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下エジプトの主要交通路


古代エジプトでは、主な移動手段は「水路」、つまり船を用いたものでした。車輪が全く無かったわけではありませんが、川付近と内陸の高低差や瓦礫だらけの土地といった環境条件から、荷車や馬車を家畜に引かせるのは非効率とみなされていたようです。家畜に引かせる乗り物は、新王国時代に登場する馬に引かせる戦車くらいで、石材を運ぶのですら人力が基本でした。そんなわけで、ナイル川は、その支流も含め「古代の幹線道路」と呼ばれるほど、古代世界では重要な主要交通路だったのです。

しかしナイルは季節によって水位を変える川で、夏と冬では7-8mも水位が変わる場所もあります。主な町は川べりに存在しましたが、季節によって使える船のサイズや水路だけで運搬できる範囲に違いがあったため、運河や水門を使って人工的に水路の水を調節することも行われるようになりました。


このページの図では、ナイルの増水が起きると水没する可能性のある「氾濫原」の大まかな範囲を緑色で示しました。川の支流名はギリシャ語ですが、古代エジプト語名は別にあったかもしれません。

これらの支流は普段の通行路としても、物資運搬用の産業路としても使われました。
ただし古代エジプトの場合、王朝時代を通してかなり末期まで、個人単位での「交易」は行われておらず、他国からの貢物を交換する朝献交易が主だったため、経済的な効果を狙って整備されるようなことは無かったと思われます。ピラミッドや神殿など、王が命じる大規模公共事業のために整備された痕跡はあります。

<参考>
エジプト最古の人工ダムはピラミッドと同時に建設された「サド・アル・カファラ」(Sadd Al-Kafara)。

海洋交易路とリンクするのはギリシャ人が多く移住・渡航してくるようになってからで、ナイル下流にギリシャ人が交易中継用の都市を築くようになっていきます。




【参考画像】
現代では、ナイルの果たしてきた「重要交通路」の役割はアスファルト舗装された道路が引き継いでいます。
ナイル上流では今でも三角形の帆が特徴的なヨット「ファルーカ」が今でも庶民の足として親しまれていますが、下流地域では主要交通は完全に車にシフトしており、わずかに馬車などが残っているくらい。首都カイロ周辺などは、深刻な交通渋滞と排気ガスによる大気汚染が問題となっています。


ナイル最上流 アスワン(エレファンティネ)
川のすぐ近くまで砂漠が迫っており、緑地が狭い。流れは下流に比べて早い。



中流 ルクソール(テーベ)
川の両岸は長年かけて水の流れが削った断崖絶壁。緑地が川にそって狭い範囲なのはアスワン同様。
支流がなく川は一本道なので、流れの向かう方向でおおまかな南北が分かる。



下流 カイロ周辺
かつての中洲や氾濫原は市街地と化している。平野が多く、広々としている。
カイロが都会化するにつれ排水などの問題により川が汚染されて魚がとれなくなり、現在は漁師はほとんどいないらしい。



上流のほうがいまだ古代の面影を留めているのに対し、下流はナイル対岸が近代都市化してしまっていて面影があまり残っていない。
部分的に残る葦の茂みくらいが古代の名残りか。





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