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カイロ(4) ギザ・サッカラ


ギザには、あまり語るべきことがない。バスでもタクシーでも、ホテル発のツアーでも行ける。
かの三大ピラミッドがあり、スフィンクスがある場所ということで、あまりに有名だし、説明も多い。人も多い。めちゃくちゃ多い。ここに来て、静かに古代に思いをはせるのはちょっと難しい。



行ったとき、ちょうどスフィンスの顔にはソバカスのように大量の鳩がとまっていた。おいおい… そこは確かに安全だけど、よりにもよって、スフィンクスの顔で休憩するのはキミたちは!!

フンが流れて不精ひげみたいになっていたりして、しかも雨の降らない国だからフンがこびりついたまま取れなくなっていたりして、なんていうかもう、言葉も出ない。

カイロの町は拡大し、この近くまで迫りつつある。
「ピラミッド通り」と呼ばれる、ピラミッド前から続く道に住むガイドさんがそう言っていた。物心つく頃から世界で最も巨大な建造物を見上げながら暮らしてる っていうのも、すごい話だ…。


10年くらい前、グラハム・ハンコックの「創生の守護神」や「神々の指紋」が流行った頃は、ここに来てガイドさんの話を笑い飛ばしながら聞く観光客がいた。さすがに今だにハンコックを信じている人は少なそうだが、かわりに日本人観光客だと、一時期ひどいほどテレビで流されていた、あの偏った説を覚えてギザにやってくる人が多そうだ。

 「日本人だとピラミッドの用途を間違えて覚えてる人、多くないですか」

と、ちょっと意地悪な質問をしてみたら、ガイドさんは微妙な顔をして、答えてくれた。

 「ピラミッドはとても大きいので、個人の墓としては立派過ぎると思ってる人もいるみたいです。一人でなぜ複数建てたのか? とか。でも、ピラミッドは墓です。もちろん目的はたくさんあったかもしれないです、一つじゃないかもしれないですが。」

「吉村さんのお陰で日本人観光客は増えました」とも言っていたが、それを言うならオカルトブームでエジプトに来る人だっているわけだし。

 …なんていうか、ハンコックと扱いが同じだ。(笑)

現地の人の認識としてもやっぱそうなのか。ということが確認できたのは、ここに行った一つの収穫だった。


人数制限のあるクフ王のピラミッドにも襲撃をかけてみたが、現在、入れる部屋が「王の間」だけになっているため、大回廊と棺しか見ることができない。人によっては肩透かしをくらった感じになるだろう。

棺は意外と大きい。人ひとりくらいなら入れる。ただし入れるからといって、誰も見ていないからといって、調子に乗りすぎるのはいけない。
中で遊んでいたタコすけな若者グループがいたので苛めておいた。いや、いきなり手を出したわけじゃなくてちゃんと注意したよ? 通じなかったかもしれないけど。国際交流ってやつダヨネ!

見た感じ、クフ王のピラミッド内にある石棺は、実際に遺体を入れる棺として使うよりも、アビドスにあるオシレイオンの棺のような象徴的な使い方をしたほうがピッタリきそうだ。

大回廊の傾斜は急で、しかも長い。1Fから5Fまでノンストップで階段を上がる以上にキツい。空気を抜く穴がつけられて内部に熱気が篭ることはなくなったが、足腰に来るダメージは大きい。体力に自信のない人、ご高齢の方は挑戦をあきらめることをお勧めする。



エジプト最初の首都、メンフィス。
劇的ビフォー・アフター、かつて「白き城壁の町」と呼ばれたプタハの町の、現在の姿はこんな感じで…



現在名はミト・ラヒーナ村。ナツメヤシが生い茂る荒野が続く。遺跡が出てくるから土地の利用に制限がかかっているのだそうだ。いたるところに「とりあえず、囲ってみました」といわんばかりのロープや柵で囲まれた空き地が。これから発掘するのかもしれない。

メンフィスの辺りはナツメヤシが特産だそうだ。綿花は地中海沿岸で生産していて、カイロからもっと南に行くとサトウキビが主要産物。
ナツメヤシの下では、誰の家のだかわからないヤギが昼寝していて、なんとものんびりした風景を作っている。


↓ファラオのパンチラ(特大)


ここも、主要な観光地のひとつなので、人が多い。
昔の城壁はもう残っていないし見どころ少ないと思うんだけど、それでも何故か人が多い…。

町には観光客むけの小さなカフェやみやげ物屋が並び、そのうち幾つかは屋根がナツメヤシの葉っぱで出来ていた。ちょっとアジアのリゾートにも似ている。




ギザ台地を降りるた道、川沿いは緑。ナツメヤシが生い茂る村が続く。
サッカラ周辺はカーペットスクールが多く、子供たちが細い指を使い、シルクや綿の美しい絨毯を織っている。



サッカラの階段ピラミッドは、裏側が修復中。メレルカさん家ことメレルカの墓、テティのピラミッドは10年ぶり2回目。どちらも、ほとんど変わっていない。
撮影禁止にはなったものの、メレルカの墓は相変わらず壁に覆いもなく手に触れられる場所に彩色された壁がむき出しになっている。年に何万人くるか分からない観光地で、四千年前の壁画が触り放題になっているというのもエジプトらしくて凄い。

壁画をぺたぺたしている人が意外と少ないのは、部屋に入ると全面ビッシリ絵と文章で埋め尽くされていて、どこを触っていいのか分からなくなるからではなかろうか(笑)


↓ここが超眩しい。サングラスがないと目が開けられない


階段ピラミッド前の葬祭殿には、考古学博物館に収められている有名な王の像が発見された、竪穴がある。そこにお金を投げ込むと幸せになれる、という噂が、いつの時代からか、まことしやかに囁かれるようになったという。

今では、その竪穴にはたくさんのお金が投げ込まれている。
だが、無限に溜まり続けることはない。毎日、夜が明けてみると、投げ込まれたお金は減っているのだそうだ。

 「門番さんがしっかり見張っていますからね。
  今では、彼の幸せです。」

と、ガイドさんは言った。
噂の真偽のほどはともかく、幸せになれる人がいるのは事実のようだ。


↓命名:アヌビス(マスタバ前にいたから。)



遺跡と砂漠の境界線。遠くにかすかにアブシール方向のピラミッドを望む。
観光客でにぎわう遺跡も、一歩進めばもう、人気のない荒野。



この先は、古代エジプト人が「デシェレト」と呼び、現代人が「サハラ」と呼ぶ、人の住むに適さない未開の地。いかにカイロが都会化し、町が広がり続けていても、この先まで人が覆い尽くす日はまだまだ先だろう。


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