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古代エジプトの暦(2)−歴史から見た古代暦



  『高校の教科書などでエジプトの暦は太陽暦であったと述べられている場合が多いが、この1年365日という数値は、たぶん、太陽の運行の観察から得られたのではなく、ナイル河の毎年の増水開始の時期に注目して、次の年の増水開始までの日数を数え上げたことで得られた…』〜吉成薫/2000/講談社選書メチエより抜粋


 エジプトの神話において、一年を365日とする閏日の無い暦は、太陽神ラーによって民衆に与えられたものとされている。それに対し、閏日のある暦は月の神でもあるトト神に属するもので、トトが一年の時間を増やしてしまったために閏日が発生するようになった…と、されていた。
 しかしこれは神話から見た視点に過ぎない。

 歴史から、つまり現実の人間世界から見た暦とは、どのようにして作られたのか。
 30日というのは、月の満ち欠けが一周する日数とほぼ同じである。そして、365日は、ナイル川が増水する周期であった。アスワン・ハイ・ダムが出来る以前、まだナイル川が増水を起こしていた時期に、学者がその周期を測ったところ、一度めの増水から、ほぼ365日で次の増水が起こっていたという。
 ナイルの増水は、農業、つまり人々の生活と深く結びついている。誰が見てもわかる川の増水から導き出される暦だったなら、天文観測が発達する以前から使われ始めても、不思議はない。

 この365日は、民衆暦と呼ばれた。
 閏日がないのだから4年に1日ずつズレていくわけだが、平均寿命が30歳にも満たなかったとされる古代エジプト人では、一生のうち7日くらいしかズレないので、大して問題は無かっただろう、と専門家はいう。長い年月で見ればどんどんズレて、いずれ一周してしまう暦なのだが、個々人の一生からすれば、暦のズレた時期に生まれたものはズレているうちに死に、合っている間に生まれた者は合っているうちに死んで行く。
 もしかすると、暦に足りない日があることを意識したことが無い者もいたのではないか。あるいは、暦などを必要としたのは、一部の、行政に携わるものだけだったのではないだろうか。

 ともあれ、古代エジプトの暦の発生には様々な異説があり、実際のところは分からない。エジプトは南北に長い国なので、北の都と南の国境では、実際の気象現象との間に誤差があったことも事実だ。時差があったのだ。
 統一された民衆暦が導入される以前には、複数の太陰暦が使われており、この太陰暦の名称が民衆暦に導入された、という説もある。天文学の得意な学者さんは、民衆暦での12月のあと、閏月を挟んで新年までの日数を調節していたとも主張する。
 が、この辺りの日数計算はどうにも私の頭では理解出来ないので、はしょらせていただく。^^;

 総合すると、現在のところ、「民衆暦は実際の自然現象とズレてはいたものの、調節を行って、実際の自然現象と食い違わないようにされていた」、「この統一された民衆暦が導入されたのは、王国が統一された紀元前3000年より少し後くらいの時代」…で、あろう、という二つの仮説が有力視されているようだ。
 神々の与えたとされる暦を使って、実際の季節と暦とがズレていったのは、一般に使われていた民衆暦ではなく、行政の暦のほうらしい。(だから神官や書記官たちは、「季節がズレて、夏に冬がやってくる」等とぼやいたメモ書きを残したのだ。)
 トト神が「一年の日数を増やした」といわれのない文句(笑)をつけられるハメになったのも、どうやら、この神官や書記官たちインテリ階級のせいらしい。

 もともと暦は太陰暦から生まれたのだから、その暦を太陽神ラーの権威に結びつけた神話のほうが不自然なのだ。神話から実際の歴史を予測することは不可能だ、ということの、一つの例だろうか。

 ちなみに、閏日を採用しない1年365日の暦を使いつづけた場合、実際の季節と暦とがぴったり一致するのは、1470年に一度だという。
 エジプト古代王国の歴史が約3000年なので、この暦が採用されてから使われなくなるまでの間、実際に1月1日にお正月が来た回数は、2、3回ということになる。

 人間の一生にくらべれば、とてつもなく長い。なんとも、壮大な話である。


◆ポイント解説/太陽暦、太陰暦とは?


太陰暦とは
月の公転周期から導き出される「一ヶ月」。月は平均して29.5日で地球の周りを一周する。これにあわせ、29日と30日からなる一ヶ月を交互に組み合わせて作られたのが「太陰暦」。しかし、これでは355日になってしまうため、たりない10日を付け加えるため、3年に一度、閏月が付け加えられた。

太陽暦とは
地球の公転周期から導き出される「一年」。一年は365.2422日なので、端数を切り捨て365日とし、これを12に分けたものが現在使われている12ヶ月である。

古代エジプト暦では
1年を12等分することを重視した暦。一ヶ月を30日に固定しているため、変則的な太陰暦。上のほうにも書いたように、30×12で360日、これに5日を足した365日である。
だが、太陽暦よりはるかに機能的で、使いやすい暦だった。


 時は本来この世に存在せず、人間が擬似的に作り出す知恵の産物である。このように複雑に組み合わせ、使いやすいよう改良していくことには、古代の人々の多大な努力と研究があったはずだ。
 まさに、知恵の神トトの支配下におくに相応しい概念と言えよう。


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