ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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クリエムヒルト

Chriemhilt、Chriemhilde/Krienhild
(現代読み:クリームヒルト)


【作中の役割】

ブルグント族の姫君。不吉な夢により、いつか愛する人を失う運命を知り、自ら恋はしないと戒めていたが、結局はジーフリトと結ばれ、ニーデルラントで幸せな結婚生活を送る。
しかし、彼女のあずかり知らぬところで、過去にジーフリトと彼女の兄・グンテルは、もう一つの結婚について共謀していた。誰にももらさぬと誓ったその内容を、ジーフリトは妻に教えてしまったのである。クリエムヒルトがグンテルとプリュンヒルトの初夜にまつわる秘密を口にしてしまったことで、ジーフリトは殺される。寡婦となった彼女は夫の国ニーデルラントへ帰らず故郷に留まり、嘆きくらす。その際、夫の持っていた莫大な財産は、ハゲネによって取り上げられ、ライン河に沈められてしまった。

やがてエッツェル王と再婚した彼女は、失った財産のかわりにエッツェルの財力と権力を使い、口実をつけて一族を呼び寄せ、ハゲネを殺害しようとする。ハゲネの恐ろしさにエッツェルの家臣たちは手を出せないが、美姫の報酬に迷った王弟ブレーデル、かつてクリエムヒルトに誓いを立てたリュエデゲール、そして異国アメルンゲンの騎士たちが、彼女の仕組んだ復讐劇の中に巻き込まれてゆく。
クライマックス、ついに復讐を遂げた彼女は、貞節など超えたあまりの残虐さゆえにヒルデブラントに誅殺される。この物語の中で最後に死ぬ人物である。


【作中での評価】

このあでやかな姫が世の人の愛をあつめるのにふしぎはなく、武士たちはみな彼女に心をよせ、誰しも姫をば憎からず思った。彼女の気高い姿はその美しさかぎりなく、この乙女の心ばえはまたほかの婦人たちの飾りともなった。(3)
−語り手による人物紹介

異国の人にもこの地の者にも、クリエムヒルトは遍く知られ、これほど手際よくかつ恵み深く王国を統べる王妃は、他にあるまいと思われたが、人々は実際そう思ったのである。(1390)
―エッツェル王の国におけるクリエムヒルトの評価

「これ以上、何を申し上げたらよいのか。ともかくエッツェル殿の妃が毎朝のように、天上の神に向かって猛きジーフリト殿のことを、痛ましげに悲しんでおられるのを聞いておるのです。」(1730)
―ディートリッヒがブルグントの人々に、忠告をする場面


【名台詞】

「きれいなあなたを最初に愛してあげたのは、夫ジーフリトです。あなたの処女を手に入れたのは兄上ではございません。」(840)

プリュンヒルトとの間に憎しみが生まれ、口論となったときクリエムヒルトの口をついて出た、「禁断のカミングアウト」。分かりやすく言うと、「バラしちゃったよ、オイ!」
この一言が、その後の悲劇と血の惨劇へとつながる、始まりの言葉となる。今も昔も、後戻りできない一言というのは、あるものです。


【解説】

モデルとなったのは、アッティラ王が死んだとき傍にいたゲルマン人の女性ヒルディコと、ハンガリー王シュテファンの王妃王妃ギーゼラが交じっているとされる。アッティラ、シュテファンは、ともにエッツェル王のモデルになったと考えられている歴史上の人物だ。また、「ヴォルスンガ・サガ」に登場する、ヴォルスング家の王女シグニューの姿も重なる。

北欧の伝承では、それとは別に、グンナル王の妹グートルーネとして登場する。

前編は初々しい乙女、身分高く美しい姫君として描かれるが、夫を失ったあと、悲しみにくれるうら若き未亡人という像を経て、後編では登場人物たちに「鬼女」とまで呼ばれる恐ろしい女性に変化する。家臣たちを殺人に駆り立て、血縁のよしみすら切り捨てて復讐に走るその姿は、御伽噺の姫君よりは猛きゲルマンの戦乙女に近い。

ヒロイン・クリエムヒルトの変貌こそ、この物語の根幹を成しているが、この変貌が具現化されているのは、実は「ニーベルンゲンの歌」以降の物語でだけだ。
「エッダ」の伝説でも、「ヴォルスンガ・サガ」でも、ブルグント族を全滅に追いやるのはアッティラ/アトリ/エッツェルの役目であって、彼女ではない。前の夫との結婚生活が不幸に終わったことは悲しく思っても、兄弟や同国の人々への愛情は忘れておらず、再婚した夫が兄グンナル/グンテルを亡き者にしようとたくらむのを知って、警告を発するのである。

ゲルマン社会では婚姻関係より血縁関係を重視するが、キリスト教では婚姻は聖なるもの、永遠の絆とされる。
つまり彼女の行動原理は、物語が、キリスト教世界で作り直されたことによって変化したといえる。

彼女は「貞節の鏡」であるとされる。殺された夫ジーフリトのことを思い続け、祈りを捧げ続けるからだ。
しかし再婚した後も前の夫のことだけを思い続け、再婚に承諾するのは「グンテルやハゲネに復讐するため」であることが、彼女自身の口から語られる。また、結婚し子供をもうけた後も、実はエッツェルや子供のことは愛していない。(彼女が夫と子のことを気遣う場面は、一切ない)

ジーフリトが命を落としたのは、彼女が口をすべらせて大衆の面前でプリュンヒルトの悪口を言ったからだし、自らの夫こそ兄より上と思うあまり、プリュンヒルトにかかせた恥を償わなかったことが原因だ。ジーフリトの死には自らにも否がある。
結局、彼女はそれを認めたくないあまり、ハゲネへの憎しみを抱き続けたのではないだろうか。

振り返れば、彼女にはいつでも、多くの暖かな味方がいた。夫を亡くした彼女をなぐさめ、迎えてくれた母や、弟ギーゼルヘル。また真心から尽くしてくれた辺境伯リュエデゲールや、前夫と同じように愛してくれたエッツェル王など。
彼女がどう生きるべきだったのかは分からない。亡き夫のことを忘れたほうがよかった、とは思うが、それを強いることはできない。
ただ言えることは、この世は命ある人のためにあり、死んだ人の面影を追うばかりでは、決して未来に向かって進めはしないということである。

失った絆のために今ある絆を断ち切った結果、多くの悲劇を引き起こし、自らも命を落としたクリエムヒルトの生涯は、この物語を通して、復讐というものの行き着く先の空虚さを教えてくれる。


【ホンネで語るキャラクター】

異国よりやってきた王子様と結婚し恋におち、めでたく結婚する、美しくたおやかな乙女。
…と、いえば物語の王道的主人公に思えるが、実際は違う。この物語をハーレクイン・ロマンスのようなつもりで読み、彼女に感情移入しようとした女性読者は、後半の彼女の変貌っぷり、そして人の道の外しっぷりに、おそらく愕然とするに違いない。
あまつさえ、フン族の国にやってきたハゲネに「黄金を持ってこなかったか」などと尋ねるとは?
オマエ夫より金と地位なのか。と、一見すると矛盾に見える彼女の行動に困惑するはずだ。

悲劇のヒロイン、悲しみに打ち沈む未亡人が何ゆえ血なまぐさく変貌していくのか。
それは彼女が、最初からヒロインなんぞではなかったという答えでしか説明がつかないと思う。
前半、ジーフリトが殺害されるまでの部分の真のヒロインは、男たちの欲望にいいように突き合わされ、結婚詐欺を働かれた上に耐え難い侮辱まで受けたプリュンヒルトその人だろう。だからこそプリュンヒルトの”復讐”が終わった時点で物語は一度終わる。前半のクリエムヒルトは大したことはしていない。ただケンカの火種を撒くだけの、少々おつむの弱い若奥様でしかないのだ。

そして、叙事詩という都合上、語られていないクリエムヒルトの「性格」、ここがポイントだ。
彼女は何不自由なく暮らしてきた深窓の令嬢、すべての人々は自分にかしづくと思い込んでいる、言ってみれば世間知らずのワガママ娘だ。対して、プリュンヒルトは一国の「女王」として国を治めてきたキャリアを持つ。短大卒ですぐ嫁に行った娘と、ヤリ手の女社長としてバリバリ仕事をこなしてきたキャリアウーマンとを比べてみるといい。
母親に不吉を告げられ、夫を早くに失うことを聞いて「じゃあ私は一生恋などしない」と言ったにも関わらず、あっさりジーフリトに落ちるカルさも、一国の王女としての自覚など、さしてなかったように思える。でなければ、夫の立場を危うくするだけでなく、実兄の名誉も傷つけるようなことを公衆の面前で口走り、プリュンヒルトを侮辱したりするだろうか?

どう考えても、彼女に政治はムリである。
しかし金と立場にものを言わせてたくらみを働くことは出来た。美貌によって虜にした第二の夫を利用するだけし尽くし、自分の息子さえも復讐のための手ごまにする。
後半に変貌したのではない。クリエムヒルトとは、最初からそのような逆ギレキャラだったのだ。
してみると、ジーフリトへの愛情だって怪しい。たびたび「夫を殺された」ことを嘆きはするが、それは果たして、彼への愛からだったのか。
若く美しく強くて金持ち、家柄もいい夫。理想の男を手に入れて彼女は満足していたに違いない。それを失った悲しみは、自分の大切にしていた宝物を壊されたのと同じ気持ち、気位の高いワガママ娘が耐え難い侮辱を感じたときの激しい憎しみと、どう違うのか?

彼女は自分の兄弟も、かつての同胞も愛さなかった。ジーフリトとの間に産んだ幼い息子も、のちにエッツェルとの間に生まれた息子も見捨てた。では誰を愛したのか。彼女に愛情はあったのか?

見る人によって解釈が違うだろうが、誰がなんと言おうと、オレは、人の心を理解しない高慢な女は、大嫌いである(笑)




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