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末期王朝時代 第26王朝

プサメティク1世(プサンメティコス)

Psamtik I /Psammetichus

在位年代;前664-610年
誕生名; プサメティク
即位名; ワァフイブラー Wahibre'
(太陽神ラーの心は永遠なり)
ギリシア語名; プサンメティコス
治世;55年


王朝の首都;サイス 
埋葬地;サイス? 
出身地; サイス

家族構成; 父・ネカウ1世 娘・ニトクリス1世

アッシリアの首都ニネヴェまで連行されて教育を受け、アッシュールパニパル王からアッシリア名(ナブ・シェズバンニ)を貰うほど馴染んでいたように見え、その実、アッシリアの手ごまになるつもりはなかったらしいアクの強い王。バビロニアの反乱でアッシリア軍が自国に引き上げ、エジプトが手数になるや、内政を固め、パレスティナの国々との協力関係を結び、ひそかにアッシリアの支配から脱却していく。ここで「父の仇」などとヌビアを攻めなかったあたり頭のよい為政者である。

治世の9年目に当たる紀元前653年、テーベのアメン大神殿に「アメンの神妻」として娘を送り込むことでテーベを支配、エジプトの再統一を成す。送り込まれたプサメティクの娘ニトクリスは、その後70年間に渡り、死ぬときまでテーベの女主人として君臨することになる。

また、この王は、はじめてギリシャと密接な関係を結んだ王でもある。台頭しつつあったギリシャとの海を越えた貿易関係の成立により、エジプト国内にはギリシャ人が増え始め、交易専用都市ナウクラティスがナイル下流のデルタ地帯に築かれる。

なお、ヘロドトスの書いた「世界で一番古い言語は何か実験するために、子供をヤギと一緒に育ててみた。」という面白話は、この王様の時の出来事だといわれている。


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