04/09>08/01/12追記

―左利きの子供にも、文字は右手で書かせるべきだ。

 

 あるとき、オレは、若き教員と酒場でマジバトルをしていた。
 その教員の主張するには、今は個性を尊重する教育がもてはやされる時代なのだという。

 いわく、本来、人間は右利きと左利き、半々に生まれてくるはずである。
 かつては左利きの子も強制的に右利きに変えられたものだが、現在ではゆえに左で文字を書く子も多い。これは本人の性質を尊重した教育であり、すばらしいことである。

 ――だけど、文字は右手で書かせるべきだろ?

 左利きと右利きが本来半々にいる、というのは、まぁいい。
 両手利きだって、いるかもしれない。
 正しく箸を使えるなら、左手に箸、右手に茶碗を持ったっていいさ。
 正しく使えるのなら。

 だが、日本語は、どう足掻いたって左手では正しく書けないんだ。
 日本語の文字ってのは、右利き用に作られてるんだから。
 左手で書こうとすると、書き順と文字の形状の都合で、非常に書きにくい。そりゃ左で書くことが不可能だとは言わないが、書き順はどうする。書き順というは左から右、右利きの人間用に、右利きの人間が書きやすいように、作られているんだぞ?

 左手での文字は、書きにくい。書き順も左利きの人間からすれば不自然なものであるはずだし、非常に効率が悪いものである以上、より効率的な方法として、「文字は右で書く」よう教えるのが当然ではないのか。

 そんなところまで個性はいらん。と、いうより、個性の意味を間違っている。

 より効率的な方法を教えるのが学校。それが勉強だ。

 たとえば1x2x3x4x5x6x7x8x9x0= と、いう数学の問題があったとしよう。
 子供はおそらく、最初の「1x2x…」のところから順番に計算してしまうものと思う。
 しかし、この式の答えは「0」である。最後にx0がついているのだから、どんなに長い式であろうと、答えは必ず0になるる
 膨大な時間をかけて最初から全部計算した挙句、最後に0を見つけるなんてのは時間のムダ。より効率的な方法として、小学校の算数の授業では、「掛け算式にx0が入っていたら、答えは0になります。」と教えるはずだ。
 この場合、解き方に個性なんか要らないよな。最も早く正確な答えが出る方法を覚えこませ、それに従わせるよな。
 文字の場合だけ、どうして、非効率的な方法を教える?

 国語で学ぶことは、文章を効率的に理解するための要約の仕方や、人に理解されやすい文章の作り方を学ぶはずだ。その中のひとつとして、文字を効率的に書くための方法を教わる。

 その理屈からいけば、右利きの人に書きやすく作られている文字を右手で書くよう教えるのは当然、という結論に達するんじゃないか?

 本人がもともと持っている性質を尊重するのは良いことだと思う。しかし、単に個性を伸ばせばいいワケじゃない。矯正するべき性質というのもある。
 ワガママな幼児を、「この子はワガママなのが性質だからワガママなまま、自由奔放に育てる」なんつーのは間違いだろ?
 左利きを目のカタキにして意地でも右利きに矯正すんのはアホくさいと思うが、それと文字をどちらの手で書くかの問題は別なんだよ。たとえ箸とハサミは左で持っても、文字だけは右で書かせろ!

 当人が書きにくいことを承知で左を選ぶというのなら好きにしろよってカンジだが、文字を習い始めたばかりの小学生に、どちらが効率良いかなどを考えて判断する能力は無いことをお忘れなく。

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◆世界的に見ても、文字は右利き用です。

というか、楔文字やヒエログリフの筆記体などは、右手で書かなければ、書けません。
左から右へと流す筆記体のヒエログリフをパピルス紙に書く場合、左利きでは紙の繊維の向きにむかってペンを押し付けることになるので、ペンの先がパピルスに刺さってインク滲みますね。

右から左に書く文字もありますが… アラビア語は羊皮紙だからペンが刺さらないのかな?
まあ少なくとも日本語は右利き用なので、左利きでは書きにくい仕様なわけですが。


◆左手で文字を書こうとすると、ペンの持ち方が変になる宿命です。

文字は、基本的に左から右へ書くことを前提としているため、左手で書こうとするとペンを押し出すことになり、どんなに馴れたとしても、物理的な問題として紙に刺さりやすくなります。
おそらく万年筆などは使えないでしょう。



それでも左手で文字を書こうとすると、ペンをなるべく紙に平行に持つか、自分の手前にペン先を曲げて紙にひっかからないようにするクセがつき、正しいペンの持ち方が出来ません。(だから左利きの人の字は、たいてい傾いている。)

粗悪な紙や布に文字を書こうとすると、相当苦労することになります。今は表面のなめらかな上質な紙と、よい筆記用具があるからこそ、左手でもなんとかそれなりの文字が書けているだけです。
しかも、その文字を書くにも、ペンを不自然な格好で持つ為、手首に負担がかかります。

左利きを個性として尊重したいというのなら、その子は一生、正しいペンの持ち方では文字が書けないことになります。不自然に手首を曲げて、無理やり文字をかかねばならないこと、しかも、ある程度以上には字が巧くならないことを覚悟しておくべきでしょう。

自分にしか読めない文字で走り書きすればいい場合はいいんでしょうが… 履歴書とか、願書とか、小論文とか、人生の中ではいくらでも文字を書かねばならない機会があるわけで。

わざわざハンデを持ちたいと思います?
それは果たして良い愛情でしょうか?


左利きでは初動も出来ません。出来ないというより、かなり無理をすることになります。
右利きであればごく自然に出来ることも、左手だと物理的にムリです。筆を逆向きに進ませることになります。



書初めがイマイチでも、学校の書道の時間に妙に歪んだ字を書いてても、まぁ死にはしませんが。左利きの人が書道家になろうとすると大変でしょうね。筆で文字書く職業もキツそうだ。ある意味、子供の可能性をせばめます。大人になってからでは利き手の嬌声は難しいですから…。それでもよろしければ(大人が勝手に子供の将来を狭めていいのであれば)左利きのまま書けばいいんじゃないでしょうか。


◆言語野はほとんどの人で左脳です。

右手は左の脳でコントロールしてます。
なんで文字を書くのが右手かというと、おそらく、人間の脳のなかで言語を司る部分が左脳
の論理思考を行う部分に存在するから。
左利きの人も半数は言語野が右利きと同じ左脳にあります。なのでまぁ世の中の大半の人は、右手で文字を書くほうが脳の仕組み的に都合がいい。多分ね。

右脳に言語野がある人はどこがどう違うのかはわかりませんが、右手で文字を書かせるほうが、脳の構造的にも無難だと思われます。


◆ストレス耐性の訓練にもなるかもしれません。

左利きの子に右利きを強要するとストレスになるといいますが、そもそも何かをガマンさせること、訓練することはすべてストレスでしょう。授業を受けさせるのに椅子に座らせておくのも最初は苦労するはず。すべては社会生活を行わせるための訓練です。それを怠れば、社会適合性ゼロのダメダメな人間が出来上がります(笑)

そもそも人間は、悲しいとき、辛いときだけではなく、うれしいときにも全く同じようにストレスを感じるわけです。悲しみのあまり息絶えるように、歓びのあまり心臓が止まることもある。ストレスに対する耐性は子供時代から培っていくもので、過度にストレスをかけちゃマズいと思いますが、何も強要せずありのままにのびのびと、では、将来ガマンの出来ないろくでもないお子さんになる可能性も。必要なところは直す、生まれついて持ってる癖をやめさせる、それも教育のうちでは?



私は教師でもなんでもない。
左利きについて、意見は色々あるでしょう。これは一つの見解でしかない、すべてが正しいかどうかはわからない。
しかし「文字は右利きで書いたほうが書きやすい」という事実は動かしようがなく、書き順やペンの持ち方は右利きを想定しているというのも事実でしょう。左利きは文字を書くということについて「不利」であり、文字を書くという行為自体、無理をすることになります。

見ていると、左利きの人は、いつもかなり無理して字を書いている。というか字らしきものを苦労してなんとか書いてるようにも見える。書くのは速いけど読めない(笑) ペンの持ち方はペンではない何か別のものを持っているようだ。
本人は気にしてないようだが、それは… 子供のうちに右手で書く方法を習っといたほうが。直らない体の問題でもないんだし。

「子供の嫌がることはさせない、無理をさせない」なんてのは、理由になっていない。
嫌がるから勉強させない、嫌がるから嫌いなものは食べさせない、嫌がるから学校にいかせないetc, んでこの結果できるのは引き篭もりかニート君。それは本当の優しさですか。本当に将来のことを考えてますか?

それは本当に、尊重すべき個性ですか?



*なお、この意見が絶対的に正しいかどうか私は知りません。このサイト内の他のテキストと同じで、個人が自分の思うところを、自分の持つ理由に従って書いたものです。何が尤もらしいのか、何が正しいのかを判断するのは個人個人です。世の中には、一つの意見だけが存在するわけではない。相反する意見と比較せずに、何が正しいのかを決められるでしょうか。また、何が正しいのかは時代によっても、場合によっても変わるものです。

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