灰色の町の守護者…12


 「メルカ…?」

 その名前を聞いたのは、パケトに人間の王について問うてみたときだった。
 「そ。メルカ。この神殿の、専属神官よ? 知らなかったの? 毎朝毎夕、挨拶しに来てんのに。」
言われて、ようやくメフェカトは思い出した。白い衣を来た、剃髪の大人の男性。丁寧に神像を掃除し、お供えをし、平伏して去っていく。顔は知っているのだけれど、なんだか真面目なことばかり喋って、聞いていてもよく分からない。どうせこちらのことは見えないのだから――と、どこか意識の人
 「アンタねぇ。神官は、あたしたちと人間を繋ぐ職業の人間でしょ。普通の町の子供なんかじゃなくて、神官に姿を見せてやりなさいよ。」
 「ごめん…。」
とは言うものの、正直なところ、パケトも人間の王や都や、墓づくりのことはあまりよく知らないらしかった。そういったものは、ふつうの人間たちの暮らしには、あまり関係が無いのだという。
 「目立つからすぐに分かるわ。いい? メルカに聞いて。アタシは寝てるからね。」
ぶっきらぼうに突き放して、パケトは台座の上にごろんと横になってしまった。最近、どうも寝すぎている。それだけ平和ということだろうか。
 神殿を出たメフェカトは、ちょうど、そこで遊んでいた子供たちに出くわした。
 いつからか、大人たちの間に「ここで遊んでいれば危険なものから守られる」という話が広まり、神殿の庭…といっても猫の額ほどの広さしかない広場は、子供たち専用の遊び場になってしまっていた。
 「あ、メフェカト」
めざとく見つけたネフェルトが立ち上がる。
 「遊んでくれるの?」
 「ううん、これから神官のメルカのところに行くんだ。」
 「メルカ様のところ? そっか、神様のお仕事なのね。がんばってね。」
他の子供たちも、メフェカトの姿は見えないはずなのに顔を向けて笑う。手を振って見送るネフェルトに、ちょっと複雑な気持ちで応えながら、彼は庭を後にした。
 時々思う…目に見えなくても、触れることは出来なくても、子供たちはもしかしたら、自分の存在を感じ取っているのではないかと。形のない存在とは一体なんだろう。目に見えなくても、そこにいることが分かる存在とは…。
 ふ、と目の前に何かが過ぎった。
 それは何か、形にならない懐かしいような怖いような思い出、知っているはずのない過去の記憶…。
 「…あのう」
 「え?」
 「あなた様は…」
きょろきょろとあたりを見回したメフェカトは、呆然とした顔で通りに立つ白い肩掛けの男を見つけた。話しかけている…と、いうことは、見えている?
 その顔に見覚えがあった。
 神官…、毎日やって来る。
 「メルカ? さん?」
 「…はああ! お、恐れ多い」
男は、手にもっていたもの全て投げ出して、大慌てで地面に平伏してしまった。あまりに激しい動きに、メフェカトのほうが吃驚してしまう。まるで自分が脅したようで、怖くなって辺りを見回す。
 「いやあの、そんなに畏まらなくても…。」
参ってしまった。


 神官の家は、質素で、小さくて、巻物や祭事用の道具でいっぱいだった。いちおう片付いてはいるものの、どこか殺風景だ。
 「一人なんですか?」
 「ええ…あの、こんなこと言うのもなんですが、嫁の来手がなくて。」
などと言いながら、少し頬を赤らめている。メフェカトは、思わず笑ってしまった。
 この神官は、まだ若い。いつも決まりの文句を神像に向かって並べ立てていたときは、かしこまって表情も引きしまっていたから分からなかったけれど、きっと、外見の年齢はメフェカトより少し年上くらいなのだ。もっとも、メフェカトは人ではないから、人と同じ時間で生きてはいないのだけれど。
 「でも、何であそこにいたんですか。それに、ええと、僕の姿が見えていたし。」
 「それはもう、お呼びになられればすぐに分かります。お呼びになられたのですから、お姿も見えるのです。」
 「…ってことは、オレが呼んだんですか?」
 「はい。心の中でお呼びになられるだけで、神官というものは、お召しが分かるのです。」
勧められて何となく座った、やたらと高い椅子の上で、メフェカトは首をひねっていた。
 「…そういうものなのか。ふうん…。」
 「あのう。」
メルカのほうも、何か妙だと気がついたようだ。
 「神様?」
 「僕、メフェカトっていうんだ。」
 「え、メフェ…」
 「そういう名前にしました。<灰色の谷の町のもの>じゃ、長いし格好悪いから。でも本当の名前じゃないです。」
 「はあ。…では、メフェカト様とお呼びすればよろしいので?」
 「そう呼んでください。」
どこか会話もぎこちない。
 「それで、本日はどのような。」
 「訊ねたいことがあって…。パケトは、メルカさんに聞けって。」
パケトという名を聞いたとたん、神官の表情が少しこわばる。メフェカトは、その名が他の地域で知られる、猛き女神の呼び名とは知らない。
 「…パケト様と、お友達で。あ、いや、神様なのだから、それは…その。それで、一体どのような。」
 「ここの町の人たちって、人間の王様がお墓を作るために、石を切り出しているんですよね。でも、10年もかかるような大きなお墓なんて、どうして必要なんですか?」
 「は? …」
意外な質問だったようだった。
 メルカは、目を白黒させて考え込んでいる。
 「それは…ずいぶん…難しい、ような」
 「人間の王様っていうのも、よく分からないんです。僕、会ったことないし。都に住んでいて、軍隊を持っていて、偉い…らしいんだけど、人間だよね? べつに体が大きいから墓が大きいっていうわけじゃないんだよね? それで、まだ生きてるんでしょ。生きてるうちからお墓をつくるなんて、変だと思うんだ」
 「……。」
 「僕、なんか変なこと聞いた?」
 「……いえ。」
口もとが不自然に引きつっていた。
 「…メフェカト様は、そのう、なぜそのようなことをお尋ねに? 拙僧の知恵をお試しなのですか。」
 「セッソウ? えっと…。いえ、そういうんじゃなくて、よく分からないから。」
メフェカトは慌てて言葉を捜した。
 「僕、人間のことをもっとよく知りたいんです。だって普通の人たちには、僕の声が聞こえないし、話し掛けられない。訊ねたくても訊ねられない。パケトもそういうのには興味ないって言うし、あの…僕は知恵の神じゃないから、難しいことは、よく…。」
急に、メルカの表情がほころんだ。
 「ああ、そうでございますよね。神様にも色々なお役目がございます。メフェカト様は、そういったことはお役目ではないので、ご存知ないのですね。」
今まで、びくびくしながら体を固くしていたのが、ほっとしたような、安心したような表情になる。
 「そのように丁寧になさらなくとも結構です。私めは、あなた様のしもべですから。」
 「しもべ?」
 「下僕という意味です。神官とは、神に仕え、尽くす者のことを差すのです。普通に人には見えぬ神々と人との間をつなぐ役目もございます。」
 「神官って、もっといっぱいいるの?」
 「はい、仕える神の数だけ。私はもともと、この町の人々の住んでいた町で、少し大きな神殿におりました。そこには多くの神々が祀られており、神官も多くいましたが、私は神像とともにこの町に移住してきたのです。」
多くの神…。
 自分とパケト以外のことは、何も知らない。
 いや。
 「生まれる以前」、どこか暗い場所で、誰かが話し合っていた。女性の声と、男性の声。あれは…、あの声は、誰か別の神のものだったのだろうか?
 メルカは、色々なことを丁寧に話しつづけた。
 神殿のこと、神官のこと。国全体を守る大神たちのこと。神々に認められて、国の王となる人間のこと。
 ---そうした人間、「王」は、永遠の楽園へ行って神々の仲間入りをするために、丈夫で立派な墓を欲しがるのだという。人は儚く、肉体は簡単に消えてしまうものだから、永遠を求めるのだと。神は何百年でも生き続けるけれど、人は、ほんの何十年かで死んでしまうのだ…。
 「そのために、死後の世界を治める神や、死者の国を護る神々がおられます。生きることを護る神がおられるように、誕生を司る神もおられます。」
 「誕生? 再生…死んだ人間は、また生まれて来る?」
 「いいえ。この世は辛く厳しい、けれど、この世界でよい生き方をした者は、何の苦しみもない世界で永遠に生きることが出来ます。神々に守られて。…わざわざ、もう一度苦しい世界に戻ってこようとは、しないでしょうね。」
 「そうなんだ…。」
この世界に生きることが苦しいのかどうか、メフェカトには、分からない。人間たちの仕事はとても大変そうで、汗を流しながら毎日必死で働いているけれど、でも、子供たちは明るく笑い、人々は、それなりに幸せそうに見える。
 それとも、苦しいこの世界で人々が笑っていられるように助けるのが、神という存在の務めなのか…。
 「なんだか不思議な気持ちですね。私の前にいた神殿では、神々はみな威圧的で、畏れ多く感じていた。けれど、メフェカト様はとても近しく感じることが出来ます。」
若い神官は、そう言って微笑んだ。
 「子供たちが神殿の周りに集う理由が、よく分かります。お側にいると、何か、安心できるような…。」

 その時だった。
 「!」
メフェカトは思わず腰を浮かした。
 この気配。近い…でも、なぜ急にこんなに?
 「ど、どうされました?」
 「敵…」
メルカの問いに詳しく答えている暇はなかった。
 彼は外へ飛び出す。町の景色が流れ、空間が歪むような気がした。何か、嫌な予感がする。気分が悪い、胸に押し寄せてくるような焦燥感。
 そんな予感を裏付けるように、通りの向こうから、子供たちの泣き声が聞えて来る。


TOP  前のページ  次のページ