がすべてではなく、記録されなかった部分こそ本当かもしれない。そういう疑いは持つべきだと思っています。


> 面白いですね。
> このサイトの中にいろいろなエジプトの神様の姿を見せてくれる
> ようなページはありませんか?

 残念ながら…本から神様の画像を持ってくるのって、著作権に引っかかるかどうか疑問なんですよ〜…(今もかなりビクビクしている。)
 前はコソっと載せてましたが、あまりそのまま使いすぎると怒られるかと思って無くしました。
 壁画からイラストに起こした絵って、誰が著作権を持つんでしょうね。書いた人?

投稿時間:2002/09/02(Mon) 23:04
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
鰯の頭も信心から?
>  その意味では「一神教」に近い思想

そうそこなんですよ。僕がいつもわからなくなるのは。
「その意味」を極端に進めるとなんでも一神教になりはしないか?
鰯の頭も信心からと言うでしょう。

一方一神教が現れたので、世の迷信といわれる、現世利益をかなえ
るだけの宗教は超越されたのだなどという大層な説も一方にはある。

どうも「一神教」には他にない唯一の神、というだけでなくて
相対的なものの上に君臨する「絶対神」というイメージがありますね。
相対的な神様がいろいろ居てこそ絶対神なるものもあり得るのだとしても。

そういう考え方の起こったのが「選民」のユダヤであり、ここに
思想史的な意味があるなどと言われると、ああそうですか・・・と。

さて、我が村、隣村の「一神教」があるように我が町、かの町の
「絶対神」だってあるのではないか?
なにしろ鰯の頭も信心からだから。

投稿時間:2002/09/03(Tue) 16:12
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:
URL :
タイトル:
一神教の神とは、なんであるか。
 ぶっちゃけ「オール・イン・ワン」タイプの神ってことです。
 何でもその神様に祈っとけばいい。その神様は何でも出来る=万能、絶対の神

 エジプト神話には、オシリスやトトやアヌビスといった、その神以外は役目を果たせない「専門職」の神がいます。これらの神は、地域の神とは別に、全域で信仰されていたもののようで、専門職の神まで吸収した、「絶対神」は、生まれるのは難しかっただろうと思います。

 「一神教」というからには、他の神を徹底的に拒絶するか、原形をとどめないように吸収するかしなければならない。
 と、いうわけで、

> 相対的な神様がいろいろ居てこそ絶対神なるものもあり得るのだとしても。

 と、いうのは、私はちょっと違うな、と思います。

 砂漠の国で、ある程度町と町が離れて作られていた(はずの)エジプトでさえ、他の地域の信仰とは無関係でなく、ある程度同じ基盤の上でバラエティを作り出していた、となると、単に地理の条件ではなく、信仰する人々の側に、他の集団と自分たちを隔絶する心理状況があった、と考えられます。
 その心理状況を作り出したものは、その人たちの過去の歴史ではないだろうか。

> そういう考え方の起こったのが「選民」のユダヤであり、ここに
> 思想史的な意味があるなどと言われると、ああそうですか・・・と。

 この、過去の歴史について「思想史的な意味がある」と、表現するのは間違いではないと思うのです。

 余談ですが、社会心理学には集団への所属意識に関する研究分野がありまして。<ウロですが
 内集団意識を高める実験によれば他者への反発意識、集団の象徴となるもの(例えばチーム名)、一緒に苦労した経験などがあると、集団の結束力は高まるそうです。
 チーム名の部分を神の名前に置き換えてみると、たとえばユダヤの民なんかは、この「集団意識の高まる条件」を、ばっちりクリアしているようです。

 絶対神とは、集団がひとつにまとまる上でのシンボルみたいな意味もあったのでしょう。「わが町の神様」もシンボルには違いないでしょうが、人をまとめるためにある神と、まとまっている人々が共通して崇める神とは違う気がします。

投稿時間:2002/09/03(Tue) 20:27
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
鋭!
> 「一神教」というからには、他の神を徹底的に拒絶するか、原形をとどめないように吸収するかしなければならない。
>> 相対的な神様がいろいろ居てこそ絶対神なるものもあり得るのだとしても。
> と、いうのは、私はちょっと違うな、と思います。

> 絶対神とは、集団がひとつにまとまる上でのシンボルみたいな意味もあったのでしょう。「わが町の神様」もシンボルには違いないでしょうが、人をまとめるためにある神と、まとまっている人々が共通して崇める神とは違う気がします。

う〜ん岡沢さんはオールマイティですね。
ちゃんと素人の質問に答えて下さるので敬服します。この後、休み休みでもいいので、時々素人のこのわたしのいちやもんというか、質問というか、
愚痴というか、時々応えていただけますか?もちろん人生相談ではなくて
エジブトと「神」についてですけど。

バールとかアスタルテとかは後に悪魔になります。これは「吸収」の一つの形ですね。映画にも出てきます。絶対神の下に「天使」か「悪魔」かになる。一方仏教の方では、神様は「天人」(毘沙門天とか)になる。
仏教にしてもキリスト教にしても、「普遍的」で「絶対的」な神のもとでは
神々は家来になります。エジプトの場合は専門職だそうだからちょっと違うな。毘沙門天は今も家来として生き残っています。

今までの神々とは全く「地位」の違う絶対神は、グローバリズムみたいなもので、当時の国際関係(神々の関係)の中で、全く新しい「地位」を手にした。と、いうのが、僕らの教えられてきたことです。これが「歴史的な」神です。
 隣村に行ってあなた方の信仰する神は悪魔です、是非手を切りなさいという「一神教」と、雲の上で左うちわで、よしよし、おまえは私の家来になりなさい(鰯の頭も信心なのだから、おまえだってそれなりに私の家来だよ)
という「一神様」とがあるようです。どちらもなるほどと思う。

後者の方がバールやアスタルテ、そしてエジプトの神々の本来の姿を受け入れやすくします。

きょさんがエジプトの神々のクリップを見せてくれました。ありがとうございます。
その中で、NEKHBETの神が一番興味深かった。
極彩色の美しい神。
こんな夢を見たことがあります。

田舎の叔父さんは読書好きで、書庫を設けるほどたくさんの本を読んでいた人ですが、その書庫の中に、誰も気づかないが一冊の古書がある。悪魔の書。ある夏休み私はそれを発見する。そして運命のいたずらか、誰もいない書庫の中でそれを開いてしまう。すると、バールやアスタルテやの神々が極彩色でよみがえる。そのとたん私の運命は変わってしまう・・・・・・という夢。
 その神の姿はNEKHBETに似ていました!。

 





 
 
 

投稿時間:2002/09/04(Wed) 23:23
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
補足
「歴史的な」神というのは、人をまとめるためにある神でなく、まとまっている人々が共通して崇める神とという風に思いますが、これは岡沢さんの言うのとはなんだか少しずれているように思います。何がずれているのか、その辺がもどかしい感じ。
 まとまっている人々が共通して崇める神というのは、こういう風に言い換えたらちがうのでしょうか?すべての民(ユダヤ人)にとって、個々人の判断に関係なく、ヤーヴェが神である。民(ユダヤ人)であれば誰でもが救われる。
どうもそうすると「歴史的な」神というのは「制度的」な神でもあるようではないですか。盟約の神とか契約の神とも言われますものね。
 無理をして、あるいは欲を出して人は一つの神を選ぶのではなくて、
はじめから一つの神しか選べないという条件下にあるということかな・・と。
 

投稿時間:2002/09/05(Thu) 21:11
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
歴史的な神…?
 歴史的なっていう言い方がよくわからないんですが。
 ぼそぼそと考えてみました。

>  まとまっている人々が共通して崇める神というのは、こういう風に言い換えたらちがうのでしょうか?すべての民(ユダヤ人)にとって、個々人の判断に関係なく、ヤーヴェが神である。民(ユダヤ人)であれば誰でもが救われる。

 いえ、ではなくて逆に、「この神を信じている者がユダヤの民」で、「神が選んだ者が仲間」という意識だと思います。
 神が集団の中心にあるんです。といっても、実際に契約を結んだのは指導者(この場合だとモーシェか?)ですから、実質的なリーダーはモーシェさんなわけで、彼は、いるんだか、いないんだか分からない神の威光を借りて人をまとめてたわけなんですが。

 このリーダーについていくこと=リーダーの後ろにいる神に従うこと、です。
 よく預言者という言葉が出てきますよね。預言者、とは神の言葉を預かって人々に知らしめる者、のことです。
 預言者は神の意志を代行する人なので、その人に従うことは、すなわち神に従うこと、になるんですよ。人々が見ていたのは、実は神じゃない、目の前にいる集団のリーダーなんだ、という考え方も出来る。

 モーシェという個人に従っていれば、この人が死ぬとともに集団はバラバラになってしまう恐れがあるけれど、モーシェは神の代理人だ、とすれば、その代理人を入れ替えるだけで集団は維持できてしまう。
 そういう機能として存在したものが、絶対神だったと思うんです。
 それが「契約の神」といわれるゆえんではないでしょうか。


 神様が無くてもまとまっていられる人々の場合、神様は、そんな明確なリーダーシップはとらないもんですよね。
 既に人々はまとまっているわけだから、「まとめるための機能」は神には求められていない、むしろ、まとまりを円滑に維持するための機能が重視されるんじゃないだろうか。
 たとえば日本の神様なんかは、「人間の良き隣人」として在ったわけで。


 …あまり詳しいことはいえません。神学やってる人にでも聞いたほうがよいかも^^;

投稿時間:2002/09/06(Fri) 19:25
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
Re: 歴史的な神…?
>  歴史的な(神)っていう言い方がよくわからないんですが。

「信仰する人々の側に、他の集団と自分たちを隔絶する心理状況があった、と考えられます。その心理状況を作り出したものは、その人たちの過去の歴史」という意味での「歴史的な」神ですよ。
 それから、歴史的ということは、「個々人の判断に関わりなく」動いていくということも意味します。
 だから、一神教の神様(=予言者)は人々を(意図して)まとめるための神ではなくて、まとまった人々が共通して崇める神だ、という風に思ったのですが、逆になるようですね!
 このあたり、頭の良くない私は、脳神経がむずむずします。
 神学的なパズルなんでしょうか?
 重要なのはどれだけ生き生きとエジプトやユダヤの神様を感じられるかという事ですが、「一神教コンプレックス」が解消されないと、宙ずりのままのようです。

投稿時間:2002/09/06(Fri) 20:18
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
生き生きと。
>  重要なのはどれだけ生き生きとエジプトやユダヤの神様を感じられるかという事ですが、「一神教コンプレックス」が解消されないと、宙ずりのままのようです。

 えー。そんなことないですよ。
 エジプトの神々を楽しく感じたいなら、このサイトで遊んでいってくださいよー。(えっ、言い切り?) 楽しめマス。
 極彩色ではないかもしれないけれど、色あせてもいない、偉大ではないけれど、いつもすぐ近くにいる神々を扱ってます。

 神話も神々も生きている人間とともに変化しながら創られていったものなのだから、信仰とともに生きた人間の記憶を辿っているうちに、おのずと分かってくる。そう思います。
 歴史のコーナーもありますよ。

投稿時間:2002/09/07(Sat) 19:30
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
もちろん!
その点はもちろん、遊んでいきますよ。
岡沢さんのサイトはすごく豊かで、エジプト探検面白いもの!
うちのサイトはちっとも面白くないかもしれませんが
そのうちエジプト音楽?そんなのありましたっけ?をしてみたい。

投稿時間:2002/09/08(Sun) 04:36
投稿者名:Polifilo
Eメール:komagata@pop21.odn.ne.jp
URL :
タイトル:
Re: 一神教の神とは、なんであるか。
御無沙汰しました。
議論が白熱してて、傍からみてても清清しく気持ちいいです。
で、すこし、テーマから、ずれるのですが、、。
質問させてくださいな。
前から、しつこくアテン信仰について、お尋ねしてたんですけど、
皆さんのやりとりを読んでて、続きの質問を思い付きました。

それは、ユダヤ教の神とアテンの神は同じ一神教の神であるけれども、
大きな、或いは本質的な違いがありそうなのですが、
それは、何でしょうか?
アテンはアテンキャッチャーに出演したり、
岡沢さんのスライドショー「アテン対土偶魔神」に出演したりと、
芸人根性抜群なのに、ヤハヴェの奴は偶像破壊なんて、
芸人の風上にも置けねえような事しやがる!などというのは別として、
何かありそうですよね。
ユダヤの神が、他の神を吸収したり、
悪魔にしたり、奴隷にして天使にしたりといったように
他の神々に対する関係付けをして、
それを神学としているように思えます。
一方アテンはアクエンアテンが他の神々の神殿などを、
王様の権力で、ずんずん、ぶっ壊していったりして、それほど、
他の神々との関係付けが必要では無かったのでしょうか?
何しろ王様だし。
してみると、アテンは王権に頼っていたので、
さほど神学が必要とされず、
一方、ユダヤ神は王権が脆弱か無かったせいで、
自己正当化の為の神学(他の神々との関係の説明)に、
熱中したのかな、などと思ったのですが如何でしょうか。
つまり、一神教の神学は王権の代用品であるのかなあ、と思うのです。
そうおもうと、例えば日本の神道は教典を持たない信仰として、
有名ですが、それは現実の天皇の権威と結びついてるから必要ないし、
有れば逆に天皇の権威を縛る事になってしまうかもしれません。
だから、無い方が良いというのも一つの理由になるかもしれません。

そうすると、アテンは教典無き一神教であり、
教典のある一神教と教典の無い多神教の両方の性質を、
もっているというか、或いはそのどちらでもない、
ふらふらした、芸人のような良い神さま、
ということになりはしないでしょうか?

なんか、あやふやな知識だけで、素人了見を述べてしまいました。
しっかりした御考えをお持ちの皆様の御意見御批判お待ちします。
でも、どうぞお手柔らかに〜***
岡沢さん、ここで、
「アテンの教典ありますよ〜!ほら、ここに!」
っておっしゃりそうですね。
長文失礼しました。

投稿時間:2002/09/08(Sun) 13:08
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
ちょっとわかったかもしれない
 私も人と話すことでイロイロ頭の整理が出来て、よいことです。
 そのぶんサボるなって感じですか(笑)

> それは、ユダヤ教の神とアテンの神は同じ一神教の神であるけれども、
> 大きな、或いは本質的な違いがありそうなのですが、
> それは、何でしょうか?

 分かったかもしれないのです。
 アテンはエジプトの何百という神様の一つで、多くの中から一つを選び出して「以後はコレでいきます!」と、言ってるのに対して、ユダヤの神様は最初から一つしかいない。
 no.480の投降でatymさんの書いておられる、「無理をして、あるいは欲を出して人は一つの神を選ぶのではなくて、はじめから一つの神しか選べないという条件下にあるということかな・・」と、いうのは、そういうことでしょう。

 多くの中から選ばれた神様には、それまでの歴史がある。
 たとえば日本でいきなり、「アマテラスを唯一神とする!」とか言い出したとしても、アマテラスさんが生まれるまでに、神々がどうやって発生したか、世界がどうやって作られたのか、という「神話の中の歴史」が、あるわけですよね。
 アテンも同じで、アテン神=太陽が生まれるまでに、「原初の水ヌンがああして、こうして、原初の丘が出来て」と、いう、世界誕生の歴史がある。

 しかしユダヤの神は、神様しかない。
 だから神がまず最初に来て、神自身が世界をつくる、という神話を作るしかなかったんですよ。
 世界創造の神話のうえで神が生まれるのではなく、神が生まれたところから世界が始まる。

 もちろん王権に結びつく、つかない、という信仰する側の条件もあるのでしょうが、そもそも前提として在る、「神とはどんな存在であるか」からして、違っているのです。

 アテンの場合、教義、つまり、その神がいかなるものであるか、という定義は、神々自身の歴史の中ですでに存在している。
 しかし唯一神は、他の神々が存在しないために、神の歴史は自ら作らねばならない。

 これが一番大きな違いだと思います。


> 何かありそうですよね。
> ユダヤの神が、他の神を吸収したり、
> 悪魔にしたり、奴隷にして天使にしたりといったように
> 他の神々に対する関係付けをして、
> それを神学としているように思えます。

 …と、いうのは、神としてのアイデンティティを確立するためじゃないでしょうか。

 人間でも、自分の存在があやふやな人は、ひたすら他者との関係を求めケータイを常に持ち歩くといいます(笑)
 アテンは太陽なので、自己の存在は世界が破滅でもしない限り、消えないのですよ。
 事実、アクエンアテンの宗教改革が失敗して、アマルナの都が放棄されたあとも、ちゃっかりヘルモポリスなんかで生き残っている。
 日本の神々が教義をもたなかったのも、自然の化身なのだから、そんなもんなくたって信仰できるからじゃないですか? 裏山の神様なんて、山があれば教義なくても信仰できますし。

 ただアテン神の場合、アクエンアテンは何か教義を作ろうとしていたけれど浸透しなかったような気がします。
 前にご紹介した「アテン賛歌」も、その一つ。あれを教義と呼ぶなら、そうかもしれない。
 時間が足りなかったのでしょう、そう短時間で作れるものではないし。もしアテン崇拝が何十年も続いていたら、「アテンによる創世神話」なんてものも出来ていたかもしれませんよ。(だったら面白かったのに)

 こんなんで、どうでしょ…。

投稿時間:2002/09/08(Sun) 14:14
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
Re: ちょっとわかったかもしれない
>  分かったかもしれないのです。
>  アテンはエジプトの何百という神様の一つで、多くの中から一つを選び出して「以後はコレでいきます!」と、言ってるのに対して、ユダヤの神様は最初から一つしかいない。
>  no.480の投降でatymさんの書いておられる、「無理をして、あるいは欲を出して人は一つの神を選ぶのではなくて、はじめから一つの神しか選べないという条件下にあるということかな・・」と、いうのは、そういうことでしょう。
> もちろん王権に結びつく、つかない、という信仰する側の条件もあるのでしょうが、そもそも前提として在る、「神とはどんな存在であるか」からして、違っているのです。

一神教への疑問、コンプレックスの50%は解決したかも!(^^)!。
「一神教とは何であるか」というテーマを取り出したのは実は僕でなくて
岡沢さんですけど、それだけでもすごい奴やな〜(すみません奴呼ばわりで)と思ったんですけれど、頭の中の整理もきれいです。私は私でダメな
奴やな〜と思いました。
 私も10人の美人が居て、どれか一つを選びなさいという問題があるなら
そのほうが断然嬉しいのですが、その〜ウチにも一人しか居ません(笑)
 ロシアがキリスト教化するに当たっては、それに似た状況があったようですね。10世紀ロシアの王が、各地に使節を派遣してそれぞれの宗教を調査研究させた。その時の評価がとても面白いです。イスラームの一夫多妻は好ましいが、豚肉と何よりも酒を禁じること、割礼があるので全く魅力がない。それに対してコンスタンチノープルに行った使節はその地の教会の儀式にふれて
「私たちは天上にいたのか、地上にいたのかわかりませんでした。あそこでは神は人とともにおられ、彼らの勤行はすべての国に勝っている」と報告したので、ロシアはキリスト教国になったのだとか・・。これ余談。

本論は
 1.ただユダヤでも、エジプトみたいに地方神がたくさんいるわけではな
   いとしても、はじめから神様はただ一つではないのでは?
 
 2.それともう一つ。信仰する側の条件の違いはやはり大事なのでは?。
   一神教としての神が生まれたとして、それを裏側からみると
   民族といわれるものの原型が生まれることとコインの裏表になって
   いるということはないか?帝国の神と地方の神、独立した神、アッ
   シリア・バビロニアのような強力な帝国に滅ぼされてもしぶと〜く
   生き残る神。

PS.エジプトの音楽についてhttp://www.culta.com/ethno/africa/africa2.htmlというのを見つけました。

投稿時間:2002/09/10(Tue) 20:00
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
ヤツです。
 そこらへんのガラ悪い小娘っスから。(笑)
 どんな立派そうなこと書いてても、あんまし信じちゃいけませんよ。

 で、まぁ…浅知恵など働かせて考えてみたのですが、

>  1.ただユダヤでも、エジプトみたいに地方神がたくさんいるわけではないとしても、はじめから神様はただ一つではないのでは?

 これについて、「ユダヤ人とは何者か」という議論をむかし、呼んだことがあります。簡単に書くと、こういう論旨でした。

・割礼、という習慣を持つのはエジプト人とユダヤ人だけである。
・もとは外来の民だったかもしれないが、エジプトで何世代も過ごしていたのなら、すでにエジプトの文化の影響は受けていたはず
・よって、ユダヤ人とは、エジプトを離れたエジプト人、という見方が出来る

 探してみたのですが、何の本だったか…民族やら系統やらはあまり明るくないので、この説が正しいかどうかは分かりませんが、少なくともモーセが連れて出た人々は、「エジプトに住んでいた一民族」には違いないわけです。その意味ではエジプト人。
 だとすれば、エジプトの国からエジプトの信仰を持ってったはずです。
 モーセが山に登ってる間に、人々が黄金の子牛をまつっていた(エジプト宗教)というのが、それではないかと。

 はじめから「ただ一つ」だったのなら、こんな混乱は起きるはずがない。
 また、「ただ一つ」だったはずのものに、ヤハヴェだのアドナイだの幾つもの呼び名があるのは不自然。(ここらへんウロ覚えの受け売りなんですが)
 よって、atyimさんのイメージしておられる一神教の、「偶像崇拝を禁じ」「名前を呼ぶことも禁止する」とは、神の本来の姿をおぼろげにし、もともと異なる神をあがめていた人々に、「君たちの神様は本来一つのものなんだ」と教え込むための前段階だったのではないかと思います。

 姿の見本となる像がなく、本質をあらわす名前も無いなら、その神がどんな神なのかはハッキリとイメージできない。
 漠然としたイメージの中で、多数の神がまじりあって、結局人々は自分たちが何を信仰しているのか分からなくなってしまう。
 その上で、「君たちの神は、これこれこういうものだから。」と教え込めば、神は一つにまとまりますよね。

 結論を言ってしまえば、私は、最初から一つの神しかない信仰は在り得ないと思っています。一神教は、神が多数に分離する以前か、多数のものを意図的に一つにまとめなおした後の姿だと思っています。


> 2.それともう一つ。信仰する側の条件の違いはやはり大事なのでは?。
一神教としての神が生まれたとして、それを裏側からみると
民族といわれるものの原型が生まれることとコインの裏表になって
いるということはないか?帝国の神と地方の神、独立した神、アッ
シリア・バビロニアのような強力な帝国に滅ぼされてもしぶと〜く
>生き残る神。

 こっちの質問はよく分からなかったんですが…前に自分が振った「王権と結びつくか、つかないか」という話から続いているんですよね。
 帝国の神と地方の神… うーん、エジプトだと、王権に結びつく神と、民間信仰の神は違っていたようですが。
 民族の誕生に信仰が関係する、ですか?
 それは多分、信仰の「意味」によると思います。

 イスラム教やキリスト教は細かく日常のことまで定義して、生き方そのものに対して支配力を持っているようですが、仏教なんかはわりとアバウトで、とりあえず民間に影響力を持つ思想っていったら「生き物むやみに殺しちゃダメ。」「ご先祖さまは大切に」くらいのもんでしょう。
 エジプトの宗教も、そんな感じなんですよね。神様は、日々の暮らしの細かいところまで干渉してこない。
 宗教が人間の生活に支配力を持つ場合は、その宗教が民族のまとまりにもなるんでしょうが、エジプト宗教みたいなアバウトなものだと、大して関係なかったんじゃないかと思います。
 そうでなくとも、人間側の都合で神様の性質や教義の内容を書き換えまくってたくらいだし…。

投稿時間:2002/09/12(Thu) 02:00
投稿者名:Polifilo
Eメール:komagata@pop21.odn.ne.jp
URL :
タイトル:
なるほど、、、。
色々、丁寧にお話きかせていただきありがとうございます。
どうやら、疑問が解けたようなきがします。
嬉しゅうございます。感謝!
信仰は社会の鏡だと思って、信仰の違いを理解するには、
社会の違いを理解したら良いかと思ったのですが、
そうしなくても、神の製作方法そのものの違いを、
はっきり示して頂いたので満足しました。
また、言い方を変えれば、アテンは民族統合の道具にされなかったが、
ヤハヴェは民族統合の道具であったというように、
神の製作目的が全然違っていたというわけですね。
なんかわかってきたようなきがします。

それから、ちょっと話しがずれるのですが、
先日、古本屋で、グレアム・フィリップスの「消されたファラオ」
という本を斜読みして、頭がぶち切れた(怒りで)のですが、
彼の説によれば、

「出エジプトがラメセス2世のときではなく、アクエンアテンの時で、
ユダヤ人を追っかけてってまっぷたつに割れた海に自分の軍勢が、
飲み込まれて酷い目にあい、それからアメン不信におちいり、
ユダヤ人が崇めていた神をアクエンアテンも拝み出した。
それが、エジプトにおけるアテン宗教改革の真実である云々」
なのだそうです。ただのトンデモ本なのかな。
私は、というか、通説では出エジプトは、
ラメセス2世の時といわれてるようですけど。
そして、ユダヤ教は迫害されたアテン教徒が中心になって、
作ったものか、とおもってましたけど、如何でしょう?
何かこの話題別の所で、盛り上がってましたっけ?ま、繰り返しに、
なるようでしたら、無視してくださいね。ではまた。

投稿時間:2002/09/12(Thu) 10:24
投稿者名:atyim
Eメール:atyim@hal.ne.jp
URL :http://www.hal.ne.jp/atyim
タイトル:
アメン不信
Polifiloさんこんにちは
このツリー長くなりすぎました。
管理人さんの岡沢さんは、長くなっても良いみたいに書いておられ
ますが、他のたくさんの投稿者からすれば、良いかどうか?!

> 私は、というか、通説では出エジプトは、
> ラメセス2世の時といわれてるようですけど。
> そして、ユダヤ教は迫害されたアテン教徒が中心になって、
> 作ったものか、とおもってましたけど、如何でしょう?

私は、その点はもうさっぱりわかりません。しかしとても魅力的な
テーマです。
 中央公論社の「世界の歴史」第4巻第2章「諸民族の目覚め」を
書いた慶應義塾大学の小川英雄さんは、アテン賛歌の一部を引用し
ながら、ユダヤ民族の源である砂漠の窃盗、盗賊集団ハビルの宗教
について「彼らがエジプト滞在中にこのような唯一神・創造神の思
想に触れたことは十分に考えられる」と書いています。

エジプトでは長続きしなかった唯一神・創造神の思想が何故ユダヤ
では伝統として長く続き、後にローマやイスラムで広まったのか、
それには膨大な歴史の紆余曲折があり、その間Polifiloさんの言わ
れる「神の製作方法そのものの違い」と言うか、神様のあり方その
ものの考え方の違いも生まれて何が何やらわからなくなり、今に至
るというのがだいたいの流れではないでしょうか(苦笑)。
 もしアマルナの一神教の伝統がハビル・ユダヤを経由して伝わっ
たのだとすれば、アテン信仰の「新しさ」が問題になるのでは?

>自分の軍勢が、飲み込まれて酷い目にあい、それからアメン不信
>におちいり、ユダヤ人が崇めていた神をアクエンアテンも拝み出
>した

これもあり得る歴史物語の筋書きです。かなりウソくさいですが。
というのは今でもそうですが、自分にご利益をもたらさない神は捨
てられたりするからで、あまりにもオールマイティーな神は昔のス
ーパーコンピューターみたいに無用の長物化して博物館入りしてし
まうのでは?
ユダヤ、エジプト、インド、中国、どこの「博物館」(教会、寺院
は別)でも私たちが興味深く思うのは、それが生きていた時の「生
き生きした姿」ですから。
だから「新しさ」が問題です。

投稿時間:2002/09/12(Thu) 22:17
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
オールマイティな神サマとか
 そんな…完全なウソくさい神様、つっこみ入れられないし、神様が一人だけだったら、パロディ話も作れないですよね(笑
 ナンチャッテ。

 「消されたファラオ」、持ってます。この本はも基本的にフロイトの「モーセと一神教」という晩期作の焼き直しです。吉○先生が絶賛していたらしいですが、ま、それはおいといて。
 フィクションとしては面白いと思うし、アクエンアテン時代に出るエジプトが行われたなら、ラメセス時代より簡単だっただろう、と私は思います。

 この、出エジプトがなぜラメセス2世の時代なのか、についてのスレッドは、下のほうにあるツリーhttp://cgi.www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/bbs/wforum.cgi?mode=allread&no=410&page=0
 で、上がっていた話題ですね

> このツリー長くなりすぎました。
> 管理人さんの岡沢さんは、長くなっても良いみたいに書いておられ
> ますが、他のたくさんの投稿者からすれば、良いかどうか?!

 たくさん…いますかねぇ…(笑)
 いいんじゃないですか。長くても。<いい加減

 

 
> > そして、ユダヤ教は迫害されたアテン教徒が中心になって、
> > 作ったものか、とおもってましたけど、如何でしょう?

 ここに一つの大きな誤解があります。
 アテン信仰は、王族・貴族など一部のもので、民間には浸透していません。(と、言い切れるのは、民間で信仰されていた証拠の出土品が見当たらないから。)
 アテン信仰は、神官・神殿ほ必要としないものです。お布施もいりません。心の中の信仰です。
 かなり哲学的な神のため、民間人に説明して理解させるのは難しいかったでしょう。なんせ、すでにエジプトには、目に「見える」神様たちがイッパイいたのですから。
 そんな、空気みたいなフヨフヨした神様に乗り換えるメリットは、民衆には全くありません。

 よって、アテン教徒は、ほとんど存在しなかったものと考えられます。心からアテンを信じていたのは、アクエンアテン一族と、懇意にしていた重臣・貴族だけではないでしょうか。


 また、すこし話題は前後しますが、

>それからアメン不信におちいり、ユダヤ人が崇めていた神をアクエンアテンも拝み出した。それが、エジプトにおけるアテン宗教改革の真実である云々」

 …ってのは、相当こじつけだと思います。アメン神とは何か。太陽神です。太陽に不信を抱くのは、太陽が仕事をしなかった時、つまり、太陽が出ない日が長く続くなどの天変地異があったときですよ。
 戦に負けたのなら、戦の神に不信を抱くはずですよ。

 また、国家の守護神としてのアメンに不信を抱くなら、国家が奪われたときでなくてはならない。
 かつて国の主神だったラーが、その地位を落としたのも、ヒクソスという外来の民に王位を奪われた時代があったのが一つの原因でした。

 海はエジプトの領域外(エジプトに海神はいない。)なのだから、そこで敗戦したからって、信心深い古代エジプト人が、アメン神を疑うとは思えません。
 ついでに言うなら、「アメンがイヤなら、ラーでもホルスでもあるじゃない」…なんて思います。わざわざ外国の神様を持ってくるほど神様に不足している国じゃないし。

 さらに…

>  もしアマルナの一神教の伝統がハビル・ユダヤを経由して伝わっ
> たのだとすれば、アテン信仰の「新しさ」が問題になるのでは?

 だ、そうなのですが、アテン神自体は、けっこう古いと思うんですよ。太陽神ラーの分身として、オンの町で信仰されていた、…というとは、ラー信仰が全盛期だった中王国以前から、細々と信仰はあったのかも?(ここは専門家に聞かないと分からない。)
 そのアテンの信仰を改良したのかアクエンアテンの思想かもしれない、と思うのですよ。
 アクエンアテンは、アテン神を1から捏造したわけじゃないようなのです。

投稿時間:2002/09/13(Fri) 20:22
投稿者名:雲都 蒼
Eメール:
URL :
タイトル:
指導者は?
>  アテン信仰は、王族・貴族など一部のもので、民間には浸透していません。(と、言い切れるのは、民間で信仰されていた証拠の出土品が見当たらないから。)
>  アテン信仰は、神官・神殿ほ必要としないものです。お布施もいりません。心の中の信仰です。
>  かなり哲学的な神のため、民間人に説明して理解させるのは難しいかったでしょう。なんせ、すでにエジプトには、目に「見える」神様たちがイッパイいたのですから。
>  そんな、空気みたいなフヨフヨした神様に乗り換えるメリットは、民衆には全くありません。
>
>  よって、アテン教徒は、ほとんど存在しなかったものと考えられます。心からアテンを信じていたのは、アクエンアテン一族と、懇意にしていた重臣・貴族だけではないでしょうか。

 とすると、ユダヤ教がアテン信仰から派生した、
と考えると、最初の指導者は王侯貴族である可能性は高いのですか?
 アマルナ時代以降、アクエンアテンの一族が見当たらないのも、
もし粛清されたのでなければ、国外へ逃げたということも無きにしも非ず、
ですね??

投稿時間:2002/09/14(Sat) 14:13
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
アリですよね
>  とすると、ユダヤ教がアテン信仰から派生した、
> と考えると、最初の指導者は王侯貴族である可能性は高いのですか?
>  アマルナ時代以降、アクエンアテンの一族が見当たらないのも、
> もし粛清されたのでなければ、国外へ逃げたということも無きにしも非ず、
> ですね??

 そいや、一時期アクエンアテンの息子とされていたツタンカーメン、今では異母兄弟と考えられてるらしいです。そうでなくて、従来道理アメンヘテプ3世の孫…だとしても、次の王も、いちおう血のつながりはありますよね。王家自体は滅んで無いです。
 …が、アクエンアテン直系の子供は、どうだったのか。
 壁画に出てくるのは王女ばかりですが、もしかすると、息子や孫もいたかもしれない。その中にモーセという名前の子供がいたかも…?!
なんてのは小説のネタでしょうか。歴史として証明するのは難しいでしょうが、可能性として考えるのは楽しそうです。

投稿時間:2002/09/03(Tue) 06:26
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
エジプト・クリップアート
> > このサイトの中にいろいろなエジプトの神様の姿を見せてくれる
> > ようなページはありませんか?
"Egyptian clipart"で検索してみました。
 http://www.neferchichi.com/gods.html に、絵がいくつかあります。(ただしそんなにうまい絵とは思えないけど)。バナーを使って、作者の表示とかすれば、個人ウェブサイトで使用していいようです。
(他、リンクのあるページ:
http://www.geocities.com/tehuti_88/graphics.html

投稿時間:2002/09/03(Tue) 20:15
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
ありがとうございます
 どもです。それらのサイトへのリンクは、実は既にこのサイトのどこかにあったりします…。
 うまい、下手以前に、エジプトの神様姿は、標準形のほかに変形、進化、他の神との合体バージョンがあるのでヤヤコシシイのです。
 まるでスーパーロボットの世界です。(笑)
 進化すると頭が4つになったりする神様もいます。さすがにそれを描いてるサイトは見たことがないですねー。^^;

投稿時間:2002/09/05(Thu) 20:31
投稿者名:雲都 蒼
Eメール:
URL :
タイトル:
ザ・合体!
>  うまい、下手以前に、エジプトの神様姿は、標準形のほかに変形、進化、他の神との合体バージョンがあるのでヤヤコシシイのです。
>  まるでスーパーロボットの世界です。(笑)

 むゥ、凄いです!!
改めて考えてみると、エジプト神は流動的なんですね!!
 変形・進化は時代・地域で解釈が違うからだとは思いますが、
「能力を複数組み合わせて、お役立ちになる」合体には
何か基準があったのですか?


>  進化すると頭が4つになったりする神様もいます。さすがにそれを描いてるサイトは見たことがないですねー。^^;

 クヌム神四村合同バージョン、それがタテネン神と合体した
クヌム=タテネンですね?
頭二つだとホルス=セト

 エジプトの動物神を扱った本で、
べスに、通常バージョンほか動物の頭が数個ついた
ものがプトレマイオス時代かローマ時代にあったようです。
中々際どい代物でしたが…^^;

投稿時間:2002/09/05(Thu) 20:58
投稿者名:岡沢 秋
Eメール:moon-over@mtf.biglobe.ne.jp
URL :
タイトル:
そうそう。合体しまくり♪
>  変形・進化は時代・地域で解釈が違うからだとは思いますが、
> 「能力を複数組み合わせて、お役立ちになる」合体には
> 何か基準があったのですか?

 人間の役にたつもの。(キッパリ)
 たとえば、イシス+セクメトで魔力+力がUP、みたいな。そんな…RPGのカスタマイズじゃないんスから…。

>  クヌム神四村合同バージョン、それがタテネン神と合体した
> クヌム=タテネンですね?
> 頭二つだとホルス=セト

 それですよー。ひとつの体にホルスとセトの首が生えてるやつとか、ふつうに描いてるいたりエジプトすげぇ、って思いませんか。
 メガテンの悪魔合体もビックリです。
 そこらへん、ギリシア・ローマの人には理解できなかったらしいですよ。

 ギリシア彫刻のノリでエジプトの神様を作ったら、やたらリアルな動物の首の下にムキムキの体がくっついて、見られたものじゃないことになりそうですね。ブルブルブル。(笑)

投稿時間:2002/09/07(Sat) 23:41
投稿者名:きよ
Eメール:kyamazak@ix.netcom.com
URL :http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html
タイトル:
スーパーロボット&セト
>  うまい、下手以前に、エジプトの神様姿は、標準形のほかに変形、進化、他の神との合体バージョンがあるのでヤヤコシシイのです。
>  まるでスーパーロボットの世界です。(笑)
>  進化すると頭が4つになったりする神様もいます。さすがにそれを描いてるサイトは見たことがないですねー。^^;

 エジプト館のほうは、パンドラの箱のごとく(つまり開けたら情報過多になってしまいそうで)のぞいたことがなかったのでしたが、持物(じぶつ)や、冠など、まさしくパーツを掲載したページを拝見しました。
 各エジプト神の絵の偏差のバラエティーを表すには、やっぱいろんなパーツの組み合わせということになるんですかね。「カッシャーン」とか、パーツをロック・インしたときの効果音とか入れて。

 たとえば、以前、(聖書のアダムとエバの子との混同視される)、セトのスレッドがありましたが、顔の種類は、五、六種とは書かれていますけれども、ウェブ検索しても犬顔以外の画像は、出てこなかいようです。

 すでにページや、以前に投稿された情報と重複するでしょうが、
(資料:新潮社の世界美術辞典)等からメモったのを書き出してみます。

 セト(セテク) Setekh, sutekh, Set; Seth[希]

>■崇拝の中心地は、オムボス Ombos 〔上エジプトのバラスBallas
>に近いヌブト Nubt 〕で、当初はホルスと同胞(きょうだい)であり、>かつライバル。
>■ヒュクソース族が、その首都であるアウアリス Avaris〔=タニス >Tanis(希)。現今のサーン・エル=ハガル Sân el-Hagr
>の廃址だといわれるが異説あり。〕でセトをカナン人の嵐神バアルの
>姿で崇拝した。
>■東の三角州の神として、ラムセス王室の諸王の守護神とされた。
>太陽神の帆船に同乗し、邪悪の怪物アポピスApophisを槍で刺す姿が
>描かれる。
>■ファラオ時代[王国時代?]、オシリス崇拝が盛んになると、セトは>オシリスの殺人者として忌み嫌われ、オシリスの子ホルスがセトと
>戦い、父の仇を討ったと伝えられる。セ>トの崇拝は禁止され、その
>偶像は、記念碑から削り取られた。背とはプトレマイウス朝の神殿で>はカバまたはクロコダイルとして描かれる。
>■また、ギリシャ人はセトを悪魔チュポーン Typhon と同一視した。

 セトの頭はグレーハウンドのほか、驢馬・ツチブタ aardvark ・キリン・オカピ云々とか書かれてます。でも、ウェブでの画像は、だいたい犬顔のようです。(全種類載せてくれるような、親切な参考書はあまりない、ということでしょう。)
アヌービス(ジャッカル頭)とちがうのは、ジャッカル神の耳は三角にとがってるけど、セト(グレーハウンド頭)は、Britannicaでは
>耳先が四角く切れており、尻尾は二又に分かれてピンと立っている
とも書かれていました。

チュポーンというのは、ゼウスが戦ってえらい苦労した"悪魔"のたぐい。昔のFF6のゲームに出ていたチュポンが、こいつらしいです。(英訳では Mr. Chupon となっていた)

投稿時間:2002/09/05(Thu) 21:23
投稿者名:雲都 蒼
Eメール:
URL :
タイトル:
神の姿(別に批評で他を馬鹿にしてるのではないが…)
>  唯一神の宗教というのは、遡れば、特定民族の信仰に行き着くものだと思います。
>  今は世界宗教になっていますが、キリスト教やイスラム教は、最初の発生時点では、特定の人々のみ救済する思想だったと記憶しています。
>  一神教の持つ排他性は、最初のその思想を打ち出した民族が持っていた、「他の民族に対する排他性」を反映したものだと思います。
>  (atyimさんの仰る、「地域、民族、時代に限られる」神、というのは、こういうことでしょうか。)

 キリスト教は従来のユダヤ教に対し、
イスラム教はメソポタミア地域の神に対してだそうですね。
 もっとも、アラビアでは、
方位を知るのに役に立つ星、美しい星を
「金星が男たらしで相手を破滅させる女」
「北極星が復讐される殺人犯」
であるというように、
説話(ひいては神話)
がおどろおどろしいのも一役買ったかもしれないですが。

 アテン信仰の場合、排他性はアメンを認めない、
と言うことになるのでしょうか?
アメン神官に対抗する措置として。
そういえば、王や一族だけが対話できる、
とされていましたね。


>  エジプトの神々が人間ではない姿をしているのは、私は、人間と他の生き物を同等においた思想だと解釈しています。

 私の個人的見解です。

 どこにおいても神は抽象的事象(死、正義)や具体的事象(生物、物体)
への畏敬の念によるものです。
 対象への畏怖心と人との近しさを兼ね合わせるため、
・「能力」を神としたモノの元の形や抽象概念では比喩
・「親しみやすさ」をエジプト風(外来神)、人間風(物神・動植物神)
を合体させてエジプトでは表現したのではないでしょうか?

 他の地域の場合、神が人間の姿をしているのは
アレゴリー(擬人化)にして、より日常的で分かりやすく
する目的もまたあったでしょう。

 ギリシアの場合、半人半○の動植物神は神格として、
オリンポス12神より格下扱いです。
 加えて馴染みにくい外来神だと、
実は他民族をギリシア人からの目線でとらえ
(かつ辛辣に批評し)たのではないか。
そんな描写も多いと思えます。
 だからメソポタミア産のアフロディテ、
トラキア産のアレスなどには
ちょっとギリシア人は間をおいたのではないでしょうか?
 上記二神について加えて言うと、
ギリシア神話は自主規制がないから素晴らしいと言うより、
ギリシア人が愛欲や残酷さが強いためであり、
自身の正当化のために外来神に不道徳な役割を押し付けた、
という面もあるかと思います。
 

 やはり、古代エジプト人は素材を大切にしていたと
考えて良いでしょうね。
 となると、ギリシア人やアラブ人に比べ、
一神教改宗が独自の神話の残酷性への不信によらないのが、
エジプトのミステリーですね。

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