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エジプトの砦は猫で攻め落とせるか?

2007/12/8
2010/7/19


エジプトといえば猫である。

「エジプト人はネコを愛するあまり、ネコを盾に攻めてきたペルシャに無抵抗で砦を落とされてしまった」というウワサが、まことしやかに流されているのを見た時は、 さすがにソレはねぇよ と思ったものだ。実際調べてみると、ウワサは若干誇張されたものとなっており、猫を盾にしたとか、猫を放り込んだとかで無抵抗のまま降伏したわけではなさそうだ。しかし、猫に動揺させられ、弱みを作ってしまったというのが在り得る状況が存在したのである。

結論から言おう。

エジプトの砦は、場所と時代限定だが ネコで落ちる可能性がある。

ペルシャ王カンビュセスも、何も猫だけでエジプトを支配したわけではないのだ。
猫がとくべつ大切にされていた場所と時代を狙い撃ちしなければ、「ネコでエジプトGETだぜ!」作戦は成り立たない。その意味で彼は、うまくやったのだと思う。

周辺事情から適当にレポートしてみる。


■エジプト人は、なぜ猫を飼い始めたのか

まずはここからいこう。
いま、世界中で飼わけている飼い猫というものは、エジプトの西側に隣接するリビアから持ち込まれた、リビアヤマネコが祖先であるという。リビアからの移住者は、古くからぽつぽつとエジプトにやってきていた。ナイルという大きな河があり、どんな日でりでも水に不自由することがないためである。そしてナイルに添って住む人々は、基本的に農民だった。

農作物を作って暮らす農民にとって、ネズミは天敵である。農作物を食い荒らすのはもちろん、ペスト菌など感染病のもとを運ぶ厄病神だった。菌という概念は知らなくとも、エジプト人は既にネズミが病気を運ぶことは知っており、住居から遠ざける必要があった。ネコが飼いならされ、各家に必要とされたのは、そういう理由からである。保護され、増やされた猫たちは末期王朝時代には各ご家庭に最低一匹、最低でも百万匹は飼われていたともされる。猫のミイラがずば抜けて多いのも、さもありなん。
また、トガリネズミも同じ理由からネコと同様に必要とされた。トガリネズミは、名前は「ネズミ」だが、実はモグラの仲間で、虫や、時には小型のネズミを餌とする。

…まぁ、そんなわけで、エジプト人が猫を飼い始めたのは、決して「可愛いかったから」だけではない。猫のミイラが多いのも、猫の死体は食えなかったからだろうし、ふつう神殿でのみ飼われる聖獣と比べて、神殿の外でも飼われていたことが理由として挙げられる。古代世界はサバイバル、可愛いとか可愛くないだとか、うわついた理由じゃ生きてけないんですよ!
ちなみに、エジプトにおける最古の飼い猫の証拠は、紀元前4000年ごろの先王朝時代まで遡る。一昔前までは「中王国時代ごろから飼いはじめた」といわれていたのに、最古の年代がかなり繰り上がりました。(*大英博物館 古代エジプト大百科1版より。ここの部分は発掘結果によって遡る可能性あり)


■猫が国家的に重要になったわけ

というわけでエジプトの猫はもともとリビアからやってきたのだが、リビア人が大々的にエジプトに移住するようになるのは新王国時代末期、王権が弱まってきたあたりである。そしてさらに時代が進むと、リビア人が政権をとる時代がついにやってくる。

時は第22王朝、首都はブバスティス。ブバスティスとは古代名で「バスト」、バステト女神(猫の女神)の町である。それまで太陽神ラーやアメン、鷹神ホルスの町が首都に選ばれていたのに、なんと猫女神の町が首都に。首都の守護神=いちばんエライ。

猫神様が国家の神様になってしまったのだ。


使いまわしの図でスマヌ
※実際はここまで単純ではないです。その後の研究で年代が少しズレているので、これ書いた当時の年表だと思ってください…


この王朝の王様はとにかくネコ大好きであったらしく、八代目(資料によっては七代目)の王はパミまたはペマウという名前を持つ。これはネコをあらわす古代エジプト語「マウ」からきたもので、「猫の人」という意味である。「我輩は猫である」王というわけだ。

ちなみに平行して存在した第23王朝の「レオントポリス」も、ギリシャ語で獅子を意味する「レオン」の名前がついていたことから分かるように猫科の動物が聖獣で、獅子の眷属の猫は大切にされていた。

…というわけで、猫がエジプトで国家的に重要になり、王様まで「ネコ大好きー★」などと言い出す時代になったのは、末期王朝時代の22王朝あたりからなのである。それ以前の時代ももちろん地域によっては猫が聖獣として大切にされていたものの、家畜と同等の扱いを受けていた場合も多かっただろう。また、猫を神の化身とする地域以外では、依然として猫以外の獣の地位が高かったものと思われる。
余談になるが、もともと人気の高い神だったバステト女神は、22王朝含む末期王朝時代からローマ支配時代にかけてさらに神格レベルアップ、かなりの権威を持つ神に成長していた。


■ペルシャがやって来た時代と場所

冒頭の「ネコを盾に攻めてきたペルシャに無抵抗で砦を落とされてしまった」という話に戻ろう。

猫を使ってエジプトを攻め落としたのは、アケメネス朝ペルシャの王カンビュセスであるという。時は紀元前526年。年表でいうと第26王朝(首都はサイス)の時代である。第26王朝は、いちおうエジプト人の家系なのだが、もともとサイスはリビアからの移住者率が高いためある程度は混血である。(※1) リビアから移住してきたリブ首長国、マー首長国なども配下に組み入れているため、ものごっさネコ好きリビアーンな密度の高い国家。たぶん。首都はナイル下流のデルタ地帯にあり、リビア人率も猫率も高い。

こうして場所と時間が一致する。

もしもペルシャがやってきた時代が「ネコ大好き」時代より早く、首都がテーベのような上流にあったなら、ネコで砦が落ちたという噂はありえない。だが場所と時間がウワサに一致したことで、こんなウソみたいな話にも信憑性が出来てしまった。

※1
リビア人王朝といえば「ネコ(ネカウ)王」が即位していたことでネタにされるが、古代エジプト語ではネコはマウなのでこれは単なる偶然。自分の名前まで「ネコ」にしたのは、第22王朝のパミ王ただ一人である。



なお、カンビュセスがネコで攻め落としたのはペルシウムの砦(エジプトのアジア方面 防衛拠点のひとつ)だとされる。図解するとだいたいこんな感じか。

ネコのせいでピンチだな。

…なんか進軍途中にブバスティスとかレオントポリスとか、猫が聖獣の地域があるじゃないですか奥さん。なんてお馬鹿な配置なんだ。これではサイスまで一直線だ。これは本当にネコで落とせたかもしれん。
首都がもっと上流にあって、簡単に捕まえられないライオンや鷹を聖獣にしとけば、こうした伝説は生まれなかったかもしれないのに…。



■ヘロドトスの証言―― エジプトにおける猫と愛

で、エジプトといえばしょっちゅう引用されるヘロドトスさんの著書「歴史」である。
ヘロドトスは紀元前480年ごろに生まれ、紀元前440年ごろまでにエジプトに旅をした。ネコ大好き王朝の時代の後であり、しかも旅をした地方はナイル下流のデルタ地帯であることから、その著書に書かれた証言はいくぶん過剰であると差し引いて考える必要がある。またヘロドトスは情報源として観光ガイドや地元の一般人の言葉を利用としていたと思われるふしがある。従って、面白おかしく語られたものを額面どおり受け取って書いた、と思われる部分もある。

ヘロドトスは「巻のニ」の中で、以下のような話を伝えている。

○エジプト人は、猫が死ぬと眉だけをそり、犬が死ぬと頭も含め全身の毛を剃った。(66)

ここでは猫のみならず犬も大事にされていたことを述べている。また、毛を剃るという独特の悲しみの表現方法が記されている。

○猫は火事が起きると炎の中に飛び込んでしまう。(66)

よく間違って引用されるように、「火事が起きても猫を優先して助ける」とは、書かれていない。
「猫があんまり増えない」理由の一つとして、親猫が子猫をかみ殺してしまう話、火事が起きると人間の監視を振り切って炎の中に戻ってしまう話を挙げている。”猫は家につく”というのは、この時代も変わらなかったということか。

○猫は死ぬとブバスティスの霊廟に運ばれ、ミイラにされる。犬は各町の聖墓に葬る。(67)

猫の聖地といえばナイル上流のベニ・ハッサンにもあったのだが、ヘロドトスはそこに触れていない。旅した地域が下流のデルタ地域だったこと、首都がベニ・ハッサンを遠のいて久しかったため、上流での話は聞かなかったのかもしれない。

猫を殺すと死刑になる法律が作られていた… という話も何故かよく引用されているのを見かけるが、猫だけではなく、その地域で聖獣とされた動物は、それがワニだろうと、鷹だろうと、鷺だろうと、故意に殺せば重罪とされた。地域と地域の境目では、その獣を殺したのが州境のコッチ側だったかアッチ側だったかで有罪無罪が変わる、なんてことでモメたりもした。

また地元人であれば、生活に必要な動物を故意に殺すことはないし、どの動物がその地域の聖獣か知っているわけだから、わざわざ法律をつくる必要もない。法律は、よそからやってくる外国人むけの注意として作られたものだっただろう。

猫を殺した外国人がどうなったか、という実例は、ヘロドトスではなくディオドロス(ローマの歴史家、プトレマイオス12世の時代)が記述している。

”一人のローマ人が一匹の猫を死に至らしめた。民衆は「殺戮」を行ったそのローマ人の家に殺到した。彼を助けようとしてエジプト国王が派遣した治安官たちの努力も、ローマの威力が呼び起こす一般的な恐れも、この男の命を助けることに役立たなかった。彼のなしたことは偶発的なことであったということが認められたにも関わらず、であった。これは風聞にもとづいて私が書いている事ではなくて、私自身がエジプト滞在中に目撃したことである。”


■伝説が生まれた原因− ペルシャの急襲

エジプト人のネコ好きとは別の要因として、ペルシャ王カンビュセスの侵攻があまりに性急だったのと、エジプト軍がボロ負けしたのとが挙げられる。
第26王朝最後の王プサメティク6世は、即位後わずか6ヶ月で捕虜となり、数年後には処刑されている。つまりペルシャは、王権交代の隙を狙っていて、まさにその直後の手薄な時に攻め入ってきたのである。
プサメティク3世がどんな王だったかは分からない。が、軍人上がりで敏腕だった先代の40年に渡る治世の直後だったこともあり、即位してすぐには軍の統率がとりきれなかったのかもしれない。
実はエジプト軍、なんだかんだでボロ負けということをあまり経験していない。そんなこんなで、「相手が卑怯だったから、しょうがなかったじゃん」と子孫に言い伝えたくなったとしても、その気持ちもわからんではないのである。


■ペルシャ軍のネコ作戦は、どこまで史実か?

エジプトがペルシャの支配を受けるまで、猫は外国への持ち出しが禁止された動物だった。冒頭で書いたように、疫病の蔓延を防ぎ、穀物を守るために必要な動物だったのはもちろんだが、王様がネコスキーだったことも関係するかもしれない。いずにせよ、ペルシャが猫を持ち帰り、それが世界中に猫が広まる原因となったとされている以上、ペルシャ軍が猫を手に入れたのはエジプトを攻めたあとのはずだ。まだ砦ひとつ落とせていないうちから、作戦に使えるほど大量の猫を確保できたとは考えにくい。(※2)

よって、「投擲で投げた」「兵隊が盾にくくりつけた」は、実際にあった砦攻めに尾ひれのついた話だろうと思われる。(つーか猫って、大人しく縛り付けられてるような動物じゃないですよね。(笑))

※2
当時のエジプトには野良猫があまりいなかった。というのは猫の子供がしばしば鷹などの猛禽類に食われており、川べりには野良犬や野良カバ、ワニなど危険な動物がいて食物連鎖の下位に属していたからだ。そもそも河辺の狭い場所以外は砂漠のエジプトのこと、ネズミの多い民家付近を離れては、猫も生きていくのは難しかったということだろう。*参考:古代エジプト動物記(酒井傅六)


というわけなので、ペルシャによる猫を使った城攻めという話は、当事のエジプト人がネコを大切にしていたことと、カンビュセスがしばしばエジプト人の信仰心を害するような真似をしたことが合体して、のちに作られた「うわさ話」と見るのが無難なところだと思う。

ヘロドトスは、カンビュセスが聖牛アピスを崇めるエジプト人たちを見て「そんなものは聖なるものではない!」と牛と神官たちを殺してしまったという話を伝えている。それが事実かどうかはともかくとして、ヘロドトスにこのエピソードを語ったエジプト人はカンビュセスを「信仰心のない無粋なやから」とか、「神をも恐れぬバチ当たり野郎けとか認識していたことになる。

でもって、「カンビュセスのヤローに負けたのは、猫を盾にしやがったからだ! 猫さえ盾にされなければ負けたりしなかったさ」「なんとカンビュセス、それは卑怯だ。なんて酷い男! 負けてもしょうがないよウンウン」ってカンジで、話が作られたのではないだろうか? エジプト人の言い訳の一つとして。



■結論

最初に述べたとおり結論は

ペルシャが攻めてきた時代、エジプトではかつてないネコフィーバー中、しかも王様がネコスキーだったため猫によって隙を作られた可能性はある。しかし、そんなどっかのマンガみてーに猫のために命投げ出すというのは、ちょっと考えにくい。一部、話が誇張されてると思うよ。


戦線を混乱させるだけなら、猫じゃなくても良かったと思うんだよね。

ネズミ使って城内を混乱させた話もあるくらいだし。(ネズミが革ヨロイを齧ってしまい装備がなくなって負けたという伝説がある。また、ネズミによって伝染病を媒介させるというイヤラシイ戦法も古代にはあった)

ただ、ペルシャが攻めてきた時代がちょうどネコフィーバー中だったのと、「俺はネコだぜ!」なんていうふざけた名前の王様がいた時代だったのと、カンビュセスはエジプト人の信仰をないがしろにした王だったという話がくっついて、「カンビュセスは猫を盾にするくらい卑怯な王だった」→「実際に盾にしやがった、だからエジプトは負けた」というふうに変化していく下地は十分だったのだろう。

エジプト人が猫を愛していたのは事実だが、猫だけを溺愛したというわけでもない。
時代や地域、人によって、好む種類や好みの度合いは異なるはずで、猫で落とせる時代は、むしろ特殊な時代だったのかもしれない…

#ちなみに、猫は国外持ち出しが禁止されていたためギリシャ人やローマ人はほとんど猫を見たことが無かったと言われる。ヘロドトスはじめ、エジプトにやってきた初期の歴史家たちが猫について詳しく記述しているのは、見慣れない動物に対する好奇心もあったのだろう。


■おまけ

2011年のエジプト革命で使用された猫シールド。(精神系攻撃)
100万人の民衆は猫によって集められたとかなんとか。


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