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プトレマイオス王朝

プトレマイオス12世(ネオス・ディオニュソス)

支配年代;前80年-58年、55-51年
誕生名; プトレマイオス
即位名; イウアエン・パ・ネチェルネヘム・セテププタハ・イルマアト
(救済する神の世継ぎ、プタハに選ばれしもの、真実の形)
添名; フィロパトル(愛父者)、フィロメトル(愛姉者)
治世;26年


王朝の首都;アレキサンドリア 埋葬地;アレキサンドリア 出身地; キュロス?

家族構成; 父 プトレマイオス9世 母 不明 姉妹/妻 トリュファイナ 子供たち ベレニケ4世、クレオパトラ7世、アルシノエ4世、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世

王座につく前の名はアウレテス。有名な最後の女王クレオパトラ7世の父である。

プトレマイオス11世の死後、王位相続人がいなくなったため急遽つれてこられた、プトレマイオス9世の庶子。ローマの介入を防ぐため仕立てられた王で、姉妹トリファイナを妻とし、夫妻は「愛父・愛姉者たち」(フィロパトレス・フィラデルフォイ)の名で呼ばれるようになる。この時代、すでにエジプトはローマから「属州」と扱われることが多くなり、戴冠するにあたってローマの承認を求めなくてはならなかった。
戴冠に際しては、メンフィスのプタハ神官がアレクサンドリアに赴いて執り行ったと記録されている。

王は民衆から「庶子(ノトス)」と呼ばれていたが、「新しきデュオニュソス神(ネオス・デュオニュソス)」を自ら名乗るようになって以降は、「笛吹き(アウレテス)」と軽蔑をこめて呼ばれるようになる。デュオニュソスはギリシャ神話の神で、酒による陶酔をよしとし、人間の本能の解放を伝道する。その名のとおり、酒を飲んでぐうたらしているばかり、重税をとりたてていた、あまり人気のない王だったらしい。

ローマとの軋轢から、彼はエジプトを守るべくローマにこびへつらい、多大な賄賂を贈って役人たちの買収に奔走する。しかしそれが国民にとっては裏切りと映り、紀元前58年、国を追われローマへ。のちに王位を守ったのが、妻トリュファイナと娘ベレニケ4世である。逃亡中、プトレマイオス12世はローマに軍事介入を求める。ローマの力を借りて王位に返り咲こうとしたのだ。それは成し遂げられ、紀元前55年、ベレニケ4世は戻ってきた父によって殺害される。


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