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―「頭がいい」って、どゆことですか。

 

 頭がいい、という言葉は、何気なく使われているが、どういう意味なのだろうか。

 テストの点数や偏差値のことを指すのか。記憶力や計算力なのか。ハキハキ喋れることなのか。
 あまりに何気なく使われすぎて、その中身がはっきりしていないように思う。そして、具体的ではないにも関わらず、多くの人が、その言葉にこだわりすぎているように思う。

 頭、と言うとき、その中身はハードウェアにあたる「脳」の次元と、ソフトウェアにあたる「脳を使った機能」の部分に分けられる。機械に喩えることが適切かどうかはともかく、脳そのものの性能と、そこから生み出される機能とは別ものとして扱うべきだろう。


◆器官について

 まずは、すべての知的作業の大元となる、脳という器官についてである。

 脳には大きく分けただけでも、大脳・小脳・間脳に脳幹というものがあり、それぞれの機能が異なっている。通常「頭がよい」という表現をしたときに注目されやすい思考や発想といったものは、主に大脳から発生する。
 しかし、運動能力は小脳から生まれるし、生命力という意味では、あるいはそのいずれでもなく、さらに特殊な脳下垂体や脳内の神経といったものが関わってくるかもしれない。
 ここでは、頭、というものを、頭皮や頭蓋骨を除いた、文字通りの「頭」として使われる脳の意味で語ってる。
 すなわち、脳のいずれかの部分が局地的にでも優れているならば、そういった人はすべて、「脳の機能が優れている」=「頭が良い」ことになる。

運動神経がよい人も、思考回路はブチ切れているが発想の豊かな人も、「頭がよい」人である。

 決して自分のコンプレックスを否定するために言っているわけではない(笑)


◆機能について

 私は、何か一つでも優れたものがあれば、その人は頭がいいのだと思っている。絵でも、
 マンガしか描けないという人でも、ストーリーを組み立て、絵を描くことは脳の機能から生まれる作業なのだから、実にすぐれた脳の機能をお持ちだと言うことが出来る。
 そうなると、世の中の人はほとんど「頭が良い」人になる。何も出来ない人のほうが稀なのだ。

 ただ、社会においては、脳の中でも特定の機能の優秀さを求められることが多い。
 いくら優れた絵を描ける人でも、常識がなく、モラルに反した行動ばかり取るようであれば、誰もその人のことを評価しない。

 一般には、基本的な機能にバランスが取れた上で、さらに突出した何かを持つ人のことを、特に「頭が良い」と、呼んでいるようだ。
 「頭が良い」はあくまで褒め言葉であり、迷惑な人のことを褒めたい人は、そうそういないだろうから。

 さらに、この「機能」は、訓練次第で伸びるものである。
 どの程度伸ばせるものかは人によって違うだろうが、計算や言語など、比較的やわらかく、生まれたときから順次鍛えていくべき脳の機能と、記憶のように、生まれた時からある程度一定している機能とがある。

 記憶力は個々の脳の構造とも深く関わっているようなので、計算能力などのように、訓練して伸ばせるかというと、難しい。上限も決まっている。

 だが、計算や言語の能力は、伸ばさなければいつまでも発達しないし、発達すれば、かつてとは比較できないほど高度になる。差が生まれやすく、しかも、測定しやすい。
 そのため、頭の良し悪しの基準として扱われることが多く、まるで、脳の機能のすべてであるかのように語られるのだが、ここまで書いて来たように、実際のところ、脳が生み出す機能の一部に過ぎず、「頭」全体のことではないのである。

 だから、計算能力皆無と謳われても、言葉の使い方がおかしいと言われても、悩む必要はない。

   これも、自分のコンプレックスを否定するために言っているわけではない(笑)


◆知能検査について

 ところで、頭がいい、よくない、ということを計るための尺度として、「知能」というものがある。
 知能指数(IQ)とい言葉は、マンガや小説では、「頭がいい」ことの代名詞のように使われることが多い。
 しかし、IQというのも結局は人間が作った一つの尺度に過ぎず、絶対的なものではない。そのモノサシが間違いなく正確に測れているか、というとそうではなく、読み方にも誤解が多い。

 「知能指数0」が全く人間としての知力を持たない人のことではないし、知能指数80の人が、40の人の二倍、頭がよいわけでもない。知能検査で測定される脳の機能は、ごくごく一部である。計算能力、言語能力等、最低限の能力があってはじめて使える、という制約もある。
 盲目であったり、聾であったりした場合には、知能検査は行えない。だが、だからといって、視聴覚に障害を持った人が劣っているわけではない。

 知能検査とは、「知能の一部機能のみを測定するもの」であって、本来、頭の良し悪しを決めるものではないということだ。
 「IQが高ければ頭がいい」などというのは、古き時代の神話である。

 ちなみに、知能検査は、教育心理学の一部なので、

 知能検査はどの程度有効なものか? という問題については、心理学者の間でも、様々な意見がある。
 大学で心理学をやっていた時に読んだ「教育の心理学」(有斐閣)という本の中で、このことが詳しく述べられていた。
 あまり詳しいことを書くとボロが出るので書けないが(笑)、言語や創造性、その他さまざまな角度から、さまざまな知能へのアプローチの仕方があることは確かだ。
 知能検査といえば「ビネー・シモン式」というのが有名だが、それ以前にも、またその後にも、有名な心理検査法が考案され、使用されている。どれが正しいというわけでもないし、どれが最も有効かは断言できない。知能には色んな種類があり、計る物差しによって、検出されてくる部分が違うのだ。

 わかりやすく喩えるとして、知能が円錐形だったとしよう。
 ビネー・シモン検査では横から見るので三角だが、ギルフォード式だとひっくり返して頂点の一点しか見ないので、点となる。ピアジェはなんと円錐形を切り開いて見るので、扇形と円という形になってしまう…。
 計測の仕方によって、知能の値は変わってくることが多い。

 「言語や計算能力」だけを見ればたいへん優れている人でも、創造性という点からみれば全くお粗末なことがあるだろうし、絶対に解けない問題に対する取り組み方、問題解決能力なんかを中心に置くと、また違った側面が見えてくるだろう。

 しかも知能指数というやつは、時代ごとにも文化ごとにも変わる。
 知能検査を作ったのはアメリカ人なので、このテストを日本語に変換するのがまた大変な作業だったという。英語の場合の国語語学力テストと、日本語の国語語学力テストの結果を、単純に点数だけで比較するわけにいかないのと同じことである。
 もともとのテスト内容が違うのだから、もし日本語の語学力テストの点数が高くても、「日本人のほうが言語能力に優れているようだ」と結論を出すことは出来ないだろう。

 さらに具体的に、日本において、戦後知能指数の平均値が20も上がっていることを、どう見るべきなのか、という問題がある。
 50年で人間の脳みそが飛躍的に進化するなど在り得ない。ハードの部分では同じはずだ。
 だとすると、この知能指数の変動は何を意味するのか。その理由として挙げられているのは、就学率が上がってテスト慣れしたことである。
 入試前に、模試を受けてテスト慣れすると点数が上がる…と、いうことを考えて欲しい。
 学校に通い、テストを受ける練習をしているから、テストされることに慣れた。その結果、知能検査の点数が上がった。
 だとしたら、本当に知能が上がったわけではないだろう。

 新聞やテレビでよく言う「最近の子供は頭がよくなった」「悪くなった」という評価の多くは、所詮、その程度の意味あいでしかない。

 最近の若者ですが、たぶんそんなにバカじゃないと思います(笑)


◆天才について

 しかしながら、世の中には、「頭が良い」としか言いようがない人も、存在する。天才と呼ばれる一握りの人々のことである。

 生まれつき、脳の大元の機能が他の人々の何倍も優れた人は実在する。一度聞いただけで、曲の楽譜を正確に記憶する人、電話帳さえ記憶できてしまう人、オリンピックに出られる人、…そういった、「努力」だけでは追いつけない人々のことを、天才と呼ぶ。
 まず、基本の構造が違うのだろう。パソコンのCPUで言うと、セレロンではペンティアム4の処理速度には追いつけない。

 頭が良い、とは、本来、覆しようのない天性の才能を指す言葉だったのかもしれない。
 だとすれば、この言葉は軽々しく発せられるものではなく、生まれつき手にするべき人の決まっている、誰が見ても突出している人にむけて贈られるべき、言葉の勲章ということになる。
 ただ、この流れでいくと…、 天才には天才という言葉があるので…
 わざわざ「頭が良い」と、表現する必要もなさそうだ…。


◆おわりに

 頭がよい、という評価に懐疑的な私としては、この言葉に満足している人も、この言葉をお世辞として使う人も、あまり信用していない。
 私自身、人に使うことは、お世辞と冗談以外では、ほとんど無い。
 頭のどの部分がよいのかは分からないし、どの程度よいのかも分かりようが無い。ただ、どうしようもなく自分とは違う人が存在することは…確かである。

 「努力」の本当の意味は、その人の持つ「可能性」を育て、開花させることにある。もともと向いてないものは、どんなに努力しても伸びない。努力してようやく、努力していない天才と同レベルになれる。
 …いいかげん、オレもそのあたりのことが分かってくる年齢になった(笑)

 あるいは、頭に対してくだされる評価とは、「良い」「悪い」ではなく、レベルの問題なのかもしれない。
 自分よりレベルが高い人は、ただ漠然と「すごい」と感じるだけだ。それ以上、具体的な言葉には出来そうも無い。


 「頭がいい、って、どういう意味ですか。」
 私はぜひ、「本当に」頭がよい人に、聞いてみたい。
 頭がいいなら、答えを見つけ出せるだろうから。

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