灰色の町の守護者…3



 日が経つにつれ、神殿を取り囲む町の様子が、少しずつ、分かるようになった。
 この町の人々は、ずっと西に流れる大きな川の近くから移住して来たようだった。だが、ひとつの村から来たわけではないらしい。古くからの顔見知りもいれば、そうでない者もいる。まるで、寄せ集めの集団だ。いったい誰が、この人々をここへ集めたのか、メフェカトは少し疑問に思っていた。
 この辺りは切立った白い岩の崖が多く、その間を細い川が流れている。いま造られようとしている町はそんな谷のくぼみにあり、川のすぐ近くにあった。
 何も無い土地に一から築き上げられる町には、町を守るべき神も、まだいない。神も、町とともに作られ、成長していく…。

 毎日、荷車に載せられて、家財道具や人が運ばれてくる。日の当たる場所では、赤っぽい土をこねて作った日干し煉瓦が積み重ねられ、乾いた順番に家に使われる。建てられたばかりの家々が軒を連ね、屋根には、刈り取った葦の束が並べられていた。
 メフェカトは、神殿の屋根の上に座って、そういった人々の動きを興味深げに眺めていた。
 「どう? 町の様子は」
パケトが、傍らに腰を下ろす。
 「すごいね。どんどん町が出来てく。」
 「そうね。」
 「でも、なんにもしないで、いいのかな。」
猫は、くすっと笑って前足で顔をぬぐった。
 「いいのよ、見守るのが神の仕事。」
 「ここを離れちゃダメなの?」
 「町の中なら、自由にしてもいいわよ」
 「外は? 外に出ちゃ、ダメなの?」
 「ダメ、ってわけじゃないけれど…そうね…。」
少しためらうように首を傾げたあと、パケトは言った。
 「留守にするときは、留守番が要るわよ。」
 「留守番?」
 「ええ、今は、祭壇に神像があるから大丈夫ね。神の気配を無くした祠はね、悪いものの住処になりやすいの。そいつらが人間に害を及ぼすと困るでしょう。留守中の守りは大切なのよ。」
 「悪いものって何?」
 「いずれ分かるわ。」
そうとだけ言って、パケトはあまり詳しく教えてくれなかった。メフェカトは、納得いかない。聞き返そうと思ったけれど、パケトは、とっくに屋根から飛び降りて歩き出していた。
 こんな静かな町なのに、悪いものがいるとは考えられなかった。
 そもそも神とは、一体何から人間を守るものなのだろう?


 メフェカトは、パケトと一緒に町に出てみた。
 遠くからしか眺めたことのない、人間たちの暮らす場所だ。見えなかったものも、たくさんある。何に使うのか分からない道具や、不思議な生き物がたくさんいる。 
 近寄って、すばやく一匹捕まえてみた。すると、その生き物は尻尾だけを残して物凄い速さで逃げ出してしまった。
 「トカゲよ、それは。よく似たのにヘビがいるわ」
 「ヘビ?」
 「そ。ヘビは大抵、悪いやつなの。聖なる蛇、コブラ以外はね。人間を噛んでケガをさせてしまうのよ。覚えておいて」
なるほど、そういうものが悪いものなのだな、とメフェカトは思った。
 いい匂いがする。
 パンをこねている職人たちの姿が見えた。
 「人間たちの主食ね。人間は、ひっきりなしにものを食べていないと死んでしまう生き物なの。」
 「どうして?」
 「生きてるって、そういうものよ。あんただって誰かに祈ってもらわなきゃ消えちゃうでしょ。神は死なないで消えるだけだけど、人間は死ぬと体が残ってしまうから、面倒よね。」
パケトは、軽い足取りで人ごみの中をどんどん歩いていく。あまりに色々なものがありすぎて、メフェカトは少し気分が悪くなってきた。誰かに見られているような気もする。
 「…ちょっと待って、パケト」
どうやら、彼女は自分が散歩することのほうに夢中らしい。こっちの声など聞こえていないのだ。
 「パケトってば!」
思い切り叫んだあとで、はっとした。こんなに叫んでいるのに、誰も聞こえていない--―周りにいる人間たちは、誰も振り向かない。
 ねめつけるような視線が強くなった気がした。
 メフェカトは急に不安になった。どこかに隠れよう。辺りを見回すと、涼しげな織物の揺れている建物がある。そうだ、あそこなら。
 するりと中へ滑り込んだ彼は、ほっとした。
 ここなら、誰かの視線も感じない。少し休んで、それから、神殿に戻ろう。場所は、分かっている…。
 「だれ?」
はっとして、彼は振り返った。
 涼しい空気が動いた。薄暗い家の奥から、小さな女の子が顔を出す。あの子だ、と、メフェカトはすぐに気がついた。大きな声を上げて神殿に入って来た、あの女の子…
 「だれもいないの?」
少女は、きょろきょろと辺りを見回して、しきりと不思議そうな顔をしている。
 そうか、見えないんだ、と、メフェカトは気がついた。神殿の中にいた時もそうだった。人には、自分の姿は見えない。でも、どうすれば、姿が見えるようになるのだろう…
 「きゃあ!」
 「え?」
 「人が出てきた!」
女の子は慌てて家の奥に飛び込んでしまった。びっくりしたのはメフェカトのほうだ。今まで、誰にも気付かれたことはないのだから。
 「見えてる? …んだよね、多分。」
もういちど、奥の部屋から女の子がそうっと顔を出す。
 「あなた、だれ? …」
よかった、やっぱり見えているんだ。どうやってだか分からないけど、見えるようにすることも、出来るらしい。
 ほっとした彼は、少女に笑顔を向けた。
 「きみ、ネフェルトっていうんだよね。」
 「うん、そう。どうして知ってるの? お父さんのおともだち?」
 「そんなかんじ。一人なの?」
 「うん。」
 「お母さんは?」
 「いないの。」
そう言って、女の子はちょっと悲しそうに俯いた。「あたしひとりなの。お母さんはずっと前に死んじゃった。いまは、お父さんとふたりだけなの。」
 「…そうなんだ。寂しいね」
 「ううん、でも、おじさんとおばさんがいるよ。このお隣のおうち」
ネフェルトは、壁の向こうに指をむけた。メフェカトは、眉をしかめる。
 そちらに顔を向けたとき、何か、嫌な無配が…、なんだかよくわからないけれど、気分が悪くなるような感じがしたからだ。さっき、通りにいたときに感じた視線によく似ている。
 「どうしたの?」
気がつくと、ネフェルトは椅子に這い上がるようにして、メフェカトの顔のすぐ近くまで来ていた。
 「ううん、なんでもない」
 「ねえ、あなたは? なまえ、なんていうの?」
 「メフェカトだよ」
女の子は、聞きなれない言葉の響きにびっくりしたように、目を数度、しばたかせた。
 「それが名前?」
 「そう。」
 「ふうん…。そうなんだ。」
まじまじと彼を覗き込む幼い少女の目は、この町の人々と同じ、茶色がかった黒だ。
 「きれいな色の目だね。どこか、遠いところから来たんだね。」
まだ疑うことも知らない純粋な眼差しは、何か、こちらの正体を見透かされているような気がした。
 「僕、自分の生まれたところ知らないんだ。」
 「どうして?」
 「まだ生まれたてだから」
 「うそぉ、あたしより大きいのに?」
鈴を鳴らすように笑う。
 何か、懐かしい気がした。 
 ずっと前に、こんなふうに、どこかで誰かと話していた気がする…。

 その時だった。
 「メフェカト! どこなの? 返事しなさい!」
 「あ…」
表の通りから、パケトの声が聞こえた。慌てているような、怒っているような声だ。
 「ごめん、もう行かなきゃ。じゃあね」
 「うん。また来てね、ばいばい」
表に出て行こうとするメフェカトに向かって、少女が小さな手を振る。戸口のところで、メフェカトも、おそるおそる自分の手を振ってみた。
 そのとき、胸の奥がぎゅっと熱くなるのを覚えた。
 「ああ、こんなところにいた! もう、あんたね!」
駆け寄って来るパケトが見える。急ぎ足に近づきながら、彼は、自分の中にふいに思い出した切ないような感情を、しきりに押し留めようとしていた。
 椅子の上で笑う少女の笑顔が目にこびりついて、離れなかった--―。


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