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新王国時代 第18王朝

トトメス4世

Thutmose IV
綴りはバラバラ→ Thutmosis Tuthmosis Thothmes


在位年代;前1400−1390年
誕生名;トトメス(トト神が生み出せしもの)
即位名;メンケペルウラー Menkheprure' (ラー神の出現は永続する)

ホルス名; カーナクト・トゥトカァウ (勝利を得たる牡牛、大いなる出現)
二女神名; ジェドネシュト・ミィ・アトゥム(アトゥム神の如く安定したるもの)
黄金のホルス名; ウセルケペシュ・ダァペジュウト9(諸外国を撃退した強き者)
※9つの弓=周囲の夷敵全て、の意味

マネトー名;トトモシス Thutmosis
古代エジプト語(より古い読み方);ジェフティメス Dhwtymess/ジェフウトモス Djhutmose

治世;11年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷、KV43 
出身地;テーベ

家族構成;父/アメンヘテプ2世 母/ティア 兄弟/カエムワセト、ネジェム、ウェベンセヌ など 妻/イアレト(姉妹のひとり)、ムテムウィア、ネフェルトイリ 息子/アメンヘテプ3世


●夢の碑文

ギザの大スフィンクスの修復者として知られている。スフィンクスの足元に立てられた「夢の碑文」によれば、夢の中にスフィンクスが出てきて、修復してくれたら王にしてやると言われたという内容が刻まれている。逆に言えば正統な王位継承者と看做されていなかったか、皇太子ではなかったかして、神意によって王位を継いだとしなければならなかったことになる。なお、称号からすると正妃の嫡男ではあったようだ。

内容はこちら
トトメス4世がスフィンクスの足元に建てた「夢の碑文」、適当に訳してみた


●対外政策

治世8年目のヌビア出兵など、小規模な遠征はあったが、とくに大きな戦闘はなし。先代までが、かなり派手に軍事活動を行ったので、特に何もしなくて良かったのかもしれない。
また、この時代に大国として君臨していたミタンニ(現在のシリア付近)との関係を強化し、ミタンニの王女を妻として迎えている。アマルナ文書にそのやりとりの一部が残されている。


通常オベリスクは2本で一対だが、珍しく、カルナック神殿の東に単一のオベリスクを建造。当時としては最も高いものだったという。
そのオベリスクは国外に持ち出され、現在は何故か、ローマのヨハネ大聖堂の傍らに立てられている。

テーベの「死者の町(ネクロポリス)」に豪華な貴族の墓が作られるようになったのは、この時代である。


●遺体

ミイラは現代に残っている。詳細はミイラ一覧を参照。
死亡年齢は30歳未満と考えられている。外来の伝統が入ってきていた時代のため、耳にピアス穴がある。


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