古英詩 ベーオウルフ-BEOWULF

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ベーオウルフの概要


ああ、我らは去りし日々に槍のデーンの
王者の榮え業を聞いた、
如何に勇将たちがその勇気を振るったか。


【原題】 Beowulf

【舞台】 初期中世 北欧ゲルマン世界

【主人公の属する属する人種】

アングロ・サクソン系 写本がイングランドにあり、英国の古い伝承と言われますが、ケルト人の物語ではありません
物語の舞台と登場する民族名から、南スウェーデン起源と推測されている。

【原文・使用言語】

原文は、大英博物館に納められている一種(コットン・ヴィテリアス)のみ現存。古い写本を集めていたコットンさんという人がいて、その人が本を分類するときにローマのヴィテリウス帝の胸像を置いた本棚に納められていたことが写本名の由来。コットンさんのコレクションは、通称「コットン文庫」といわれる。
1731年に一部が火災によって破損しており、このことが物語の読解をさらに難しくしている。

言語は古い時代の西サクソン方言からアングリアンなどが混在しており、平たくいえば部分ごとに言語が混じっている。固有名詞もページによって綴りが違うのが当たり前。時代を経て書き写されていくうちにそうなったのではないかと言われている。また、ところどころにルーン文字も使用されている。

【詩の成立】

アングロ・サクソンの王家では、詩人(scop)たちによって、古い時代の物語がハープの伴奏に合わせて歌われていた。この口伝の物語が元になって、のちに「ベーオウルフ」の物語が書かれたとされ、類似する伝説は多く遺されている。
また、実際に起こった歴史的な出来事に関連する部分もあるが、直接的に元になったわけではなく、名前を持って来て物語に歴史的な奥行きを持たせるための技巧だったようだ。

【特徴】

主人公の戦う相手は生身の人間や部族ではなく、怪物、魔女、竜という空想上の存在。その意味では、史実としての戦争の記録ではなく、実在した英雄の異形を讃える英雄詩とも違う。また、本来ゲルマンの英雄叙事詩であったものに、あとからキリスト教的な表現が組み込まれており、古き伝統と新しい宗教とが入り混じる時代の作品であることを如実に表している。


【物語の概要】

前半/グレンデル退治
他国でグレンデル大暴れの噂を聞きつけたベーオウルフ、15人の部下とともに赴き、退治。

後半/火竜退治
前半の戦いから50年。部下が宝を奪ったことから火竜との戦いとなるも部下に見捨てられ(?)、年老いたベーオウルフは、その戦いで命を落とす。

前半と後半の間が50年も空いているという珍しいつくりだが、全体としては統一された物語で、1人の詩人の手による編纂であろうと言われている。

基本的な物語の流れは、このサイトで取り上げている他の北欧叙事詩、「ニーベルンゲンの歌」と同じ。何より武勇と手柄を尊び、家柄や血筋に誇りを持ち、自分の一族や国を重んじるという考え方が基本にある。また、この物語も「ニーベルンゲンの歌」と同じく、本来は異教的な伝承であったものに後世になってからキリスト教的な要素が差し込まれているが、「ニーベルンゲン」ほど巧みには融合しておらず、あとから付け加えたであろう部分は明確にわかる。
キリスト教的な味付けを差込つつ、本質的には神話的でゲルマン的な英雄物語、それが、古英詩ベーオウルフといえる。


【時代背景】

アングロ・サクソン人がベーオウルフ伝説を持ってブリテン島にやってきた頃、ローマは既に滅びていたが、ローマ化されたケルト人と、ローマ化されないケルト人(ピクト人と呼ばれる人々なども含む)が住んでいた。ブリテン島は既にキリスト教化されていた。
アングロ・サクソン人はいわばヴァイキングである。最初は略奪者としてブリテン島を訪れたが、やがて定住するようになり、王や貴族といった階級も生まれ、キリスト教化していく。その過程で文字として記録されたのが、おそらく、現在残るベーオウルフ写本の始まりだったのだろう。アングロ・サクソン人は文字を使わず、口伝のみで物語を記憶していたため、ブリテン島に持ち込まれた時点の原型は、推測するしかない。


われは聞く、これはシルディング族の
君主に忠実なる一隊。刀と鎧を携えて行き給え。
道しるべとしよう。



この、少々特殊な物語の読解のポイントを書いておこう。

■勇者の名前は継承される。

大きな武勇を立てた人の名前は語り継がれ、その人にあやかるために子供に同じ名前をつけることがしばしばある。だから、同じ名前の人物が何人も登場するのは、むしろ当たり前。この「ベーオウルフ」物語の中にも、主人公のほかにもう1人、かつての英雄で「シルドの子ベーオウルフ」という人がいる。
名前だけで判別がつかない場合は、「○○族の」とか、「○○の子」といった、その人の出生を示す肩書きをチェック。


■ゲルマン人には、苗字が無い。

ゲルマン人にもケルト人にも苗字はない。アイスランドでは現代でもファミリーネームを使わない。そもそも「苗字」という制度が出来る以前の物語だったりする。
苗字が無いので、上記のように自分の所属や家系を苗字がわりにしていました。そのせいで、1人の登場人物に対し、ついている名前は多種多様。たとえば主人公ベーオウルフだと、「ヒゲラーク家の者」「ゲータ(族)の勇士」「エッジセーオウの子」などが苗字代わりである。


■主従関係はほぼ絶対

ヴァイキングのオキテみたいなものを想像するとわかりやすいかも。
ベーオウルフの中に登場する人々は、戦士の誇りや武勇を非常に大切にしていて、無謀に思える戦いにもサクサク出向いていく。「ええ、何でそこでそうなるの!?」 「おいおい…、そんな無茶な」と、いう時は、まず彼らの価値観を考えてみる。すると意外にも当然の行為だったりすることがある。
また、主君への忠誠は、ほぼ絶対。ほぼ、というのは、たまに見捨てられたり裏切られたりする君主がいらっしゃるから。ベーオウルフもあまり部下に恵まれていなかったような気がするが、多分、彼が強すぎて他の人がついていけなかったからだと…


「ベーオウルフ」の邦訳は、2010年時点で以下の物が存在する。注釈がない限りは基本的に全訳。ただし、底本が異なる場合もある。
残存する写本が一種類しかないのに何故底本が異なるのかというと、火災や経年劣化によって破損・消失した単語や文字をどのように埋めるかが研究者によって異なるため。また、写本は人が手で写す物のため写間違い、書き間違いというものも存在し、誤っていると思われる単語を修正するかしないか、等でも研究者によって分かれるところがある。

※原語→英語→日本語 などと重訳されているもの、抄訳はここに含めていない。

訳者 出版元 出版年 備考
厨川文夫   岩波書店 1941 対訳 サイズ大きめ
長埜 盛 吾妻書房 1969 -
鈴木重威・もと子 グロリヤ出版/部分訳 1978 -
大場啓蔵 篠崎書林 1978:1985 サイズ小 物語調で一般向け
長谷川 寛 成美堂/終結部未完 1990 ラノベっぽい独特の雰囲気を持つ訳
羽柴竹一 原書房「古英詩大観」 1985 -
苅部恒徳 研究社 2007 -
忍足欣四郎 岩波書店 2004(第六刷) 文庫 原典に従いつつ読み易さにこだわる
小川和彦 武蔵野書房 1993  -
山口秀夫 泉屋書店 1995 対訳 原典の単語の並びに忠実な訳
藤原保明 筑波大学紀要 1995-6  -
杵矢好弘 甲南大学紀要 1999-2002  -



一般向け、かつ値段やサイズが手頃なものは以下。


「中世イギリス英雄叙事詩 ベーオウルフ」 岩波文庫 忍足欣四郎訳(1990)

一言一句までキチンと訳されている、と専門家のお墨付き(笑)なので、ベーオウルフを読みほぐしてみたい方にはオススメ。巻末の考察は役に立つ。
こちらは、足りない文書や前後の出来事を極力補ってスムーズに読めるように仕立てられている。
一時期、絶版となっていたが、映画化などのブームで重版されたようだ。(2007年時点の情報)


前述したように、この物語は言語自体が研究対象であり、単語の意味やニュアンスについては諸説あるため、翻訳にブレが生じるのはある程度仕方が無い。専門家のかた曰く、「シェイクスピア時代の英語なら、日本語で言うと江戸時代くらいのもので何とか訳せるレベルだが、アングロ・サクソン語は奈良時代かそれ以前にあたり、よほどの人じゃないと訳せない」。らしい。日本では数人しか訳せる方がいないそうな。

また、詩人が歌い上げることを目的として作られた物語のため、読んで判りやすいようには作られておらず、韻を踏んでリズミカルな文章になるよう単語が配置されている。口に出してはじめて本来の姿となるというわけだ。

従って、「ベーオウルフ」を一つの物語としてスムーズに読める文章にしようとすると、直訳よりは、欠けている単語や説明文を補ったほうがいい。
それでも読みにくいことには変わりないので、このサイトの内容が、「ベーオウルフ」の多少難解なストーリーを読みほぐす手助けになれば幸いです。



 それでは―――
 怪物と竜、勇者たちの物語、めくるめく古えの「ベーオウルフ」の世界で、良き旅を…。



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