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「ピラミッドは、何のために作られた?」(ハード版)


初心者向けの、「ピラミッドは、何のためにつくられた?」よりも、やや難易度の高い内容となりますが、なるべく簡単に説明していきます。

さきに書いたように、 「ピラミッドは王の墓ではない」という説が一般論になりつつある、というのは、嘘です。

たった一人の日本人学者(学者というにはチト厳しいくらいの人です)が、バラエティ番組や、専門書でもない自著で主張しただけで、この説は決して一般論でも有力な根拠のある話でもないのです。初心者むけのページでリストアップしましたが、埋葬に使われた証拠があり、中から王族とおぼしきミイラが発見されているピラミッドは少なくありません。


 埋葬に使われた証拠のあるピラミッドは多数存在します。
 ただし全てのピラミッドが埋葬に使われたわけではありません。



このページは「ハード版」ということで、さらに突っ込んで書いていきます。
「ピラミッドは王の墓ではないという主張がある−− では、何なのか?」ネットの世界、およびテレビ番組などで語られている、「ピラミッドは墓ではない」説の誤りを指摘していきます。


「失業対策のための公共事業で作られた」説の誤解


ピラミッドは、「失業対策のために、公共事業として作られた」という説が述べられていることがありますが、この説は二重の意味で間違えています。


・ 農閑期は失業中ではありません。
・ 古代において、大規模事業を行える権力者は王しかいません。何か大規模なものを作る行為はすべて公共事業です。


ざっくり二行で反論可能なんですが、それだとつまらないのでもう少し詳しくいきます。


◆古代エジプト人は失業などしていない、よって失業対策は必要ない

古来、エジプトには毎年のようにナイルの増水というものがありました。("洪水"ではない。じわじわと水かさが増えていくので"増水"という表現のほうが近い)その期間は農地が水の下に沈んでしまうため、農民は仕事が出来ません。かつては、この休耕期を使ってピラミッドが作られたのだろう、という説が有力だったので、「ピラミッドは失業対策のために建設されはじめた」という話は、休耕期に人を雇っていたのだろうという推測から発展して生まれました。

でもよく考えてください…、農民が、収穫の無い時期に畑を休ませつつ自分も休むなんていうのは当たり前の話であって、別にその期間にムリして働く必要などないですよね?  農業は、収穫で一年分の収入を賄う職業です。基本的に労働は一年に一回ないし数回の収穫のために行われるものであって、一年間働いても、収穫前に天災が起きるなどすれば、その年は何も手に入りません。だからこそ、穀物を貯蔵する技術が生まれました。
もし農業をやらない時期にすることがないなら、副業でワラジならぬサンダルでも編んでればよいわけで…。畑作をやってなくても他にも仕事はいろいろあるはずなのですが(家を建て直す、とか他の作物を作る、とか、猟にいく、とか。)、他の労働を考慮をしていない時点でこの説はおかしいんですね。(※1)


ちなみに、古代エジプトに貨幣は存在しません。すべて物々交換です。よってピラミッド建設に参加したとして、報酬は麦やパン、ビールといった物品支給だったはずです。(※2) つまり自分で作ったものが、自分のところに戻ってくるだけ。自分たちの作った作物をキャッシュバックされているに過ぎないわけで、失業対策には全くなっていません。「労働に参加したぶん減税」されていることになります。


※1 エジプトの国土は南北に長いが、ナイルの増水によって農耕地が完全に水没するのは、海に近い北部、メンフィスより下流のデルタ地帯である。上流のほうは農耕地が完全に水没するわけではないので、増水期の意味が違ってくると思われる。

※2 新王国時代には"公共事業"である神殿建設においては、作業員に食料というかたちで報酬が支払われたことが記録されている。トリノ博物館が所蔵する、有名な「ストライキ・パピルス」(ラメセス9世の時代)では、労働の対価としての小麦、魚、ナツメヤシ、日用品などの支払いが滞っている、という記録が残されている。古代エジプトで貨幣が使われ始めるのは第29王朝の時代。


しかし減税だったとしても、そもそもこの説はおかしいのです。
ピラミッド建設に農民を参加させるということは、取り立てた税金の一部を還元するということで国家の収入は減ってしまいます。国庫を食いつぶしてまで建造しているのが、なんら生産性のない巨大な石の山だったとしたら、それは全く意味のない行為です。

ピラミッドを作ることによって国家が傾いては意味がありません。(笑
その話については、次に続けます。


◆ただの公共事業なら、建設するものはピラミッドでなくて構わない。

「失業対策」に続いて、よく聞くのが「公共事業」という話。
人々に収入を与えるための公共事業としてピラミッドを作ったという説があるようなのですが、では、その建造物は、なぜピラミッドでなくてはならなかったのか。ダムや道路、病院や集合住宅では何故いけなかったのか。そうした実用的なものを作らずに、直接的に役に立つとは思えないピラミッドを建設した「理由」について「公共事業」説ではろくな説明は出来ないと思います。(※3)

※3 「灌漑」という概念が登場するのは中王国時代から。堤防や運河など治水に関係した土木工事が行われたと確実に言えるのは新王国時代から。つまりピラミッド建設の時代が終って初めて、王たちは国家の余力を直接的に生活に役立つことに使い始めたことになる。


自分たちの役に立たないものなら、人々はそれを建設することに進んで従ったりはしないでしょう。
失業対策ではないことは、すでに述べました。人々は自分たちの仕事をしていれば暮らしていけます。穀物は長年貯蔵できる財産ではなく、必要以上に溜め込みたいと望むものではありません。



◆ ピラミッドは信仰を象徴するモニュメント

人々が建設に参加した理由、それは単に仕事が欲しいとか、パンやビールが欲しいからではないのです。
ピラミッドが「宗教施設だったから」。永遠を象徴する巨大なモニュメント、太陽神への信仰の象徴。信仰という理由に結びつけたときだけ、ピラミッドを築く情熱はすんなりと説明がつきます。それは現代人には理解しがたいものかもしれませんが、古代人にとっては現実を変える力そのものだったのでしょう。

ピラミッド建設について、「"人心をまとめるため"の公共事業として」始められたという説があります。生産性より、人が一致団結することを重要視したという説です。これがおそらく真実に近いと思います。
ピラミッドは、太陽信仰から生まれました。太陽神に捧げる巨大なモニュメント、または太陽に至るための巨大な階段。ピラミッドが建造されていた時代は、太陽神ラーへの信仰が高まり、来世観が発達していた時代です。もし、その時代に人々が信仰していたのが太陽神ではなかったならば、一致団結の結果作られたものはピラミッドではなかったでしょう。

巨大なピラミッド、特に最も巨大なギザ大地のピラミッドは、王「個人」のものではなく、ピラミッド建設に参加した人々−−すなわち、太陽神への信仰を持つ「人々」全体の共有物として、建設することによって参加者すべてに来世への扉が開かれるチャンスがあるという思想があったのかもしれません。
これを裏付けるのが、ギザ台地の周辺に存在する貴族、一般庶民の墓です。彼らの墓は、ピラミッドを取り囲むようにして存在します。見つかった遺体からは、長年重たい石を運び続けた骨の疲労や骨折跡などが見つかっており、決して楽な作業ではなかったことを思わせます。
何代にもわたり、建築に人生をかけた人々。なぜ、何が、そこまで人々を駆り立てたのか。豊かな川の流れがあれば、農業や狩りをしていても暮らしていけます。危険な土木工事に関わるよりは、むしろ、そのほうが楽に生きられただろうに、なぜ自発的に国家事業に参加したのでしょうか?

その理由は単なる「現世の」報酬ではないはずです。
ピラミッドの建設が単なる公共事業に過ぎず、それ以上の理由がなかったならば、キツい現場から人々が逃亡してもおかしくありません。そうした事態にならなかったのは、人々を工事に駆り立てる大きな思想があったから。彼らにとって、ギザ台地は巨大な墓地として想定され、中心に聳え立つピラミッドは天へ昇る階段(実際、ピラミッドは古代エジプト語では「上昇」を意味する単語で呼ばれていた)として作られたのではないでしょうか。

人は、信仰のみによって生きることは出来ません。宗教だけで人の心は繋ぎとめられません。
けれど、当時の人々の信仰とピラミッド建設が決して切り離して考えることが出来ないのもまた事実です。現代人的な感覚ではなく、古代人の視点から考えれば、「失業対策」などでは決してありえず、「公共事業」だけを目的としているわけでもない、と自信を持って言うことができます。


 象徴的な墓としてのピラミッド、王権の象徴としてのピラミッド



さて、「ピラミッドは宗教施設である」「王個人のものというより、共同体の所有物として作られた」という話を出しました。
あまりにも巨大すぎるピラミッドは、"個人"の墓ではない可能性があります。しかしこれは、捧げられた相手が個人か集団か、という違いです。


第5、第6王朝時代の合計9つのピラミッドの内部には、「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるお経がビッシリと書かれています。(そのうち、ウナス王のものの一部がコレ→)


これは、死せる王を讃え、神々のもとへ誘い、神々と同一化するための呪文、または死後の世界で不自由しないようにという祈りをこめたもので、様々なバリエーションがあります。基本的には、のちに庶民が使うことになる「死者の書」とよく似た内容。失業対策や公共事業のために作られた何の意味もないモノだったら、その内部に丁寧にお経を書いたりしませんよね。

お経がビッシリ書かれた部屋に棺があったとしたら、その部屋は埋葬用以外にありえないでしょう…
象徴としての墓ゆえに実際に肉体を埋葬したことはない、または埋葬はされたが盗掘によって遺骸が消失、等の理由によって、棺が空である可能性はありますが、本質的に、そこが「墓」として作られたことは疑いようがないと思われます。

※ ちなみにギザ台地の3つのピラミッドは第4王朝の時代のものなので、内部にピラミッド・テキストは書かれていません。


もちろんピラミッドは、王権の象徴でもあり、権威を知らしめすためのものでもあったのですが、そのせいか、墓としてではなく、純粋にモニュメントして建てられたと思われる小型のピラミッドも存在します。主にナイル上流に建設された小型のピラミッドですが、数段しかない階段ピラミッドや、例外的に川の中州に作られたものまであります。

これらは、内部や地下部分に埋葬を行うためのものではなさそうです。首都から離れた場所でも王の権威を知らしめすためのものか、国土の境界線や王の領地を示すもの、あるいは象徴的な墓とするためのもの、など様々な説があり、結論は出ていません。実際に埋葬に使ったわけではないことが確実なピラミッドも存在する、ということです。全てのピラミッドが墓だったわけではありません。


* ここまでついてこられた方は次のステップへお進み下さい・・・・。
* よりハードになりますが、まあ、まあ、ここからはわりとどうでもいい話です。