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古王国時代 第4王朝

スネフェル

Snefer/Snofer/Seneferu


在位年代;前2543−2510年
即位名;スネフェル(美しき君)
別読み;スネフル、スノフル
マネトー名;ソリス Soris
治世;34年間

王朝の首都;メンフィス 
埋葬地;ダハシュール 
出身地;メンフィス

家族構成;父/フニ王 母/王の下位の王妃メルサンク1世
妻もしくは異母妹/ヘテプヘレス1世 息子/クフ

この時代あたりから史料がそれなりに使えるようになる。
それによると、スネフェル王は王家の中でも正統から少し外れた別系統(分家)の出身で、本家(第三王朝直系)のご令嬢を奥さんにもらうことによって王家を統一したようだ。第三王朝から第四王朝への間は血はつながっており、断絶はない。

治世年はトリノ王名表では24年。ただし考古学的な証拠からは最低でも27年は即位していたことになっており、即位年は研究者によって30年から50年弱まで幅がある。

●ピラミッドについて
屈折ピラミッド(南)と、赤のピラミッド(北)を建造。なお、屈折ピラミッドは、古代王国の数あるピラミッドの中で唯一、『西側に第二の入り口』を持つ、例外的なピラミッドだ。この例外が何を意味するのかは、今のところ、大いなるナゾだが、酒井傳六氏いわく「エジプトは”二つの国”を象徴してるから、多分それを表現したかったんだろう」とのこと。ピラミッドというとギザの大ピラミッドが有名で、一基の大きさとしては息子クフのものが最大だが、一人で複数のピラミッドをたてているため、使用した総石材量は息子の代を遥かに凌駕している。変り種のピラミッドを作っていることから、ピラミッド建築の技術を確立するための「大いなる試行の時代」であったとも言える。

スネフェルの后、ヘテプヘレス一世の墓からは、ミイラから内臓が抜き取られていたことを示す最古の証拠、カノポス壷が4つ見つかっている。ただし、この時代、壷にはまだ「ホルスの息子たち」と呼ばれる精霊の顔がついてなかった。

●飢饉の伝説について
ナイル河の7年に渡る異常水位により飢饉が発生。それを、洪水を支配する神クヌムの怒りとして、クヌム神に多くの貢物をしたという記録(エレファンティネ文書)が残されている。してみると、この王の息子であるクフ王の名が「クヌム神に護られし者」である意味もうなづける。七年もの飢饉に見舞われていながらピラミッド建造ブロジェクトをどのように進めていたのかは謎だ。

スネフェル王は、シナイ半島との関連が強かった。レバノン杉トルコ石の輸入、遠征、交易など、様々な行動を起こし、莫大な遺産を残したとされる。もちろんピラミッド建設には莫大な財産が必要なわけだが、ピラミッド二つ造って、さらにご先祖のピラミッドを修復しても余るくらい稼いでいたようだ。

▲ピラミッドデータ:
メイドゥムのピラミッド(未完成だったフニ王のものを完成させた説と、ほぼ最初からスネフェル王が手がけた説がある)
ダハシュールの「屈折ピラミッド」(18世紀ごろの旅行者たちなどには、”北のピラミッド”と呼ばれた)
ダハシュールの「赤のピラミッド」または「南のピラミッド」


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