ェイムズ・スターリング空を飛ぶ

Written by 岡沢 秋



 空は青く澄んで、こちらの気分も上々。絶好の飛行日和だ。
 我が親愛なる斜向かい、町内会の期待の星、ジェイムズ・スターリングが作った「飛行式自転車」。そのお披露目と公開初飛行に相応しい。
 あらかじめ町内掲示板で知らされていたそのセレモニーには、灰色横丁じゅうから数多くの人々が押しかけた。白い襟巻きのクリーニング店主、捻り鉢巻の魚屋の旦那、受験勉強を終えて晴れ晴れした顔の中学生を連れた保護者連中まで、それはもう、ありとあらゆる人種が広場にひしめき合っている。普段マイペースでこういった行事に参加したがらない野良猫たちも興味津々、広場の近くの民家の屋根に、偶然、日向ぼっこしに集まってきましたよといった顔で腰を下ろしている。
 広場の中央には、もったいぶったテントが作られていた。おんぼろカーテンを繋ぎ合わせたような急場ごしらえのそれは、広場の真ん中に立つイトスギの枝に張られたロープに垂れ下がっていて、どうやらスターリングの自転車はその中にあるらしかった。見えないことで焦らされ、期待を膨らませながら人々は、さてどんなものが出るのだろう、中には何があるのだろうかと、口やかましくしきりに論じ合っていた。
 大したものであるはずがない、というのが、町の建築家アレン・ウィルジャンの説。当代きっての天才発明家と呼ばれたスターリングだって、幾らなんでも宣言から僅か半年で空を飛ぶ自転車なんて作れっこない。だいたい、本気で自転車を飛ばそうなんて考えた者は、過去に誰ひとりいない。
 それに大真面目に反論したのが、黒ブチ眼鏡のケーキ屋の夫人。あの人ならやれるわよ、と言うのが彼女の弁だった。だって私が一日千個の卵を割るのにもうウンザリって言ったら、一週間後にはもう、自動卵割り器を作ったくれたもの。と。
 この話は、普段ケーキ屋に縁がない人々の興味を大いに引いたようだった。隣町の新聞記者がそっと夫人に近づいて、是非ともその話をもう少し詳しく聞かせてくれないか、と言った。夫人は得意げににっこり微笑んで、色んなことを捲くし立てた――― スターリングは灰色横丁の住人たちのために、今まで色んな発明をしてきたものよ。例えば毎月自動で宣伝の変わる看板とかね。クリスマスケーキはケーキ屋「マロン」で! 冬至祭りにアーモンドたっぷりビスコッティ。つくし祭りにイチゴのケーキ。星夜祭なら、ラメで飾った星の形の可愛いクッキー! それだけじゃないの。自動販売機にはじめてランダム機能を採用したのは彼だし、自動ドアに絶対挟まれない方法を編み出したのも、やかんの注ぎ口にちょっとしたキャップを被せ、お湯が沸いたときの音を「ピー」から「ピュルー」に変えてみせたのも。彼はとにかく天才で、宣言したら何だってやってのける人なのよ。
 新聞記者がそろそろ立ち去りたそうなのを見て夫人は、もし今言ったものが見たければ、うちにいらっしゃいなと鷹揚に微笑んだ。それから皆に向って、スターリングはうちのベイクド・チーズ・ケーキが大好物なのよ、お得意様なの。ミルクはカルシウムたっぷりジャージー牛乳から作られて、頭に良い。あなた方も是非一度お試しあれ。と宣伝を付け加えることを忘れなかった。あちこちから小さな忍び笑いが上がった。いつも売れ残ったケーキのお零れを頂いている、近所の悪ガキどもだ。夫人ご自慢のベイクド・チーズ・ケーキが、勉強する気のないヤンチャ盛りの子供たちを机に向わせる効果も含んでいたなら、彼らのテストの結果が散々なのはカルシウム不足のせいなのか勉強不足のせいなのか、はっきりするところなのだが。
 それから、派出所のミヒャエル氏も来ていた。ややでっぷりとしたビール腹に、制服のベルトが窮屈そうだ。たっぷりとした八の字ヒゲをもったいぶってしごきながら、鋭い目で群集を見回している。灰色横丁切っての敏腕警部で、お祭り好きだが楽しんでいる時も決して気は緩めない。毎年広場で行われる盛大なバザーで、スリやごまかしを働こうとして捕まらなかった者はいない。制服の胸元には誇らしげに、幾つもの褒章バッジが輝いている。解決出来なかった事件はたった一件。ずいぶん昔の失踪事件だけだった。
 ミヒャエル氏に言わせれば、発明家のスターリング氏は悪い奴じゃないが、どうにも騒動を起こしすぎる。とのことだった。いつだったか、靴屋のハンスに頼まれて夏の夜が快適に過ごせるようにと自動蚊取り機を作ったときなど、えらい騒ぎになったものだ。ゆっくり眠れるようにと蚊取り機を仕掛けて寝たはいいものの、夜中にハンスの家の猫がじゃれ付いてシッポを挟まれ、夜中に家中走り回って泣き叫び、近所じゅうの人を叩き起こした。結局その後、蚊取り機は猫のシッポを挟まないよう改良されたが、一つ間違えば赤ん坊の手が挟まれていたかもしれない。
 彼の発明はいつだって騒ぎの元なんだ、と、警部は言う。自転車が空を飛ぶだって? それが本当に実現できたら大したもんだが、見物人の頭上に墜落してこないとも限らない。
 彼は集まった灰色横丁の面々にじろりと鋭い一瞥を浴びせかけ、やや背中を逸らし気味、肩を左右に揺らしながら、のっし、のっしと歩き回った。そして時折、もったいぶって閉ざされたイトスギの下の張りぼてテントのほうを見守った。

 その日、広場は大いにごった返していたが、公園の片隅にあるオンボロ小屋には、誰も近づこうとはしなかった。
 そこは、もう十年も前から住み着いている流れ者の浮浪者、コリン・ウィルソン爺さんの掘っ立て小屋で、窓も扉もダンボールで出来ている。もとは何かの細工師だったらしく、自分の工房が倒産したとかなんとか、着のみ着のまま灰色横丁に流れ着いた。あんまり昔からいるもんだから、生まれた時からずっと町に住んでいる連中でさえ、爺さんがよそ者だったことを時々忘れそうになる。爺さんのダンボール小屋は、いつもひっそり死んだように静まり返って、中に溜め込まれたゴミのせいで、何かが腐ったような匂いがする。時々、本当に死んでしまったんじゃないかと心配になって覗きに行くお世話焼きがいるが、そうした連中は匂いで気分が悪くなりながら、爺さんは中でピンピンしてた、と頭を振りながら戻って来るに決まっていた。
 他の宿無しの例に漏れず、爺さんも随分汚らしかった。真っ白な髪は地面に届くほどザンバラに伸び、辛うじて黒い毛の残る髭は地面に届くほど。細い、ごつごつした四肢がその中から突き出して、歩いている姿などまるで毛玉が地面を這いずっているみたいだった。爺さんは殆ど喋らない。物乞いもしなかった。誰かが食事や着物を持って行っても、しらんぷり。ありゃあ余程気位の高い人に違いないよ、と人々は噂した。人のすること、言うことに興味なし。そのくせ、どこで知るんだか耳ざとく、町で起きることは大抵知っている。
 あのとき爺さんがいれば、ミヒャエル警部の過去唯一の汚点は拭えたかもしれないのにね、と、誰かが冗談で言っていた。旦那を無くした年寄りの未亡人が、ある朝、忽然といなくなった失踪事件。食卓に朝ごはんの準備をして、飼い犬に餌をやり、ふと思い出して新聞を取りに…そんな状態のまま、玄関も開けっ放しで消えていた。年寄りが一人で遠くまで行くはずもない、とミヒャエル氏は懸命に聞き込みをしたが、誰一人として、その朝いらい老婦人を見かけた者は居なかった。それっきりだ。
 町のことなら何だって知っているコリン爺さんが、当時まだ灰色横丁に住み着いていなかったことは確実だ。何故って、老婦人のいなくなった時、皆して総出でそこらを探したが、だれ一人マスクをつけていなかったから。オンボロ小屋の腐った匂いは、近くに寄るだけで酷い気分にさせてくれる。

 そのコリン爺さん、自分の家の前で起きることには気になるらしく、今日は珍しく窓からちろちろとこっちを見ていた。そりゃあ、これだけの騒ぎだ。気にならないわけもない。広場で祭りや運動会のある時には、騒がしいのを嫌がって、大抵どこかへ隠れてしまうのに。
 「さて、本当に自転車は空を飛ぶのかしら」
誰かが声高に言うのを聞き、爺さんはもぞもぞと頭を掻いた。
 「そりゃあ、分からないさ。だけど、スターリングのすることだ。きっと、ただじゃあ済まないぞ」
 「そうね。あの人の発明品は、いつだって驚き桃の木だもの」
と、その時、イトスギにかけられていたツギハギの幕が、ぼそぼそと揺れた。縄が弛み、布が地面に落ちてゆく。
 おーっという声に迎えられて、眼鏡をかけた背高ノッポの男が、目をしょぼしょぼさせながら現れた。このセレモニーの主役、我等が発明王、ジェイムズ・スターリング。手伝いを買って出た近所の人々がせーので布を外し、話題の自転車をあらわにした。
 ただの自転車? いいや、違う。
 それには大きなプロペラがついていた。サドルの上の丸天井と、荷台のあたりにそれぞれ1つ。それから、両脇には大きな翼。ペダルはプロペラと繋がって、ハンドルにはブレーキの代わりに左右についた翼を上下させるスイッチがついている。籠は無いけどライトつき、もちろんちゃんとベルだってついている。ちりんちりんと、涼しい音をたてるやつだ。
 「さて、お集まりの皆さん」
スターリングは、痩せっぽちな見た目から予想される以上に声を張り上げた。
 「ここにあるのが僕の自信作、『飛行式自転車』です。今のところ助走が必要なため狭い路地では仕えませんが、理論上は、カンペキに空を飛ぶはずです」
ここで人々から口々に声が上がった。質問、それは人力だけで空を飛べるもなのか? 墜落したりしないの? でも見た目は本当に自転車だよね、うんでもヘリコプターにも似てるかな…
 「飛びますとも。」
彼は自信たっぷりだった。「もちろん、人力のみです。でなければ自転車ではなくオートバイになってしまいます」
 「それはそうだがね、その、なんていうか…。それは太った人でも空を飛べるのかな?」
 「太った人は」
そこで彼は思案する。「そうですね、うーん。それは想定外かもしれません。設計は僕の身長と体重を想定して行いました。ですから、それ以上大きかったり、重かったりすると、重量オーバーになるかもしれません。」
 「その飛行自転車は速いのかな?」
 「漕ぎ手次第でしょう。自転車ですから。ただやっぱり速すぎるのはよくないでしょう。空にも速度制限を設ける必要があるかもしれない」
 「空でブレーキをかけたい時は、どうするの?」
 「ブレーキレバーを使います。そうすると、尾翼になっているこの羽根の角度が変わって、風の抵抗でスピードを落とすことが出来ます」
 「ベルがついてるけど空でベルなんて使うのかな」
 「これは、地上にいる人に呼びかけるためのものです。誰だって、ほら飛んでるときに下の道を知り合いが歩いていたら、声をかけるか、手を振りたくなるでしょう? でも、声って下に向っては届きにくいですからね。ちょっとそこまで買い物に出たとたん、喉をからすほど怒鳴る羽目になるのは、僕だって嫌ですから。」
 「その自転車に鍵をかけるところがついているけど、もしかして、悪がきどもに手出しされない、どこか高いところに置いておく事も出来るのかな?」
 「そりゃあ、鐘楼台の上にだって、降りればそこに繋ぐことは可能です。でも、そう頻繁にぶら下げておくのは不可能でしょうね。なんたって空には空の悪がき、カラスどもがいるし、それに、取りに行くのが億劫になってしまいますから。」
それからも様々な質問が飛び出し、スターリングは大真面目に答えていった。新聞記者はそれらをせっせとメモに書き留め、時折思い出したようにフラッシュを焚いた。
 もう十分と思うところまで話が出尽くすと、彼は片手を上げて人々の言葉を制し、「では」と、自転車のほうを振り返った。「実際に、皆さんにこの自転車の素晴らしさをお目にかけましょう。」
 その言葉を待ってましたとばかり、屋根の上にいた猫たちが興味津々、目を爛々と光らせて身を乗り出した。建築家は難しい顔で腕組みし、やかましいケーキ屋の夫人も口をつぐみ、新聞記者は慌ててカメラを構え直し、警官氏は片手でヒゲの先を丸めながら、鋭い目で見つめている。
 自作の飛行式自転車にまたがったスターリングは、ペダルの調子を確かめると、手伝ってくれた人々に離れているよう指示を出した。指をちょっと舐め、風向きを確かめると左右の翼を広げた。風向き良好。風速5m。灰色横丁上空へ、テイク・オフ。
 彼はスタンドを蹴り上げ、ゆっくり、力を込めてペダルを踏み込んだ。イトスギの根元から町へ向って、なだらかな斜面を軽やかに。穏やかな向かい風の中、自転車はたちまち加速し、頭上のプロペラは高速回転。スターリングの髪の毛が逆立って、まるでトゲトゲの帽子を被ったみたいになっている。子供たちは歓声を上げ、我さきにと自転車を追いかけて走り出した。大人たちは若干遅れる。新聞記者はカメラを抱えたまま、転ばないよう、必死で追いかけた。
 加速していく自転車は、人々の視界のずっと先。ふわりと、前のタイヤが宙に浮いた。
 おおーーっという歓声を背に受けて、スターリングは、いざ空へ!
 ブブーンと耳障りな羽音が、口をぽかんと開けて見上げる人々の上を通り過ぎていく。自転車が空を飛んでいる。あれは本当に自転車なのか、いや本当に自転車さ、だってご覧、スターリングは顔を真っ赤に、汗をだらだら流しながら、必死でペダルを漕いでいる。
 彼は十分に上昇すると、ハンドルをぐるりと回し、円弧を描いて広場の上に戻ってきた。下では人々が歓声を上げながら手を振っている。だがスターリングには応えるだけの余裕がない。イトスギの梢をかすめ、もう一周。だが、そこまでだった。
 「ああ、あ」
誰かが指差した。
 「傾いた、まずいぞ」
 「落ちてくる」
息が切れたのか、風向きを間違えたのか、とつぜん失速した自転車は、ぐらりと斜めに傾いた。そのとたん、前のプロペラがポッキリと折れた。
 「ああー!」
途端に自転車はバランスを失って、くるくると木の葉みたいに回転しながら墜落していく。その先には、コリン爺さんのダンボール小屋がある。
 ケーキ屋の夫人は小さく悲鳴を上げて手で顔を覆った。誰もがショックで動けない中、険しい顔をして真っ先に駆け出したのは、ミヒャエル警部。体をゆっさゆっさ揺さぶりながら、イノシシみたいに突進していく。
 「大変だ。スターリングを助けろ」
誰かが叫び、若い衆がわっと続いた。その時にはもう、自転車はダンボールの中に突っ込んで、スターリングが降ってくるのを見たコリン爺さんはいち早く小屋を逃げ出していた。積み重なったゴミとダンボールの山に突っ込んで、自転車は見るも無残な状態だ。翼は折れ、タイヤはひしゃげ、後ろのプロペラは、まるで巨大な花が開いたみたいに側の雑誌の山に突き立っている。
 「スターリング、スターリング!」
ぐんにゃり曲がった腕がダンボールの底から突き出しているのを見付け、ミヒャエル氏は酷い悪臭のするガラクタを掻き分けながら大股に近づいていった。
 「立てるかね、スターリング?」
 「ああ、ううん。誰か酸素吸入器を持ってきてください…」
ミヒャエル氏の指示で、鼻をつまみながら若い衆が集まってきた。両脇からせーので埋もれたスターリングを引っ張り出し、小屋の外へ連れて行く。
 「ひどい場所へ落ちた」
と、スターリング。
 「普段ならな。だが、今回は運の良さを感謝せにゃならん。ここがゴミ溜めで良かったじゃないか。お陰で骨が折れずに済んだ」
 「それはそうだけど…。こんな酷いクッションは初めてだ」
うんざりした様子のスターリングが外に担ぎ出された後、彼の落としていった眼鏡はまだそこにあった。拾い上げようと腰を屈めたミヒャエル警部、ふと、ダンボールの下に何かが隠れていることに気がついた。
 「これは何だ?」
白っぽい、ほっそりしたものが覗いている。
 「これは…骨だ! 小屋の下に死体が埋もれているぞ。スターリングが見つけた!」
 「なんですって? 僕が何を見つけたんです?」
そんなことより眼鏡を返して欲しいスターリング、あちこちぶつけた痛みで腕や足をさすりながら、怪訝そうに振り返る。そこへ、飛行式自転車の結末を見ようと町の人々も集まってきた。
 「そういえば、爺さんは? ここに住んでる爺さんはどこへ行ったんだ」
 「さあ…。いないね」
 「何だって、逃げたのか? すぐに捕まえろ!」
ミヒャエル氏は顔を真っ赤にして、部下の警官がいないか辺りを見回した。「あいつは殺人犯かもしれない。ここにいるのは、行方不明になった未亡人かもしれないぞ!」
 「警部さん。我々は、空を飛ぶ自転車を見に来ただけなのですが…」
 「そうなんだが、その自転車のお陰で、未解決事件が解決しそうなんだよ!」
人々は顔を見合わせ、状況が分からないなりにぺちゃくちゃと話し合った。だが、確かなことは、飛行式自転車は本当に空を飛んだし、スターリングは無事だった。コリン爺さんはいなくなってしまったし、その代わりに、昔いなくなった老婦人は戻ってきた。
 「ね、だから言ったでしょう。」
ここぞとばかり、ケーキ屋の夫人が声を張り上げた。「やっぱり、スターリングはやってくれたわよ。自転車は本当に空を飛んだじゃない。」そして、それはうちのカルシウムたっぷりなケーキのお陰よ…と、言おうとした続きの言葉は、途端に湧きあがった歓声に掻き消された。
 「そうだ! スターリングがやってくれたぞ。奴はやっぱり、凄い奴だ」
大きな拍手が沸き起こり、ひとりポカンとしているジェイムズ・スターリングは、訳も分からず左右から担ぎ上げられた。
 「胴上げだ! この町の英雄を胴上げしろ!」
わあわあと口々に叫び合いながら、人々はスターリングを宙に放り上げた。スターリングは舌を噛まないよう必死で口を閉じながら、空中で手足をジタバタさせていた。その後ろではミヒャエル氏が、ようやく駆けつけた部下を集め、コリン・ウィルソン容疑者の手配と、現場に残された大量の遺留品をゴミとそうでないものに振り分ける作業を命じていた。そんな人間たちの馬鹿騒ぎを他所に、見るものは見てしまった猫たちは興味をなくし、灰色横丁の路地裏へ、三々五々と帰っていった。

 結局、コリン爺さんは見つからなかった。まるで猫みたいにすばしっこい爺さんだ。たぶん、あの長い髭で自分の足跡を消しながら逃げたんだろう。ダンボール小屋は取り壊され、その下にずっと昔から隠されていた老婦人の骨は、一つ残らず回収された。こうして町からは異臭が消え、ミヒャエル氏の過去の汚点、未解決事件は、ただの一つも無くなった。警部氏はしきりとスターリングを褒め、以前よりずっと発明家に好意的になったらしいが、スターリングに「自動犯人追跡機」だの「警察犬ロボット」だのを注文しに行かないかどうか、心配だ。
 そしてスターリングにとって心外だったことに、空飛ぶ自転車の噂は、墜落して骨が見つかったところから始まり、スターリングは殺人事件の解決功労者として新聞の一面を飾った。そんなだから、ベイクド・チーズ・ケーキが売れるようになったかどうかは、分からない。
 後日、折れて飛んでいった大きなプロペラは、広場から1.5マイル離れたススキ野原の端で見つかった。部品を拾い集めてスターリングに渡しに言ったら、彼はそれを一瞥するなり、もう要らない、と呟いた。
 「どうして」と、聞いてみる。「君のじゃないか」
 「どうやら、あの『飛行式自転車』は、まだまだ改良が必要らしい。人の筋肉の持つ持久力と肺活量について、考慮に入れなくては。そして何より――これは、僕としては甚だ遺憾で、何故今までそれを思いつかなかったのかと我が身を悔やむ思いだが――着地の方法について十分に検証する必要がある。」
なら、こいつは貰っておいてもいいか? いいとも。大いに結構、キミの好きにしたまえ。
 それから自転車はずっと、うちの納屋にある。もちろん綺麗に磨いて、元通り組み立てなおしてある。その自転車は扇風機になるし、体重が増えすぎたときのシェイプアップ機に、雨で遊びに行けない日の子供のオモチャに、もちろん、翼とプロペラさえ外せば普通に買い物にだっていける。重宝させてもらっているお礼を言いたいのだが、スターリングはそれどころではないらしい。
 今、彼は宇宙に行く計画を練っている。どうしても月に海がないことが信じられないのだそうだ。曰く、そうでなければ月があんなに輝く理由が分からない。あれは一面の海が太陽の光を反射して、白く輝いているせいなのだ、とか。
 彼は本当に月に行けるだろうか。いやいや、今までだって宣言したことは全部やり遂げて来た立派な発明家なんだから。きっといつか、彼は本当に月行きの自転車かバイクかロケットを発明するだろう。そしてまた発明品が出来たら、広場から、盛大に打ち上げセレモニーを行うのだ。
 願わくばその日まで、灰色横丁が平和でありますように。

Fin.

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サラ・ブライトマンの「Time to say goodbye」に乗せて、優雅に墜落する飛行自転車のように。
角のタバコ屋に住むトラ猫の言うことにゃ、「小説は面白くてナンボ、面白くもない小説は原稿用紙のムダだね」ってさ。

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