古英詩 ベーオウルフ-BEOWULF

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農耕神崇拝と、その末裔


「ベーオウルフ」内に登場する神はキリスト教の神であるが、物語の内容は紛れもなく異教的で、ゲルマン民族の世界そのものである。
 ある考察によれば、この物語内に登場する人物たちの祖先は、海を越えてやってきた農耕神かもしれないという。

 ノルウェー、スウェーデン南部からデンマーク北部に住むゲルマン民族の始祖Scyld−Scefing(シルド・シェーヴィング)は、穀物の束を持って潮流を流れて来たという漂流伝説が存在するという。
 「ベーオウルフ」冒頭の、シルドを埋葬するシーンを見てみよう。


 その時、親しい伴人たちは、その自ら願ったように、
 この人を海の流れへ運んだ。
 ありし日はシルディングの友として言葉で治め、
 愛せられる国王として久しく(国を)領していたが。
 そこには港に舳先に金輪をつけて
 氷結び、出で立つ用意して貴人の船は立つ。

 <中略>

 人々はこの人に贈り物と巨宝とを備えたが、
 その数は、始め子供の頃に
 ただ一人浪を越えて、この人を送り出した人々の
 心尽くしに劣りはない。
  
                  【泉屋書店版より/28−46】


 つまり、シルド・シェーヴィングは子供の頃に、船に宝とともに乗せられて漂着し、土地の人々に育てられて、偉大な首長へと成長した、外来者なのである。
 これがどうして農耕神になるのかというと、

1.シェーヴィングという名は「シェーフの息子」を意味し、シェーフ(Sceaf)は一般に「穀物束」と解されている。
2.北欧神話において、海と豊穣の神であるニョルズや、その息子フレイが属するのはヴァンル神族という、外来者たちである。

 …と、いう二つの理由が挙げられる。
 また、比較神話学者は、日本や朝鮮半島にもある「漂着王」との関連も述べているが、このあたりは今ひとつ得意分野ではないので、省く。

 とかくシルド・シェーヴィングは、人々も語るとおり、外来のものだった。漂着した子供を神の子とみなし、死後に伝説化することは、想像に難くない変化だろう。こうして、シルドの子孫は「神の子」となる。
 主人公ベーオウルフの属するウェデル族、ロースガール王のデーン族ともに、この神の末裔に当たる。

 こうしてみると、考えかたによっては、この「ベーオウルフ」という物語は、ベーオウルフという人物個人をたたえるものではなく、農耕神であり、渡来の神の末裔である民族そのものの栄光を歌うためのものだ、と言うも出来そうだ。
 そう考えれば、物語の始まりが主人公であるベーオウルフではなく、シルドの息子である、もう一人のベーオウルフから始まる疑問にも説明がつく。シルドが神ではなく一人の人間として描かれているのも、物語がキリスト教圏で作り変えられたときの修正だったのかもしれない。(サクソの「ゲスタ・ダノールム」にも、オーディンを人間の初代王として、ウプサラに国が作られたのがアース族のはじまりだ、という、神から人への転化をあらわす話がありました。)


 しかし、そうすると、主人公ベーオウルフの死とともに予言される一族の滅亡は、民の繁栄をたたえた歌としては随分と意味深長だ。
 北欧の神話では、神々さえも最終戦争によって滅びなければならない。
 神の子孫の滅亡は、或いは、世界の終末と再生を歌うゲルマンの伝承にとっては必然的な結末だったのかもしれない。


+++

 ところで、北欧において、豊穣はしばしば「海」と結び付けられている。
 北欧神話に登場する裕福な神、ニョルズは海神であり、その息子フレイは、豊穣を与える力を持つという。
 また、北欧神話とは違うが、叙事詩「カレワラ」に登場する、大地を富ませる装置”サンポ”は、略奪戦争の結果、海に沈む。その結果、海は大地より肥沃になったのだという。
 これらは、厳しい寒さと短い夏のため、大地の実りが少ない北国ならではの感性と思うが、ベーオウルフもまた、海と深く結び付けられた存在である。

 まず、ロースガール王の館においてベーオウルフと友人ブレカと泳ぎ比べをした、という過去の話が語られている。冬の海で、しかも鎖鎧を着たまま5夜も泳いでいたというから、すごい話だ。(第8節)
 次に、ベーオウルフの母、水魔との戦いのため、湖にもぐる場面である。ベーオウルフは、水底の水魔の館に辿り着くまで、まる一日、水の中を進んだという。(第22節)
 見落としがちな場所だが、もう一箇所ある。
 ベーオウルフが仕える王であり、叔父でもあるヒゲラーク王が戦死した戦いを回想するシーンである。ここで、ベーオウルフは海を泳ぎ渡って帰国したことが語られているが、戦場はフリジア(位置的に、だいたいデンマークの西のほう)である。
 そこから「海を」渡って、ノルウェー側にある国に帰ってきたのだから、鎧を着たまま海峡を横断したことになる。(第33節)

 いずれも、ベーオウルフと海の強い関係を示していると思う。
 (ちなみに「カレワラ」でも、主人公ワイナミョイネンが波間をただよい、ポホヨラに漂着する場面がある。)

 その、「海」と関係あるベーオウルフが、前半で、「水の」魔女であるグレンデルの母を倒し、後半で「火を」吐く竜に倒される、というのは、何とも示唆的な気がする。
 彼は、自ら「海の近くに葬ってくれ」と、遺言してもいる。

 ベーオウルフと豊穣を象徴する「海」の関係、そして、豊穣神シルド・シェーヴィングの息子と同じベーオウルフという名前、…これらは、一つに繋げて、何らかの関係あるものと考えても、あながち間違ってはいないような気がする。

 <もしも、ベーオウルフがかつてのシルド・シェーヴィングと同じく、豊穣、国を富ませる力を持った人物だったとしたら? その死が、一族にとっての没落を意味することは明らかである。そう考えれば、最終節で謳われる、王国の挽歌にも理由がつくのではないだろうか?…>


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