ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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  「ニーベルンゲンの歌」の原典と原点   

■ 原典

「ニーベルンゲンの歌」は、一冊の本ではない。書かれた当時は人気作品だったらしく、微妙に異なるバリエーションが幾つか存在する。印刷というものがない時代のこと、本を増やすにはすべて手書き。筆写する人の趣味や新解釈によって幾つもの異本が作られるのは人気作品の宿命だ。喩えるなら映画版と小説版と漫画版の違いみたいなものだ。(もっとも、当時はメディアミックスなんかは無いので全部「小説版」の異本だが。)
現在、日本語に直されているのは、その中で一番、 ”最初の作者が書いた内容に近いと思われるもの” である。

「ニーベルンゲンの歌」の原典
「ニーベルンゲンの歌」と関連作品群


■ 歴史から物語へ

「ニーベルンゲンの歌」は、名前不詳の詩人によって1200年代初頭に書かれた。
だが、元ネタとなっている出来事は400年代中ごろから500年代中ごろにかけての出来事。発端は史実だが、700年以上かけて語り継がれ、物語はいつしか神話と交じり合い、変化していった。


(1)アッティラ王とフン族の帝国 ―神の鞭と呼ばれた男
(2)東ゴート族の栄光 ―ディートリッヒの原型、テオドリク
(3)フランク王国の悲劇 −「争う王妃」プリュンヒルト
(4)呪われし黄金の指輪 −ニーベルンゲン伝説の始まり
(5)物語の喪失と新たな語り手たち
(6)原型の探索 ―ジーフリト、ハゲネ、フォルケール
(7)物語へと進化する「特別な記憶」 ―ヴォルムス陥落とブルグント族


■ 語られた範囲

ニーベルンゲンの歌は「ドイツ叙事詩」だが、同じゲルマン民族の伝承として北欧神話の中にも一部が組み込まれ、ドイツのみならず北欧でも異なるバリエーションのものが語り継がれている。大まかな筋書きを書くとこうなる。

4世紀
東ゴート族フン族に大敗、以後、フン族に組み込まれることに。
戦いの際、東ゴート王エルマナリク死去。(「エッダ」でシグルズの娘を殺す非道な王として描かれている人)
  ↓
5世紀〜6世紀
アッティラ誕生、フン族の王国を拡大し、ブルグント族も都ヴォルムスを攻め落とし、ブルグントのグンナル王死亡。
フンの王国はアッティラ死亡とともに瓦解。
東ゴート族の王家にテオドリク誕生。幼少時代を人質としてローマで過ごしたため、生涯ローマびいき。
フン族から独立後、色々あって西ローマの統治を任され、「大王」と呼ばれる人気を博す。
他もメロヴィング朝のブリュンヒルドなど、元ネタと思われる歴史上の人物たちの活躍。
 ↓
10世紀前後
「エッダ」をはじめとする北欧の伝承に、テオドリク、グンナル、アッティラ(アトリという名前で出てくる)などが見られる。
シドレクス・サガなど低地ドイツの物語もあり、ある程度の筋書きが出来ていたようだ。
 ↓
13世紀
北欧の荒々しいサガを宮廷用の騎士物語に直した「ニーベルンゲンの歌」が作られる。
具体的な変換例には、戦乙女→宮廷の貴婦人 バーサーカーによる殺人→バーサーカー設定消滅、計算高い殺人 とか。


関連事項年表
このサイト内の関連伝承へ>>ヴォルスンガ・サガ、ワルタリウスなどディートリッヒ伝説



※元となった歴史的事実については疑問を持つ学者もおり、これから新たな説が出てくる可能性もあります。


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