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デンデラ


アビドスから戻ること2時間。ルクソールからは1時間程度のところにあるのが、デンデラ神殿。

ここはずっと昔からハトホル女神の町として、神殿が建てられ続けてきた場所だという。今あるのは、比較的新しく、ギリシア・ローマ時代に建てられたもの。
だから、神殿の外壁にはイシスに扮したクレオパトラ7世と王に扮した、その息子のカエサリオンがいる。

↓カエサリオンの顔は削られている



外壁はほとんど残っていないが、門はかすかに存在する。
これは神殿の東側。ご覧のとおり、ダイレクトに荒野につながっている。誰もいないように見えるが、丘の向こうには警官が見張っている。



アビドス同様、このデンデラも警護なしに訪れることが出来ない場所だ。テロ被害を防ぐため、観光客がフラフラ出歩いていると、警官に止められる。本物のライフルを持っているので、これが結構コワイ。

ロープなどが張られていないので、どこまでが行っていい場所なのか分かりづらいのが難点だ…。

神殿のそばにある、聖池。ヤシが生い茂っていることから分かるように、地下水がある。池の底には現在は水がないが、壁面に開けられた穴に顔をつっこむと、かすかな水の匂いがする。



ハトホル女神の加護を求め、神殿の一部が「病気に効く」とされたことから、神殿の外壁の一部は、ここを訪れたコプト時代の人々によって削り取られている。




この神殿の入り口に立つ「マンミシ」、誕生殿の一部には、コプト時代にキリスト教徒たちが自分たちの礼拝所として転用した跡が残っている。神殿の一部に十字架を掘り、祭壇としたのだ。

しかしローマ時代の誕生殿は手付かずだし、神殿の最も重要な部分は破壊されていない。他の神殿でもそうだった。エジプトにおける初期のキリスト教徒たちは、神殿の一部を拝借することはしても、完全に自分たちのものにはしなかった。



ガイドさんは、こう説明してくれた。

「どんな宗教も、お互いを尊敬しあうことが重要。マンミシが大切な場所であることは知っていたから、彼らも敬意を払って破壊はしなかった。」

この神殿を建てたのは古代エジプト宗教の信徒。
神殿に十字架を刻んだのはコプト(初期キリスト)教徒。
そして、ガイドさんは現代のイスラム教徒。

しかし、そのどれも「エジプト人だ」とガイドさんは言った。
同じエジプト人。


神殿の内部に入る。高い天井には鮮やかな青の彩色が残っている。
黒ずんで見えるのは、コプト教徒がここで生活したときの焚き火の跡だそうだ…。

天井には、端から端まで天空の女神ヌトが描かれている。東側の端には「太陽を生み出す」ヌト。西側の端には「太陽を飲み込む」ヌト。

分かりにくいが、この写真は東側の端、太陽を生みだすヌトの足の辺り。



拡大。


ヌトの体の下側にいるのは、ヌトの子供で、365日の神々だそうだ。365柱いるのかどうかちゃんと数えてはいないが…。

訪れたとき、西側の壁面は修復中だった。

この神殿の中には、ヌト女神のための至聖所もあった。
ハトホルの柱に支えられ、一段高くなったその場所の天井にも、太陽を飲み込み、また生み出す天の神としてのヌトが描かれている。この神殿が建てられた頃、ヌトとハトホルはある程度同一視されていたのだろう。




屋上には、ハトホル女神への祈りを捧げる小神殿。
この神殿の柱は全部で12本あり、12ヶ月を表しているのだという。階段は神殿の東側と西側にあり、屋上を通じて神殿を縦にぐるぐる回ることで、太陽の動きをトレースしていたと考えられている。



神官たちは、毎朝、日の出前にここに上っていたという。西の階段はらせん状になっていてけっこう長い。大変だったんじゃないかと思う。

屋上の東側、もう一段高い見晴台のようなところは、今回は立ち入り禁止になっていた。
周囲に高い建物がないため、神殿の屋上からははるか地平線まで見渡せるはずだ。その地平線からの日の出は、どんな風に見えただろうか。

↓屋上から川の対岸の崖まで見える



神殿内部は、狭そうに見えて実は複雑。
屋上と地下室、庭まであわせると、護衛の警官が戻ってくるまでの時間で見終わるのが厳しいかもしれない。

地下室については 別企画 にて対応予定。


<ちょい情報>
この神殿、入り口と出口にわりとキレイなお手洗いがある。
アイスクリームや飲み物を売る店は出口付近。いったん出口を出てしまうと戻れないので注意。
駐車場から神殿までの距離は、かなりある。


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