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ミイラの伝え方


”人類最古のミイラ”といえばチリのチンチョーロ・ミイラだが、
ヨーロッパのミイラ作りの系譜は、おそらくエジプトから始まっている




エジプトのミイラづくりは、砂漠で乾燥した「天然ミイラ」から始まった。
王朝時代に入る以前の古代エジプト人の墓は砂の中に直接作られていた。もちろん、熱い砂の中に人を埋めれば自然にミイラ化するものだ。だが、王侯階級が生まれ、墓が凝ったものになりはじめると、皮肉にも、立派に作られた墓が遺体を腐敗させる原因となってしまった。
庶民の遺体が永遠を手に入れ、王侯の遺体がすぐに朽ちてしまうのでは困る。と、いうことで、人工的な「腐敗防止策」が考え出されたのだ。

最初は塩によって乾燥させていたがようだが、それでは組織をひどく痛めてしまう。
試行錯誤のすえ、やがてナトロンを使って遺体を乾燥させる方法が編み出された。このとき人の体の仕組みを研究したことから、古代エジプトの医学が生まれたと考えられている。

…さて、エジプトの「ミイラづくりの歴史」は言わずもがな、だが、実は、ヨーロッパにも意外とミイラ作りの伝統があるのだ。
エジプトで「高貴な人をミイラにする」風習がなくなったのち、その伝統を引き継いだのは、キリスト教徒だった。
異教弾圧の歴史を持つキリスト教だが、旧約聖書の中にある「偉大なる先例」が、彼らの抵抗を弱めたものと思われる。

それは、創世記の50節…、兄たちによって、エジプトへ奴隷として売られたヨセフが、父イスラエルに防腐処置を施す部分である。

『ヨセフは父の顔に伏して泣き、口付けした。
ヨセフは自分の侍医たちに、父のなきがらに薬を塗り、
防腐処置をするように命じたので、医者はイスラエルにその処置をした。
そのために、四十日を費やした。この処置をするのには、それだけの日数が必要であった。エジプト人は七十日の間、喪に服した。』

ここに登場する日数は、エジプトでミイラ作りに要する「七十日」とは少し違うが、ヨセフはエジプトの医者に防腐処置を依頼したのだから、実は七十日を費やしていた可能性もある。ちなみに、古代エジプトにおける「医者」は「神官」が兼ねることがほとんどだった。ミイラ作りに携わるのは特殊な神官だったが、ここでは混同されていると見ることも出来る。

それから、もう一つ、イエス・キリストについても、やはり「防腐処理」と見られる処置が施されている。
手元に新約聖書が無いもので(…エジプトとの絡みが少ないので買わなかった)、その部分を書き出すことは出来ないが、キリストの死後、人々が遺体に植物樹脂を塗りつけたという下りがある。

手法の類似から、これらはエジプトから伝来した技術である可能性が高い。
「出エジプト記」のように海が割れるような天変地異が起こったかどうかは別として、エジプトと中東の間に、かなり古くから大規模な人の移動があったことは、ほぼ間違いないだろう。

旧約聖書に登場する重要な祖先がエジプト式の防腐処置を施されていること、キリスト教のシンボルであるイエスが防腐処置をされ亜麻布にくるまれて葬られたことから、ユダヤ教やキリスト教がエジプト的な「遺体保存」の習慣を抵抗無く受け入れたことは不思議ではない。
事実、中世の聖人たちの中には、人工的に「防腐処理を施され」、朽ちない死体となって信仰を集めている方もいる。
(たとえば、十三世紀のイタリアの聖人、聖マルゲリータ。)

古代エジプトのミイラ職人たちは、防腐剤としてスギやマツの樹脂(ヤニ?)、没薬(ミルラ)、ハーブなどを使用したようだが、キリスト教徒たちが作ったミイラも、同じような物質を処置に用いているようだ。

朽ちない聖人の全てが人為的に作り出されたものではないが、永遠なる肉体を崇拝の対象とするのは、古代エジプトでも、キリスト教でも、変わらないようだ。


関連>キリスト教とエジプト神話(このサイト内の別コーナーへ飛ぶ)


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