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初期王朝時代 第1王朝

ジェル

Djer

在位年代;前2870-2823年頃
ホルス名;ジェル(救世主)
マネトー呼称;アトティス Atothis
治世;48年(?)



王朝の首都;メンフィス
埋葬地;アビュドス O
家族構成;父/ホル・アハ(?) 王妃/ヘルネイト、ナクトネイト 母/ケントハプ

王の遠征の記録が残されている。海を渡るものではなくナイルを下るための水軍を保持しており、ナイル下流地域の反政府勢力の鎮圧に使っていたようだ。

上エジプトの聖都・ブートの名前が出てくることから、ブトの女神である女神ネクベトも、既に信仰対象として存在していたと考えられる。(ネクベトは上エジプトの守護女神)また、下エジプトではネイト女神の信仰が盛んに行われていた模様。

■聖地アビュドスとオシリスの墓
この時代の王たちはアビュドスに墓を築くことが多かった。なかでもジェル王の墓は、中王国時代の12王朝ごろなるとオシリスの墓と伝えられるようになり、多くの巡礼を集めるようになった。アビュドスに後世の王たちが築いた空墓(形式上の墓)が多数存在するのは、オシリスにあやかって来世に再生できるようにと考えられたためである。
アビュドスの、墓近くの丘には歴代の巡礼者たちの残したと思われる壷が多数残されており「壷の母」(アラビア語でウンム・エル・カアブ)という名前で呼ばれている。そこは、第一王朝の王たちの墓が集中している地点でもある。

ジェル王の墓は盗掘を受けており、王のミイラは残されていなかったが、盗賊の忘れた、白骨化したミイラの腕が、4つの小さな腕輪をはめたままで残されていた。この腕は19世紀末に発見され、のちに当時ギザにあったカイロ博物館の前身であるブーラク博物館に保管されるが、いつの間にか腕輪だけ残され、腕は捨てられてしまった。腕輪が、王命を囲む際に使用する記号「セレク」を象ったものだったことから、王の腕だった可能性もあったが…腕の発見年代、発見時の状況とともに腕のぬしの正体は永遠に不明となってしまった。

”王様が死んだら家臣は殉死させる”という、人身御供の風習が残されている中で、確認できる最大の318人(!)の埋葬の可能性を持つ。可能性、と書いたのは、人骨のカウントされた記録が見つからず、この人数は王の墓に付属する埋葬室からの推定の可能性があるため。
この時代はヒエログリフも開発途上で、文章的な記録はほぼないため、埋葬の習慣についての手がかりが見つからない。


・日本の埴輪はエジプトのシャブティ像とは意味が違うという話。
どちらも殉死を人形に置き換えたものではないし、埴輪とシャブティは用途が違うよという説明。


●宰相女王ネイトホテプ?

2012年にシナイの砂漠にある採石場から、ジェル王の治世書記に存在したと考えられる女王名を記した落書きが発見された。この王の長い治世の初期(おそらく幼い頃)に女王ネイトホテプが摂政として共同統治していた可能性が出てきたのだ。ちなみにこのネイトホテプは、ナルメル王の王妃のネイトホテプとは別人と考えられるとのこと。
彼女が家系図のどこに入るのかは、2015年1月現在では未確定である。

・シナイの5000年前のヒエログリフの落書きから第1王朝の未知の女王の名が明らかに


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