ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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リュエデゲール

Rdger von Bechelaren/Rüdeger von Behlaren
(現代読み:リューディガー・フォン・ベッヒラーレン)


【作中の役割】

中立的で、良心的な人物代表。この物語の中で、敵味方に分かれる両方の陣営と親交を結び、人望を集めている人物。
妃をなくして落ち込んでいるエッツェル王に、クリエムヒルトを後妻として迎えることを提案し、ウォルムスにやって来た時、嫁ぐ条件としてクリエムヒルトに変わらぬ忠誠を誓わされている。しかしクリエムヒルトがたくらみを抱いてブルグント勢を招いたとき、最初に迎え、もてなし、友好を結ぶのも彼である。クリエムヒルトおよび主君エッツェルからはブルグント勢を討てと強要されるが、人としての良識ゆえに戦うことが出来ず、迷いながら戦場に立った彼だが、ハゲネとフォルケールはともに、彼と戦わないことを誓う。また、リュエデゲールの娘と婚約しているギーゼルヘルも、戦うことを拒む。

結局はグンテル王の弟、ゲールノートと相打ちになるのだが、彼が死ぬことによって、それまで蚊帳の外にいたアメルンゲン勢が参戦せざるを得なくなる。


【作中での評価】

「リュエデゲールは、あまたの徳を積んだ人ゆえ、よろこんで会いましょう。もし他の人が使者として来たのなら、私は決して対面しようなどとは思わないけれど。」(1221)
−リュエデゲールがエッツェル王の宮廷から求婚に来たと聞いた時の、クリエムヒルトのセリフ

「天つ神もおん身を嘉(よし)み給え、天晴れ気高いリュエデゲール殿。異郷の武士づれにかくも見事な引出物をせられる おん身のごときお方は、二度とこの世に生まれはすまい。」(2199)
−敵対することになったハゲネに対し、自らの盾を与えたことに対するハゲネからのお礼の言葉


【名台詞】

「どちらか一方を捨てて、他の一つを行っても、私は悪いやつ、怪しからぬ男と言われましょう。さりとて両方とも捨ててしまえば、世の人みんなが私を罵るでしょう。私に生命をあたえ給うたものよ、どうぞ教えを垂れて下さいまし。」(2154)

主君への忠誠の誓いを守ってブルグント勢と戦っても、過去に結んだ親交を重んじて主君の命に逆らっても、もう片方から非難を受ける。
どちらか一方を助けることをせず、どちらも見捨てて逃亡すれば、両方から謗られる。という意味。己の選ぶべき道に迷うリュエデゲールの苦悩の言葉。


【解説】

リュエデゲールは、「エッダ」のニーベルンゲン伝説には登場せず、シドレクス・サガには登場する。物語が宮廷叙事詩の形をとるようになった後に付け加えられた、新しい登場人物なのだろう。
そのため彼はキリスト教的な、模範騎士で、ゲルマン的な荒々しさは持っていない。主君への忠誠と異国の人々との友情の間で揺れ動き、悲しみはするが、力で解決しようとは考えない。人間的だが、力ずくで運命の扉を押し開く、ハゲネのような登場人物とは根本的に異質な世界に属している。

彼は、異なる三つの陣営に属する人々の中間に立ち、友情と好意を持って人々を結びつける立場にある。
ひとつはもちろん、主君エッツェル王と、その妃クリエムヒルト。
ふたつめは、滞在中のアメルンゲンの王ディエトリーヒとその郎党。
そしてみっつめが、招かれた客人、ブルグントの国の人々。

クリエムヒルトの悪意によって、エッツェル王の意思とは関係なくひとつめとみっつめの陣営が激突することになるが、その時点では、ふたつめ、ディエトリーヒの陣営はまだ、事件の外にいる。リュエデゲールが死ぬことではじめて、ディエトリーヒとその郎党が戦いに参加する理由が作られるのである。
言ってみれば、彼なくして、敵味方がともに合い果てるという悲劇は完成されなかったのだ。

皮肉にも、クリエムヒルトを後妻にするようエッツェルに進言したのはリュエデゲールその人である。エッツェル王の国を滅ぼす女性を連れてきたのは、そもそも彼なのだ。しかも、のちに敵となるギーゼルヘルに娘を婚約させ、ゲールノートに剣を与え、ハゲネに盾を与えている。すべては好意から出たものであるが、この物語においては、激突する憎しみの渦を煽り立てるだけの結果に終わる。

リュエデゲールは、クリエムヒルトが亡きジーフリトの仇を討つためだけにエッツェルのもとに嫁いだことに気づかなかったのか。
剣や盾は戦場や暴力的な場面で使われるものであることを知らなかったのか。

彼の死は、キリスト教的なあらゆる美徳の敗北と、友情と好意によって人を結びつけることの難しさを表している。
この物語は最終的に暴力の勝利で終わる。しかし、災いを生んだすべての人々が死に絶えることによって、悪意の果てには無しかないのだという、苦い教訓も含んでいるのだと思う。


なお、実在モデルについてW・ハンゼンは、紀元976年以前にトライゼン河畔で死亡した、ベッヒェラーレンの辺境伯ルデゲルス・マルヒオである、という説を述べている。
「ニーベルンゲンの歌」の作者は13世紀初頭に物語を書いているので、より近い時代の人物を新たに組み込んだ伝説が生まれていた可能性もある、というわけだ。




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