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新王国時代 第19王朝

タァウセルト女王

Towsre/Tausret/Tawosret

在位年代;前1192年−1191年
誕生名;タァウセルト(猛き貴婦人)
通称:セテプエンムト(ムト女神に愛でられしもの)
即位名;サトラー・メリアメン Sitre' meritamun
(ラーの娘、アメンに愛でられし者)
マネトー名;ソリス Thuoris
治世;2年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV14)→のちにセトナクトに横領される 
出身地;テーベ

家族構成;夫/セティ2世 おそらく息子/サプタハ 娘/名前不明

かつてハトシェプスト女王がしたように、息子である前王サプタハの摂政として振舞い、その後、実験を握ったと考えられる。ただしそれはハトシェプストほど長続きしなかった。
趨勢を誇った第19王朝は、こうして最後の女王とともに崩れ落ちるように幕を閉じる。彼女には幼い娘がいたようだが、詳細は不明である。なぜ彼女が王権を握ることになったのか、他に適当な男子がいなかったのかについては不明。
この女王の統治をもって第19王朝の系譜は途切れる。ラメセス2世の死から、わずか27年後のことであった。


●統治年について

マネトーの記録ではソリス女王と呼ばれ、7年統治したことになっているが、この統治年はおそらく息子サプタハのものとあわせてだろうと考えられている。

宰相として権力を握ったバイとの間になんらかの不和があったらしく、サプタハの墓や自身の墓からバイの名を削っている。
彼女の統治の間に反乱勢力が増大し、内乱のち19王朝は終焉を迎える。


●建造物について

ヌビアのアマダ神殿の壁画に、シストルムを振るう彼女の図像が残されている。


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