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初期王朝時代 第2王朝

カセケムイ/カセケムウイ

Kha-sekhem/Kha-sekemwy

在位年代;2610-2593年頃
ホルス名;カセケムイ(二つの力強いものの出現) ※セト名もある。また、ホルス名はカセケムとなっているものもある
治世;18年(?) →パレルモ・ストーンによる  ※”カーセケム”王とは同一人物とする説が主流。

王朝の首都;メンフィス  
埋葬地;
アビドス tombV 
出身地;ティス
家族; 息子 ジェセル、サナクト(?) 娘 ヘテプエンネブティ

前後の王位継承には不明点がある。セト・ペルイブセン王orセケムイブ王の次とされている。この王で第二王朝が終了になるが、第三王朝の初代(サナクトorジェセル)は息子なので、血はつながっている。マネトーがなぜ王朝を分けたのかは不明。

セト・ペルイブセンの時代に内乱が発生していたとするかつての説によれば、王名を囲む「セレク」の上にホルスとセトが並んでいることから、ニネチェルのようにセト派だけに肩入れするのではなく、表向き、セトとホルス両方を同等に称えて両方の守護を受けた名前を名乗ることで両者に与しているかのように見せたのだと説明されていた。だが次の代でセト名が消滅していることからして、実際は、セト信者の勢力を殺いでいったのだと考えられている。
セト派の軍が上エジプトの聖都ネケブに迫ったが、鎮圧されたという記録がある。
この時代、ネケブの町の女神ネクベトは王から篤い信仰を受けており、既に「王権の守護女神」という地位を確立させていたものと思われる。

最終的に多大な権力を得ただろうことは、その墓の大きさやモニュメントの数からも伺い取れる。


●参考情報
アビドスにあるこの王の墓と付属する葬祭殿の周壁は、「シュネト・エル=ゼビブ(shunet el-zebib)」、アラビア語で「干しぶどうの倉庫」と呼ばれる。これは最近まで再利用されていたため。日干しレンガで出来た周壁で、のちの時代の階段ピラミッドの周壁と構造が似ており、メソポタミア式の建築に近い。葬祭殿の周壁は宮殿の壁を模したものであると考えられている。


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